2020年3月19日 第12号

一九四一年 十二月七日

 私の帰国中は種々御世話に成り有りがたく存じました。小生去る十一月一日午前四時、晩香波(バンクーバー)港に着、移民官の手続、税関の調べも極めて簡単に済み同日午前八時無事上陸帰宅いたしました。小生の留守中学校にも拙宅にも別に変ったこともありませんでした。唯一つ感謝と感激とに堪えなかったことは、本校の父兄保護者卒業生及び知人は言うに及ばずビーシー州の同胞が「校長先生は同胞児童のために帰国されて、この度の犠牲を受けられたのだ」とかと心配をして下さって次から次へと小生の留守宅を訪問されて妻を慰めて下さったとのことでございます。お蔭様で妻もそれ等慰問客の応対、慰問文の返信等に寧ろ忙殺され寂しさも忘れて感謝の生活を送ったとのことでございます。小生着晩(バンクーバー)日などは邦字新聞記者がインタビューに来られた程の好意と喜びとを以て迎えてくれました。

 その後日本の新聞紙は日米関係の悪化を報道していますが、当方社会的には別に取り立てる程の排日気分もなく誠に平和で落ちついて生業を営んで居りますし、学校の方も以前通りつづけて居りますから御安心下さい。

 衣食についても何一つ不自由なく洋食材料のパン、バター、肉、魚、砂糖、ミルク等は申すに及ばず日本食の米、味噌、醤油、菜、大根まで充分に得られますし、餅菓子、煎餅等も豊富でございます。この点も御安心下さい。

 右御礼並びに御知らせまで。

※附記 この手紙は太平洋戦勃発の十二月七日に認め投函したものであるが勿論日本へは送られず返って来た。

『1996.170.1.14.33』

 

一九四二年七月二十二日 暑中御見舞

 暑さ厳しき折柄皆様には如何御暮し遊ばされますか御伺い申し上げます。その後は心にかかりながらもついつい御無音に折過ぎ申訳もない次第でございます。本日は当方の様子の一部を御知らせいたし御無沙汰の御詫びと暑中御見舞に代えさせて頂きます。

 私共の住んで居りますカレージハイトはラコム市区に属して居りますが、キャナデアン ジュニヤー カレージを中心として立っている村落であります。このカレージは宗教教育を主とした学校でありますが、その教育は中々面白く「働きつつ勉強する」ことを原則としています。即ち体験による教育とでも申しましょうか、習いつつ働き、働きつつ学び、道義教義の理論を実行に体現しようとしています。

 学校には牛七、八十頭、馬十数頭、鶏三百羽、農園千余エーカー等を有し校舎の外に二棟の寄宿舎(男生と女生の)、牛舎、厩、鶏舎、それに附属の物置をはじめ、大工、鍛冶、印刷等の仕事場もあり、カフテリアも売店も理髪所も靴修理所もあり、是等は二百人程の男女の生徒によって運営されて居ります。ミルク搾り、農園の手入れ、畠の仕事は勿論、売店、料理、給仕、家屋の修理、学校の事務 (タイピスト、ジャニターの仕事)等は一切生徒の労働(一日二時間あるいは五時間位)によってなされて行く訳であります。而して生徒の労働に対しても一時間なにがしつどの給料を支払うことになっていますから、生徒はこれによって学費を補うことも出来ます。従って生徒間には如何なる労働でも嫌ったり卑しんだりする傾向はないようでございます。

 カレージの売店はこの村の人々にも開放いたしますし郵便局もありますので地方人はこのカレージを中心として日常の生活をたして行くことが出来るわけであります。学校は一望千里ともいうべきプレリーの中の小高い岡の上に立っていますし 周囲の村を見下ろすことが出来ます。近くの草原には牛の放牧があり、ポプラ、樺、白樺の木の間には湧き水を湛えた湖が七、八つもあります。鳴く鳥の多いことも亦、晩市(バンクーバー)あたりでは見ることは出来ません。雲雀(日本のとは鳴き声が違います)、ブルーバード、ロビン、きつつき、カナリヤにも似た黄色い鳥、その他の美しい声を家の中でもほしいままに聞くことが出来ます。私共の家にも廣い土地がありますので、ポテト、ニンジン、コーン、キャベツ、ラデッシュ、玉葱、ちさ、豆、胡瓜、南瓜、法蓮草、白菜、大根等を蒔きましたが 日毎に育って行くのを見るのも楽しみでございます。然し本年は播種期が少し遅れましたので或は充分な収穫があるかどうかわかりません。

 うちのガーデンのあやめはすでに散り、芍薬、おだまきの花もやや盛りが過ぎ、百合、矢車菊、ダリヤ等が咲きはじめました。

 電気なく瓦斯(ガス)なく水道のないことはやや不便ではありますが、太陽と共に起き太陽と共に臥所に入りポンプで汲み上げた清き水を飲み近所の樺や白樺の坑木を切倒し之れを運んで薪とするといった原始的生活も戦時中なればこそ味い得る経験かと思っています。

 去る七月一日よりカレージも夏休みとなり多数の生徒が帰郷いたし手不足となりましたため、小生は一時的ではありますがカレージの農園に労働をして居ります。(今まで学校経営の記録を入れて携え歩いた皮鞄は弁当入れになりました)カレージの先生方、学生に交っての仕事であり時間的にも自由でありますから普通の人でしたならば殆んど遊びに近い程度のものですが、小生にとりましては凡ては初めての経験であり、体力も足らず手が遅く、仕上げが拙く、ために人一倍の努力(気持だけは)をいたさねばなりません。妻は自宅の畠を受持ってその手入れに真黒になってやって居ります。わづか二段ばかりですが、慣れないことですから相当骨が折れるようです。併し自分で育てた新鮮な野菜が少しづつ食膳を賑わせるようになって来ましたのが何よりの楽しみです。

来て見れば森には森の暑さかな

 あの森影こそは涼しい風が吹いて凌ぎよいであろうと思って行って見ますと、やはりそこにも暑さがあります。世界人類総てが苦難に直面しているはずであります。何処へ行っても苦難のない所はないのであります。

 お互に希望を失わずお互に達者で元気で苦難の克服につとめ、輝かしい時代を待つことにいたしましょう。

『NNM 1996.170.1.14.34』

 

佐藤伝、英子夫妻。アルバータでの撮影(NNM 1996.170.16.21)

 

 

■ 佐藤伝 プロフィール
1891ー1983。福島県生まれ。東京青山師範学校卒業後、東京の小学校で教鞭をとる。1917年にバンクーバー日本共立国民学校に招聘され渡加。1921年に同校(共立語学校と改称)の校長となる。同年、阿波加英子(はなこ)と結婚。同じく東京の小学校で教えていた英子はバンクーバー共立語学校の教師としても招聘され渡加。1941年、太平洋戦争勃発のため、日本語学校閉鎖を命ぜられる。1942年、カナダ政府の政策に従いアルバータ州ラコム市に移動。1948年、カナダに帰化する。1952年、バンクーバーに帰還、学校再開運動に着手し、同 年BC州文部省の許可を得て、バンクーバー日本語学校を再開する。1966年同校を引退。1978年、その功績が認められオーダーオブカナダの一員となる。

 

(提供 日系文化センター・博物館『佐藤伝、英子コレクション』 /活字化 宮原史子)

 

 

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