2019年7月18日 第29号

訳書を上梓して丸2年

 当紙には並々ならぬお力を注いで頂き、ご紹介下さった「Gateway to Promise」の翻訳本「希望の国カナダへ…夢に懸け、海を渡った移民たち」が出版されてからこの夏で丸2年目を迎える。徐々にではあるが、いまだに訳本が読まれていることは、翻訳グループの立ち上げを統括した者として心より感謝の意を表したい。

 今までにトロントやバンクーバーをはじめ、各地の日系コミュニティーなどで本の紹介を兼ねたイベントを開催して頂いたことも嬉しい限りである。また日本政府の出先機関にはことごとくお買い求め頂いたことも、ここに記して心からのお礼を申し上げたい。

 原本は400頁もの分厚い本である事から、例えば、西海岸から始まった日系カナダ史を何らかの理由でどうしても知らなければならない限り、日本語が母語である人が読み通すのは容易なことではない。

 これは国際結婚をしている日本女性に多くみられる傾向であるが、英語本が出版された2012年に、歴史的内容に興味を持ち、また夫が英語を母語とする為に購入した方は多かった。だが5年後に翻訳本を上梓した折りに聞いたところ、日本人妻で原本を読み通した方は2、3人しかいなかった。

 もちろん読み切れなかった理由は多々あるに違いない。子供がいる家庭などでは、日々の生活の煩雑さで時間が取れないことが大きな理由の一つと思われた。加えて400頁もの英語の歴史本を読み通すことは英語の理解度云々よりやはり「面倒」が先にたち、結局は本箱に「積ん読(つんどく)」になって埃をかぶっているという方が多かった。

 ブライアン・マルルーニ氏が首相だった1980年代半ばから90年代初期の頃、オタワの政府機関で同時通訳をしていた頭脳明晰なある女性でさえ、(もちろん内容によるだろうが)「もし同じ資料が日英両語で出ていれば、まず日本語を先に読む」と言っていた。ましてや言語関係の仕事に関係のない一般人には、慣れ親しんだ母語の方が理解度は格段に違うと思われる。

日系移民100年祭

 周知の通りカナダの日系コミュニティーは、ビクトリア生まれの二世であったトヨ・タカタ氏が、それまでに出ていた各種資料を読み込み、永野萬蔵氏が「1877年に来加したと言った」と書かれているのを信じ彼をパイオニアと定めた。それによって1977年に『日系移民100年祭』を大々的に開催したのである。当時米国住まいであった萬蔵氏の長男を招待し、またカナダ政府はその功績を称え、ロッキー山脈の切り立った山の一つをMt.マンゾウ・ナガノと命名した。

 だが残念なことに何冊か出版されている初期の日系史は、それまでに先行記録された話を繰り返すものばかりで、実際に足で歩いて資料を調べ彼の軌跡をたどってはいない。

 スイッツアー夫妻は、自分たちの調査でも各方面からの情報を収集してみると、年代に関して辻褄の合わないことが色々と出てくることに気付いた。そこで2016年には萬蔵氏の故郷である長崎県口之津にある郷土資料館まで出向き調査してみると、1887年に住民票を横浜に移動したという書類が展示されていたことを突き止めたのである。となると1877年にはまだ故郷に在住していたことになる。もちろん萬蔵氏は後日カナダには来ており、辣腕なビジネスマンとして西海岸で活躍した男性だったことは確かであった。

 後世の歴史家の調査によって、それまで信じられていた史実に新たな光が当たるのはよくあること。『萬蔵パイオニア説』もその一つかも知れない。

 私は今で言う『歴女』などではないものの、6月半ばにはバンクーバーの日本・カナダ商工会議所のお招きを得て、そんなお話をさせて頂いた。いつの時代も、過ぎ去った日々に思いを馳せるのは興味が尽きないものである。

 

 

 


サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)

 

 

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