2016年9月8日 第37号
イラスト共に片桐 貞夫
「なるほど。…立願寺は二人とも近江屋シズノの弟。がきの頃からの放蕩で親から勘当された兄弟か。若松屋や山田屋がつぶれたのもこの為だった。近江屋の商売敵は、みんなこの兄弟がはかりごとをしてつぶした。息子惣次郎不始末のため、駒下駄の大黒屋重左エ門に詰め腹を切らしたのもこの二人だった。それと引き換えに、近江屋は、弟の賭博渡世の資金繰りをしてきたのか」
定吉が上体を起こしてリュウを見た。大変な思いで探り得た最新情報をリュウが、既知のことでもあるかのような反応を示したのだ。
リュウの足が動き出した。定吉だけでなくタケもが探り出した情報への礼を言うでなく、首をかしげて歩き出したのであった。
「ごりょうさ」
定吉が思い出したようにリュウを引き止めた。
「大御所のシズノのことなんすが、若えーとき、歌舞伎に狂ったようで。ずいぶんと役者にゃー金を使ったらしーす。色の白えー小づくりの男は放っておかなかったようで」
「近江屋シズノは…」
定吉の言葉をふたたびリュウが引き継いだ。
「…どこでどうめぐり会ったのか惣次郎を見た。役者のような男前の惣次郎をどうしても欲しくなった。だから、シズノは金と弟の辰蔵たちを使って無理やり惣次郎を婿にした。が、婿に来ることはしたが、惣次郎はいつまでたってもシズノになびかなかった。惣次郎には好きな女がいた。子供の時から相思相愛の仲であった「やえ」っていう女が」
リュウがはじめて「やえ」という名を口にした。リュウは、大黒屋重左エ門が呆けたように言った女の名前を心の奥底に刻み込んでおいたのだ。
『あああ…もーしわけね…もーっしわけね…やえさーいなけりゃ…あああ…』
「惣次郎は八重が忘れられなかった。八重恋しくてなんども会いに行った」
リュウは、ひとり自らに問いただすようにつぶやきながら歩き去っていった。
赤とんぼが舞っている。呆然とリュウを見送る定吉とタケの身体が夕日を浴びて真っ赤であった。
六
同衾する色子が寝返った。
まだ前髪もとれない少年の裸体が、近江屋シズノの腕の中にはまりこんできた。シズノは無意識のうちに腕をまわし、身体を開いて足をからめた。か細い色子の全身をおのれの胎内に入れてしまうかのような所作であった。十三歳の子供とはいえ、その肉体は大人である。熟れすぎたシズノの身体をいやすのに、むしろ十分な豊潤さがあった。
シズノは美童を漁っては閨の伽をさせた。近江屋で働く丁稚は、色の白い、ひ弱なかんじの少年でなくてはならなかった。
外で風の音がする。真夜中のなんどきになるか判らない。
シズノはいつもするように色子の身体をまさぐった。頭をおのれの乳房に押しつけて、ふたたびあまい眠りに落ちようとしていた。
「ううう…ううう」
風が雨戸をたたいている。
「ううう…うら…」
風の音が人の泣き声に聞こえる。
「ううう…らーめし…」
女の声でもあるようである。
「わーすれーしやー…ううう」
こずえの音が混じっている。
「ううう…うう」
いやこずえの音とは思えない。
「うう…ううらめ…」
女の声のようにも聞こえる。
「このうらみーをわすれし…なー…ううう」
音は遠くない。屋外からのものではない。
「うらめしーうらめしーこのうらみー…ううう」
かすかな灯りがある。シズノの閉じた瞼の内側に白く揺れるものがある。
「このきずみーやれうらめしやー…ううう」
シズノが目を開けた。どうしても人の声に聞こえてならない。見えるはずのない闇黒に、ぽっと浮き上がるものがある。
「わちしうらみをわすれしかー…」
幽霊などいるわけがない。こずえの音を聞き違えたのか、月の光が迷い込んだか。まして今宵は三人の強者がすぐ隣の部屋に控えている。シズノは一抹のわだかまりもなく色子の肉を満喫した。ここちよい宴後の疲睡のとぎれ間であった。
「……」
(続く)