2016年8月25日 第35号
イラスト共に片桐 貞夫
「会えるよ。かならずまた会える。…おれは、タケさんにめぐり合えて、生きてきたかいがあったと思ってる」
「お、おねがい…うう」
「タケさんに会えてよかった」
「きんじさん」
「じゃ、いくよ」
「きんじさん」
こんな別れがあっていいわけない。こんな寂しさを認めることはできない。タケは、この時ほど盲の自分をうらめしく思ったことはなかった。見ることができれば、金次の面影を脳髄の奥底に焼き付けておくことができる。うしろ姿をいつまでも見送ることができる。
「きんじさん」
タケが顔を上げて前に出た。
「さわらせて」
両手を上げた。十の指先を金次の顔にやった。タケは、その眼鼻のかたちを心の奥に刻み込もうとした。金次の目元も濡れていることが判った。
「たっしゃで、たっしゃでね」
「タケさん」
タケの掌中から金次のほほのぬくもりが離れた。足音が離れていく。ゆっくりではあったが、確実にタケのもとから金次が歩き去っていく。
「きんじさん」
シャンシャンシャンという金次のすすり泣きにも似た背箱の音がリズムを帯びると、タケは言い足りなかったことを思った。もう一度「たっしゃでいるのよ」と言いたかった。
「タケさん、あたしだよ」
不意に声が湧いた。リュウのものである。金次が去っていくばくもたっていない。
タケは人の足音を聞き分ける。たとえ履物を違えても、いちど知った足音は誰のものか判る。しかしリュウだけは例外であった。琉球の「テー」という古武道に長けるリュウは、歩き音をさせないのだ。
「ごめんよ、いなくて。来てくれたそうじゃないか」
きょうの昼過ぎ、タケは、屋台を閉めてリュウの住むそでなし長屋に行った。二人のやくざ者が餅を食って去ったあと、タケは知り得た新情報をリュウに知らせんと、半里の道を急いだのだ。しかしリュウは留守であった。屋台に舞い戻らなければならないタケは、至急会いたい旨のことづてをめしやを守る飯炊きのシノに頼み、戻ってきていたのだった。
「あら、タケさん、どうしたんだい」
リュウがタケの顔を見て言った。目が赤くはれている。
「いえ、どうでもいいことなんです。それよりごりょうさん、きょう、こんなことがあったんです。それを、ごりょうさんに知らせたくって」
タケは、近江屋の土塀に背を向けると声を低めた。客を装うリュウに、二人のやくざ者が喋った一部始終を告げたのであった。
ところが聞き終えたリュウに驚いた様子がない。しばらくしてから、あおくび…やっぱり…なるほど…などとつぶやきながら空を仰いで瞑目した。
そして、しばらくしてからタケに言った。
「いやね、青おやぶんっていうのはこのあいだ殺された「あかくび」の相棒なんだ。横浜村の方まで縄をのばしている賭博一家の元締めで、『立願寺の吉藏』っていうんだよ」
吉藏の方はうしろ首に青鬼の刺青が彫られている。
「そうか、…そうだったのか…このふたり…なるほど…あねさん…か」
ふたたび独り言にもどってからリュウが続けた。
「タケさん、その八年前に殺されたっていう幽霊の女中なんだけど、どういう女だったのか分からないよね」
「ええ」
「二人とも名前を言わなかったかい」
「すいません。近江屋に奉公していたというだけで訊き出せませんでした」
「そうかい、いいんだよ。それからその子供なんだけど、いっちゃんって言ってたんだね」
「ええ」
「その子、たしか、貰いっ子らしいんだけど。どこから来たか分かるわけないよね」
「ええ、それも」
タケは、リュウが貰いっ子の素性を知りたがっていることを知っていた。しかし訊けなかった。一度に訊き出そうとすれば不信を抱かれる。いちど不信を抱かれれば取り返しがつかなくなること恐れていた。タケにはもっと時間が必要であったのだ。
「ごりょうさん」
(続く)
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