2020年2月20日 第8号

 それにしても何とも見上げたジャーナリスト魂だろう、そして世の中にはそのことに遭遇してみないと分からないことが何と多いことだろう。

 この本を読み終わりページを閉じた時、深い溜息と共にそんな思いが深く心をよぎった。

 当書は2017年10月に上梓された本であるが、それからさかのぼること2年半前に知り合いの男性から性的虐待を受けたこと—それを警察に届けたことから始まった経緯を、余すことなく書き綴ったものである。

 あらゆる意味で人生の試練に立たされた若い女性が、旧態依然とした男社会の日本の警察をはじめとする司法と、どのように戦っていったかの詳細が分かる。

 著者の伊藤詩織氏(1989年生)は、高校時代から自力でアメリカに留学する道を開拓し、また日本の大学を卒業後も更にNYの大学でジャーナリズムを学ぶなど、独立独歩で道を切り開きながらひたすら報道関係の仕事や映像作家になる夢を模索していた。大学卒業後もフリーランスとしてNYや東京を基点に、外国の通信社のインターンとして働いていたが、安定した収入を得られる仕事先をあれこれ当たってもいた。

報道ジャーナリストとの出会い

 一方その知り合いの男性(山口敬之(のりゆき)氏ー1966年生)というのは、東京のテレビ局TBSのワシントンDC支局長で、政界の大物たちに顔のきく報道ジャーナリスト。特に安倍首相ご用達記者として、後に『総理』と題する著書さえ出版する飛ぶ鳥をも落とす勢いの中年男性。口から出る名前は知名度の高い有名人ばかり。そんな人と伊藤氏が知己を得たのはNYで生活中のことであったが、まだ20代半ばの若い伊藤氏の頑張りにエールを送り、親身になって就職の相談に乗ってくれていたことで深く信頼を寄せたのである。

 そんなある日(2015年4月)日本で働いていた伊藤氏に、仕事で東京に戻っているからと山口氏から連絡が入った。串焼き屋や寿司屋に連れて行かれたものの仕事の話は何もなく、勧められるままに飲んだお酒で酔いが回り酩酊状態になってしまった。山口氏はそんな彼女を自分の宿泊先のホテルに連れ込み性行為に及んだのである。

 しかし途中で痛さのために意識を取り戻した伊藤氏が、強く抵抗し「痛い、痛い」と何度も訴えたにもかかわらず、彼は力ずくで性行為を継続。殺されるかもという恐怖さえ感じやっとの思いで「痛い。やめて下さい」と叫びトイレに逃げ込み、急ぎ身づくろいをして逃げるように立ち去ろうとした。それを見て「パンツくらいお土産にさせてよ」などと二の句が継げないことを言う山口氏。

 つまるところこの事件は、合意のない人に対するレイプ犯罪であり準強姦と言えるものだが、全ては立証不可能なホテルの密室内Black Boxで起こったことである。山口氏は社会的地位を盾に、同様な行為に及んだ女性が他にもいるだろうとは容易に想像できる。

 しかしそんな彼の誤算は、伊藤氏がこの『事件』を泣き寝入りせず裁判に持ち込んだことであった。想像を絶する精神的、経済的困難、家族との確執、この手の犯罪に対する日本の警察や裁判所での不可解で不当な扱われ方、ネットやマスコミによる誹謗中傷の冷たい目に晒され何度も折れそうになった心を奮い立たせて見事に生き延びた伊藤氏。それは一重に「ここで泣き寝入りしたらジャーナリストとしての自分はない」と思い続けた強靭な精神力であった。

 永遠に続くかと思われた刑事裁判では、背後にいたと思われる黒子によって操作された形跡もあったようだが、確固たる証拠が立証できず不起訴。だが伊藤氏はそこで終わらず、更に民事裁判に持ち込んだことで、心ある仲間の協力を得て事件から4年半後(2019年12月)に勝訴したのである。

後を絶たないニュース

 この数年多くの人が耳にするセクハラ事件に対し、声を挙げ始めた女性たちが起こした「#me too」運動。それはハリウッドで絶大な権力を持っていた監督ハービー・ワインスタイン(Harvey Weinstein)の、多くの女優たちに対する数十年にもわたる性的虐待疑惑が次々に明るみに出たことから始まった。2017年10月には数十名が実名で彼を告発し「ワインスタイン効果」と呼ばれるほどに発展した。

 しかし何と言っても彼女たちは有名人のためニュースにはなるが、声を挙げられない市井の女性たちの泣き寝入り事件は昔から数えきれないほど日常化している。もちろん権力のある女性から男性に対する事件、同性愛者たちの間で起こる事件も念頭に入れなければならない。

 だがどういう状況であれ、人が人を好きになると言うのは人間だけが持つ感情。それ故に深く目合いたいと思うのも人間として不思議ではない。だが暴力によって自分の欲望を満たそうとするのは、何を持っても申し開きのできない卑劣極まりない行為である。

 山口氏は結果を不服とし控訴すると言うが、今後の動きを注視したい。

 

『Black Box』伊藤詩織著 文藝春秋 

 


サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)

 

 

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