「分かった。出て行ってやる!」

「ジョージ!」

 ジョージは木陰から出ると新平の哭声の方向に歩いた。雨がくるのか森の中は暗くなっている。昼前だというのに夜のとばりが降りてきているかのようであった。

 五人が扇状になって待ちかまえている。ジョージは中央で仁王立ちしているビンセントの前に進んだ。

「シンを放せ!」

 ジョージが言った。まだ声変わりして何年にもならないだろうに、その声が沈重なものに変わっている。

 男たちがにじり寄った。棒きれやナイフをあらわにした。

「放してやれ」

 ビンセントが脇下で新平の首を絞めている男に言った。男が腕を解いた。同時に新平の横面を殴りつけた。

「ギャー!」

 めがねがとんで新平の身体が泥沼の上を転がった。

「ワーワー」と喚きながら新平はウサギのように逃散していった。

「バースタッド(ヤロー)」

 比嘉ジョージが声を上げた。

「てめえたちはアース・ホール(ケツの穴ヤロー)だ。汚ぇやり方しかできねえドブねずみだ」

「………」

 しかし誰もなにも言わない。男たちは、ただジョージに目を据えたまま、じわりじわりと迫ってくる。

「たった一匹のジャップをやろうっていうのに五人がかりか。一対一の決闘じゃなかったのか」

 ひとり吠えながらジョージは太い眉を寄せた。

 普段と違う。五人に固有の表情というものがなくなっている。

「……」

 ジョージは喋ることを止めた。口舌の無用を感じたのだ。

 息を吸いこんで下腹を締め、一人一人の気息をとらえてその攻撃に備えようとした。ラルフ、ゴードン、チャック…。ジョセフ以外は幼少よりの敵である。それぞれの習性は分かっていた。

 しかし今日は違う。

 ジョージは、今年の春先に起こった日系人妻失踪事件のことを思った。三週間後に死体が林の中で発見されたが、地元紙「タッパー・ニュース」ですら『コケイジョン(白色人種)ではない』という小さな記事をのせただけで、捜索もそれ以上進まなかった。東洋人の一人や二人が死んだところで警察は本腰をあげない。たとえ犯人が判明しても、それが白人であるとなるとうやむやになるのが通例で、正当な裁判など望むべくもない時代であった。

 …いつもと違う…

 この時、ジョージは男たちの表情に殺気というものを感じ取ったのであった。

 二つの吸気が止まり激しい呼気に変わった。

「サノバ(ヤロー)!」

 チェーンが唸った。ナイフの刃先が左から襲った。

「エィー!」

 比嘉ジョージの両腕が左右に拡がるや腰がくねった。手の平が返った。他の三人が飛び込んできた。

「ヤー!」 「ィエー!」

 身をかわし、五つの凶器に応戦するジョージの拳にいくつかの急所が感じられた。己の肘や膝先が、男たちの眉間や水月にめり込むのが判ったのだ。「茶摘み」や「つるべ」の空手の秘技が、男たちの急所に決まったのが判ったのであった。 

 一瞬のことであった。

 五人が地にのめり、戦闘不能になったのを知るとジョージは走った。ジョージも傷を負っている。血の溢れ出る身体を引きずって、ことの重大性にうろたえた。男たちの殺意を感じ取ったジョージは技の加減を忘れて反撃した。人の命を断った感触がジョージの手元に残ったのだ。

 ツイン・リバー(川)の交じり合う所まで来ると歩けなくなった。呼吸だけを繰り返してうずくまっていると、新平が林藪の中から出てきた。ジョージは起こってしまった現実を改めて思い、自らの「死」というものを思ったのであった。

「大潮を見てえ」

 ジョージが口を開いたのは、雨が本降りになってから大分たったあとであった。

「見てえんだ」

 デッドマン岬に行きたいと言っている。かなりのけがをしているというのにジョージはニキシク海峡の大潮の流れを見たいと言っているのだ。

(続く)

イラスト共に片桐 貞夫

 

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