イラスト共に片桐 貞夫

 

「ジャップていうのは頭を下げて、へいこらする奴等ばかりだと思ってきたけどよ」

「まったくだ。俺もジャップっていうのは犬みてえに働く奴等ばかりだと思ってきたぜ」

「とんでもねえ。あれは奴等の策(て)なんだ。奴等は、ああやって俺たちをたぶらかしてるんだ。わかるもんか、奴等がなにを考えてるか」

 五人ほどの男が声を交えている。

「バンクーバーのライオット(暴動)をおぼえてるか。あん時は、奴ら、暴れまくったっていうじゃねえか。とにかく一度ジャップを怒らすと手に負えねえらしいぜ」

「そうだ、あれもジャップだった。バンクーバーのジャップ・タウンだったよなあ」

「あん時、ジャップの野郎たちは、サムライ・ソード(日本刀)を振りまわして何十人もの白人をぶった斬ったらしいぜ。女や子供たちまでもが一緒になって、石を投げたっていうじゃーねえか」

 男たちは六年前、つまり一九〇七年に起きたバンクーバー・パウエル街の暴動のことを言っている。しかし真相は違う。事件はバンクーバーの為政者が故意に画策した謀略であった。

 街にあふれる失業者に手をやいたバンクーバーの為政者は、彼等の鬱憤の吐け口を模索した。その槍玉に上がったのがパウエル通りの日本人街であったのだ。不況にもかかわらず、こつこつと財を伸ばしているこの異民族に選挙権はない。日系人こそは宗教を異にする絶好のスケープゴート(生け贄)であった。

 アジテイター(扇動者)にあやつられ日本人街へのやきうちは始まった。雨がしとしとと降る陰気な十一月の日曜日であった。無頼の群は窓ガラスを割り、戸を蹴り開けた。原始の略奪をほしいままに暴れまくった。ところが警察が来ない。いくら待っても、この二十世紀の近代都市に警察隊が出動してこない。そして警察の加護をあきらめた日系住民が、自衛のために自ら立ち上がったのがこの事件であったのだが、新聞の報道も正確さを欠いた。わざわざデマをあおるような記事しか書かず、一般のカナダ人はますます日系人に対する疑懼の念を深めていったのであった。

 ビクター・シモンズ警部長の窪んだ目が暗く濁っている。男たちの話を聞いていなかった。いくらウイスキーを流し込んでもはらわたの中が煮えくり返って止まない。

 怒りは、自らの息子ビンセントに対するものになっていた。

 …アース・ホール(ケツの穴め)!

 なんてぇざまだ。それでも俺の息子か!

 たった一匹のジャップのガキにどうして負けたんだ…

 今回の事件でビンセントは、他のホワイトホークの仲間と共に失神状態で発見されたのだった。

「う」

 シモンズの喉奥から唸りが洩れた。

 …ハロウィーンの時、ブタ箱に入れるべきだった。野球大会のトラブルもあのジャップのガキがくちばしを出したんだ… 

 シモンズのひたいに虫ずがはしった。そして、拳を握りしめるとカウンターに叩きつけた。

「バースタッド!!(くそったれ)」

 サルーンの喧噪が止んだ。酒場に居合わせた全員がシモンズを見た。

「……」

 シモンズが立ち上がった。

 背が高い。天井にとどきそうな巨体である。ゆっくりと辺りを睥睨してから、「いいか」と太い声を出した。

「ジャップは外出禁止だ。どんなイェロー・アース(黄色いケツ)もこの町から出しちゃならねえ。ジャップを見たら報告するんだ!」

 シモンズは言うだけ言うと歩き出した。

 極東の黄色人種が戦争をし、なんとロシアを破って国際間の利害に口を挟むようになった。三等国としての分別もなく中国大陸に進出して先進国を気どった。業を煮やしたカナダ政府は、外交手段に出る前に、北米大陸に同居する日系人迫害から始めたのだ。経済のマンネリ低迷にあえぐ下層階級の矛先は、なんの抵抗もなく日系人の上に向けられるようになったのであった。

(続く)

 

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これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。