2017年11月16日 第46号

 人間は一人では生きられないことを思うと、カナダ人でも日本人でも、気の合った人たちと年代を超え、あるいは同年代と友達作りをするのはとても重要に思う。しかし中には『つるむことが嫌い』で、特に「日本人とはいや!」とはっきりと言う移住者の方もいる。

 それはそれで問題はなく、英語人(母語とは限らない)と英語でストレートの付き合いをすることに慣れると「言葉の行間を読まなくていいから」気が楽だと言う。確かにそれも一理あるな、と妙に納得させられる。

 だがそんな人も、時に英語人で日本びいきの人に出会うと「あの人は日本人の心が分かっているので接し易い」などと言ったりして、こちらの頭は『?マーク』で一杯になる。

 長年カナダに住んでいても、日本で生まれ教育を受けた人とのお付き合いは、細部にわたって説明する必要がなく理解し合える気軽さは捨てがたい。またそれが同年代の場合は、出身地は違っても、例えば人生の節目節目で考えることが同じであったりすると情報の交換ができる場合が多い。

 例えば若い子育て世代なら「日本語継承問題」、子供の手が離れた人なら「自分自身の再就職問題」、また大きくジャンプしてシニア世代なら「老後の身の振り方」、はたまた「お墓問題」などがある。

 世界に冠たる長寿国の日本でも、少し前までは死後のお葬式や墓地のこと等を口にすると、「縁起でもない!」とか「そんなことまだ考えたくない…」と敬遠されたものだ。だが時は移り、今は人生の最後を締めくくる「終活」という言葉がまかり通る時代になっている。

 カナダの場合は、西海岸のブリティッシュ・コロンビア州が他州に比べ一番気候が温暖なため、カナダのあらゆる寒冷地の町から終焉の地として引っ越してくる人が多い。事実ビクトリアなどは、昼間外に出ると本当にシニアの姿が目に付きその人口率は21%(2016年国勢調査)である。また元教師という人々が多いのも特徴で、彼等はリタイア後のペンションがとてもいいため物価高のビクトリアでも問題がないと聞く。

 ではそのカナダのシニア達はどのように自分の人生を締めくくりたいと思っているのだろう。知り合いの何人かに聞いてみると、すでにお墓を買って通常のお葬式を選ぶ人、墓地の一角にある自然葬(植物のツルなどで作った棺桶を使いそのまま土葬にして土に還す)を選ぶ人、また公には違法とのことだが、土地柄、海に散骨を望む人など、当然ながらそれぞれだ。

 古い映画になるが、メリル・ストリープ/クリント・イーストウッド主演の「マディソン郡の橋(The Bridges of Madison Country、1995年)」では川に、ジョージ・クルーニーの「ファミリー・ツリー(The Descendants、2011年)」では海に遺灰を流すエンディングが話題になった。

 だが一般的な風潮として、カナダは日本ほど長寿国ではないせいか(G7の中で二番目にシニアの人口が少ない)、社会的に切羽つまった話題にはなっていない気がする。

 老いも若きもいつかは訪れる人生の終焉。移住者で先祖の墓地が日本にある人は、分骨を望んだり、或いは遺灰を小さな骨壺やペンダントに入れて子供たちに残したいと思う人もいるようだ。でもそれでは死者がいつまでも成仏できないのではないか…、そんなふうに思うのは私だけだろうか。

 

日々新聞に載る死亡記事

 


サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)

 

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