2016年7月28日 第31号

 

イラスト共に片桐 貞夫

 

 リュウに近い手代の一人が坐ったまま膝をリュウの方に向けて頭を下げた。さすがにその名の知れた大問屋である。店内は薄暗いが、それがむしろ格式を高めているようで、二人の手代のうしろの壁には棚が組まれ、何百とも思われる下駄と草履が体裁よく展示されていた。

「つかぬことをおうかがいしたくてやってまいりました」

 リュウは心から済まなそうな顔をして礼を返し、邪魔を詫びてから長い質問にとりかかった。

「亡くなった惣次郎さんのことですね」

 手代の一人は黙って聞いていたが、もう一人の年配の方がとって代わってリュウに言葉をかえした。客の三人が去ったのだ。

「惣次郎さんの家はここではありません。いえ、以前はそうだったんですが今は川向うに住んでるはずです」

 どうやら大黒屋ののれんは人手に渡ったようである。むろん、当の惣次郎は死んでいないが、父親の重左エ門が健在であると、手代は、親切に川向うへの道順をおしえてくれた。

 渡しの背を借りて川を渡り、その住家と思しき所に近づいてリュウは首をかしげた。

「はて」

 小屋である。それはどう見ても農家の物置か家畜小屋を改造した屋根の低いもので、とうてい人の住む家屋とは思われなかった。リュウはあたりを見回した。間違ったところに来てしまったかと案じたのだ。しかしあたりは一面の畑で他に建造物はどこにもない。リュウは、惣次郎の父親たる重左エ門が豪勢な家で、女中に老身の面倒をみさせて、悠々自適な隠居生活していることを思っていたのだ。

「ごめんください」

 小屋の一部にむしろがたれている。それしか「入口」になりえるところはない。

「ごめんください」

 返事がないので二度くりかえし、リュウがむしろをめくってみた。

「あ」

 しかし人はいた。むしろを背にして背を丸め、地にはいつくばっている痩身が顔も上げずになんやら作業を繰り返している。震える細手で木を削っているのであった。

「もーっしわけね…あああ、…もーっしわけね、…ああ」

 耳が遠いのか、ボケがはじまっているのか、目やにと洟みずに汚れた老人は、リュウがいくら問いかけても要領を得ない。リュウの繰り返す「おうみや」と「そうじろう」との言葉を聞き取って、ようやく反応を示した。顔容を崩したのだ。泣訴でもするかのように、なにごとかを訴え出したのであった。

「あああ、…すまね、…すまね…こつしたそーじんためん…あああ…すまね…こつ」

 大黒屋ののれんをひと手にわたし、この歳になっても木を削る。しかしそれは、かつて江戸にまで知られた桐駒下駄の大黒屋重左エ門に違いなく、満面の皴とシミで老耄はしていたが、色が白くて面容が整っている。

「そーじん…あんなおんな…なけりゃー、なけりゃー…あああ…やいさー…いなけりゃー…あああ、もっしわけね…もっしわけーね…あああすまね…あああ」

 それは二十四年前のことであったという。大黒屋重左エ門の嫡男惣次郎は戸塚の呉服問屋近江屋に婿入りした。息女スギノの夫におさまったのだ。しかし七年後になって気を違え、首をくくることによってこの世を去ったのだ。

 リュウは言葉を変え、やさしい語句を使って何度もその経緯を問いかけた。しかし重左エ門はおなじ語音を繰り返すだけで会話にならず、店舗を手放さなければならなかったことどころか当初の課題、近江屋に出没を繰り返すという幽霊への手がかりは何一つ得られなかった。

 

四、

 さわやかな秋の日が続いて五日が過ぎた。渡り鳥なのであろう、かぎ型にならぶ鳥の群れがギーギーガーガーと天を高く横切っていく。

 久方ぶりに幽霊が出た。出ただけでなくこのたびは、近江屋の女主人シズノの休む部屋の近くで短刀を振りかざしていたという。女中の一人が悲鳴を上げて、幽霊は消えたというのであった。

(続く)

 

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