2020年4月30日 第14号

 私たちは今、出口の見えない長くて暗いトンネルを重い足取りで歩いています。世界を席巻しているCOVID-19による閉塞感は、「一体いつ終わるのだろうか…」と誰でもが同じことを感じながら…。

 今と同じように、炸裂する情報が日々飛び交っていた3月末のある日、バンクーバー新報から一本のメールが送られて来ました。

 曰く「バンクーバー新報は4月30日をもちまして41年余りの新聞発行業務を終了いたします」とあり、続いて「当初は今年5月末の終了を予定しておりましたが、COVID-19の感染拡大により、広告のキャンセル及びイベントの中止などが重なり、発行終了を1カ月前倒しして4月30日と致しました。〜後略」と。

 しばらく前から津田さんにお目にかかるたびに、コミュニティ紙としての新聞発行は自分一代で終了したい旨をお聞きしてはいました。しかしそれが、世界的流行の目に見えないウイルスの拡散という事態によって、余韻に浸る暇もなく慌ただしく店じまいをしなければならないとは!

 一瞬息のつまる思いを感じました。

 逆算してみると第一号を発行したのは1978年になるわけです。周知の通りカナダは昔より諸外国からの移民に寛大で、特に70年代には日本各地からも大量の移住者が来加しました。その頃にカナダに渡った人たちは「新移住者」「戦後移住者」と呼ばれたのですが、必ずしも公用語(英・仏)が得意というわけではありませんでした。来加はしたものの言葉が不自由なため辛酸をなめた人も多かったのです。

 忘れもしないある友人の面白い失敗談を一つご紹介しましょう。

 この若いご夫婦は、日本での生活を後にカナダでの新生活に夢を懸けました。書類選考が終わり、二人揃って東京のカナダ大使館にインタビューに出かけた時のことです。お決まりの質問「Why do you want to go to Canada?」と聞かれたのですが、夫は「I want to find a new wife」と言ってしまったのです。もちろん「life」と言うつもりを「wife」といい間違えたのですが、面接官は大笑いしつつ「OK」と言って、移民許可を出してくれたそうです。

 その後二人は意気揚々と渡加し、言葉には不自由しながらも、新天地で夫婦協力して家庭を築きこの国に根付いていったのです。

 ことほど左様に、大人になってからの外国語習得は生易しいことでないのですが、こんな問題を抱えていたのはこのご夫婦だけではありませんでした。そんな日々にカナダでの生活に必要な情報を日本語で読める新聞がどれ程必要であったかことか!

 そのニーズに応えて西海岸で発行され始めたのが『バンクーバー新報』だったわけです。津田さんのゆるぎない先見の明があってこその出発でしたが、もちろんビジネスを遂行するのに、どれ程の努力を重ねて来られたかは想像に余りあります。

 不思議なもので当国に住む期間が長いうちに、英語(仏語)を流暢に話すことができるようになり、生活に支障をきたさなくなっても、大事なお金の計算になると日本語の数字が頭の中を駆け巡る人は多いといいます。母語というものの一面を見る思いがします。

 移住してカナダに居を移したとはいえ、決して生まれ育った国の言葉を忘れることはありません。そんな人々の生活に寄り添っての41年余り。津田さんの功績は他の何にも例えることができないでしょう。

 最後に一言「ありがとう、そしてお疲れさまでした!」と言わせていただき、第二の人生へ出発する前の労いの言葉と致しましょう。

 


サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)

 

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は今号をもちまして終了いたします。

しかし、日系コミュニティーに支援されて41 年余り続いてきた新報を存続させたいとの思いから、オンラインによるウェブサイトでの情報発信を継続することになりました。

SNS を含むオンラインは、弊紙で記者をしておりました三島直美と西川桂子が、責任者として引き継ぎ新体制で再出発する予定です。

今後も引き続き、ウェブサイトの閲覧をよろしくお願いいたします。