2018年3月22日 第12号

 妻が逝き、もう7年目になろうとする。結局、自分で生きることしかなく、それなりに料理もできるようになり、妻のいない生活にも慣れてきた頃に、忘れていたように妻が大事にしまってあった段ボール箱が子供部屋のクローゼットの片隅から出てきた。

 その中の、妻が昔、僕の原稿のコピーをとり、書類袋に入れてあった1980年代の原稿は、僕自身もすっかり忘れていた。妻もよく乱筆の原稿を取っていてくれたものだと、今さら感謝の思いと、妻もそれなりにサポートをしていてくれたのだと思うと目頭が熱くなった。

 原稿はいくつかあったが、その一部を紹介してみたい。タイトルは『補償問題に思う』である。

 もし、第三次世界大戦が始まるとすれば、北米にいる私達日系人の立場はどうなるのであろうか?アメリカ、カナダの北米に住む日系人にすれば、それは忌まわしい過去の再現になるのだろうか?

 今(1984年当時)、アメリカの一部に第三次世界大戦が、中南米もしくは中近東で近い将来に起こるのではないかと懸念する声がある。

 いま仮に、第三次世界大戦が起こったとしても、かつてとは違って、日本は同じ自由主義の国であり同胞の国であるから、過去のような心配は必要ないと言えるかもしれないが、しかし、今(1984年)アメリカは、日本に圧力をかけて保護貿易になりつつある。繊維問題から始まり、鉄鋼、最近では車や電気製品、さらにその先はコンピューターやロボットかもしれない。(注、現在はすでにコンピューターやロボットの技術で日本は遅れをとっている見方もある。)日本の製品に押されぎみな米国は多くの失業者と、貿易の赤字を抱えている。

 この不況の原因は、日本からだけのものではなく、米国から中南米への輸出の不振とか、ヨーロッパによるアジアの進出によって、米国の輸出が伸びなかったことにも原因しているとも言われる。

 だけれども、日本のみが非難をこうむらなければならないのだろうか。

 過去の第二次世界大戦の時に日系アメリカ人、日系カナダ人の所有する不動産は、本人の意思とは関係なく不当に安く処分されて、多くの日系人が強制収容所に送られたのである。だけれども、当時、日本と同じ敵国のドイツやイタリアの人々にも強制収容が行われたかと言えば、そのことはなかったのである。日本人のみ例外であったのか?

 このことは、自由な国アメリカ、カナダにおける人種差別とも言えるかもしれない。

 今後、日本からアメリカへの輸出は、ますます難しくなるように思える。東南アジアの日本より安い労働力、もしくはヨーロッパの高い技術力と米国市場を競争してゆかねばならぬのか?それよりも貿易の一部を還元する意味で、日本の企業も米国に投資をして(当時、米ドルの切り下げが心配であったが、)多国籍企業になるべきであろう。

 しかし、もし戦争が始まり、再び同じことが繰り返される時に、日系人の財産をだれが守るのであろうか。

 このことは、私達日系人が今(1984年当時)、直面している過去の強制収容に関する補償問題の解決の道の中にあることを知らねばならない。  

(この問題、その後、解決されて、関係した日系人に保証金が政府から支払われた。)

 


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