2020年3月26日 第13号

 皆さん、「長谷川式認知症スケール」 という言葉を聞いたことはありますか?

 日本の認知症医療の第一人者である、長谷川和夫氏が、認知症の具体的な診断基準がなかった時代に開発した検査です。この検査により、日本で初めて認知症の早期診断が可能になりました。

 その長谷川先生が、約3年前に認知症と診断されました。先日たまたま、 認知症の診断を受けてからの先生の姿を追うドキュメンタリー、「認知症の第一人者が認知症になった」を見つけました。取材は、認知症診断の約1年後に始まります。

 先生の医師としての歩みは、日本の認知症医療の歴史そのものです。精神科の医師だった先生は、40代で認知症の専門医になりました。当時、「認知症」は「痴呆症」と呼ばれ、差別や偏見の対象となっていました。そんな時代に自ら開発したのが、記憶力などをテストする「長谷川式簡易知能評価スケール」です。また、先生は、認知症の人の尊厳を守るため、病名を「痴呆症」から「認知症」に変更することを提唱した医師でもあります。(病名が改称された後、テストも「長谷川式認知症スケール」に名称が変わります。)先生は、その後、約半世紀、86歳まで現役の医師として診療を続けました。

 先生が自分の認知症を疑い始めたきっかけは、曜日の感覚があやふやになったことでした。診断は、「嗜銀顆粒性認知症」で、進行が比較的緩やかな、高齢期に発症することが多いとされている認知症です。認知症の人の心に寄り添い、長く認知症の診療を続けてきた長谷川先生。自分自身が認知症とわかった時、もう何もできなくなるんだろうか、どんどんひとりになるんだろうかと、想像以上の不安に襲われたといいます。いつも何かを確認しなければならないような感覚や、自分自身が壊れていきつつあることはどこかでわかっており、生活をする上での「確かさ」が薄れてきたことも感じています。また、症状が進み、だんだん自分の口数が少なくなっている裏には、何回も念を押して聞くため、周りが鬱陶しく感じているのではないか、言いたいことを言っていいのかどうかに自信がなくなり、自分の殻にこもり、寡黙にならざるを得ないという、複雑な気持ちを吐露します。認知症になって初めてわかる、当事者の心の内。認知症がこんなに大変だとは思わなかったと語っています。

 途中、妻の負担を軽くするため、デイサービスに通うようになります。しかし、しばらく通った後、行くのをやめたいと言い出します。本人の希望が理解されていないため、自分のしたいことができず、行ってもつまらないだけでなく、孤独感も感じることがその理由です。実は、先生は1980年代、認知症のデイサービスを提唱し、実践したひとりです。「家族の負担を減らし、認知症の人の精神機能を活発化させる、利用者が一緒に楽しめる場所」の重要性を訴え続けてきました。しかし、かつて自ら提唱したデイサービスに通うようになって初めて、認知症の人の「本当の気持ち」がわかるようになりました。

 先生は、自分の姿を見せることで、認知症とは何か伝えたいという動機から、認知症になってからも講演活動を続けています。しかし、「認知症の第一人者」が認知症になった現実を受け入れられず、家族は戸惑います。同時に、公の場で予想外の行動を取る先生に葛藤を抱え続け、認知症の進行度合いが変化していくことを恐れていました。物忘れもひどくなり、医師として間違ったことを言ってしまうこともあり、それを事実として残したくないという気持ちが大きかったとも言います。しかし、家族が途中で気づいたのは、認知症になっても、先生の昔からの人柄は何も変わらないということでした。

 認知症になっても見える景色は変わらないと言う先生。認知症の専門家としての自分と、認知症患者としての自分が共存し、本当の認知症の姿がわかるようになったと感じています。最後に、認知症とは何かと問われ、先生はこう答えます。「認知症になると、余分なものが剥ぎ取られ、心配はあるものの、その気づきがないため、心配し続けることはない。これは『神様が用意してくれたひとつの救い』だと思う」。

 かつて先輩医師に言われた、「君が認知症になって初めて、君の研究は完成する」という一言。先生は、まさにそれを実践し、「認知症と生きる」とはどういうことなのか、大切なものは何か、見つけようとしています。

 


ガーリック康子 プロフィール

本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定

 

 

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