思いがけない演奏
生まれつき全盲の辻井伸行さんは2009年『ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール』で日本人として初の優勝を果たして以来、国内外で活躍する注目の若手ピアニスト。今回、UBCのセント・ジョンズ・カレッジが音楽学部とアクセス&ダイバーシティー課と共催した『Beyond the Screen: Disability and the Arts』の招聘で来加した。
この企画の一環として実現した辻井さんのリサイタル(10日)のチケットは、学生らを中心にまたたくまに完売。ウエイトリストは300人にも上ったという。リサイタルに先立ち、セント・ジョンズ・カレッジでは8日に辻井さんを囲んでのトーク会を開催。出席者約100人の半数は、リサイタルのチケットは取れなかったがせめて顔だけでも見たい、という日本人だったようだ。
会場内にはグランドピアノ。もしや?の期待に添うように辻井さんはピアノに座るとドビュッシーの『月の光』を静かに弾き始めた。会場内がしーんと静まり、甘く切ないドビュッシーの旋律が流れると、感動で目頭を押さえる人の姿も。
さらに、ショパンの『華麗なる大円舞曲』『ノクターン作品27-2』リストの『ラ・カンパネラ』と続いた。

音楽にバリアはない
8日のトーク会では、出席者から寄せられた質問に熱心に応えてくれた。その一部を紹介する。

障がい者の音楽教育というのが今回のテーマですが、辻井さんの場合は?
「僕は言葉でより音楽で思いを伝えるのが得意だと思っています。みなさんに感動してもらえるような演奏をしたいという気持ちは子どものころから変わっていません」

どのようにしてピアノを学びましたか?
「点字の楽譜もありますが時間がかかるので、小学校のときは右手と左手を別々に録音してもらったものを聞いて曲を覚えました。バイオリンは4歳から小2までしましたが、両方は大変なのでピアノに絞りました。練習が嫌だと思ったことは一度もありません」

いつからピアニストになりたいと思いましたか? 1日の練習時間は?
「10歳のころから人前で弾くのが大好きで、将来は国際コンクールで弾くのが夢でした。練習は多いと きには1日8時間くらいですが、しない日もあります」

演奏前の緊張対策は?
「人前で演奏するのが楽しみなので、お客さんがいるとリラックスして、緊張というものはありません」

世界ツアーでの楽しみは?
「もちろんコンサートも楽しみですが、僕は食べたり飲んだりするのが好きなので、その土地のたべものが楽しみです」

ストレス解消は?
「水泳や森を歩いたり山登りです。体力もあるし、よく食べてよく寝るので時差ぼけもありません。カラオケも好きで(笑)、演歌とか氷川きよしさんの歌なんかを歌います」

作曲するときのインスピレーションは?
「自然の中に行くと曲が浮かびます。風の音や鳥の鳴き声、小川のせせらぎとか。『コルトナの朝』という曲は、音楽祭で行ったイタリアのトスカーナで朝、窓を開けたときの小鳥の鳴き声やひまわりやオリーブ畑の気持ち良さから作りました。『それでも、生きてゆく』は大震災への追悼と、あきらめないでくださいという希望を込めて書きました」

これからの予定は?
「ショパンやドビュッシーは子どものころから大好きです。まだ若いので、いろいろな作曲家の作品を解釈して表現力を深め、より多くのお客さまを楽しませるような世界のトップピアニストになりたいと思っています」

UBCでのリサイタル
客席から「ありがとう」

「ドビュッシーとショパンは僕の心に通じるものがあります」と話す辻井さんは、10日のリサイタルでドビュッシーの『2つのアラベスク』『ベルガマスク組曲』『版画』『喜びの島』、ショパンの『華麗なる大円舞曲』『スケルツォ2番 変ロ短調 作品31』『幻想ポロネーズ変イ長調作品61』『英雄ポロネーズ』の全8曲を演奏。
何度も深いお辞儀をしたあとのアンコールでは自作曲『それでも、生きてゆく』を含む2曲を演奏。会場からの大きな拍手に答えるように客席に向って笑顔で手を振り、さらに2曲を演奏してくれた。
演奏することが本当に好きだという気持ち、全身全霊を注いで作り出す音は、多くの人に感動以上のものを与えた。客席からは「ありがとう」の声援も聞こえた。

被災地への想いを込めて
自作曲『それでも、生きてゆく』は、2011年3月の震災直後、被災して大変な人たちへの想いを込めて、アメリカツアーのアンコールで即興的に演奏したもの。これにエグザイルのATSUSHIが歌詞を書き下ろす形で制作した楽曲『それでも、生きてゆく/EXILE ATSUSHI&辻井伸行』が5月1日に発売される。

3月10日は日本では大震災の起こった3月11日にあたることから、辻井さんはこのリサイタルを犠牲者や遺族、被災地や世界中から手を差し伸べてくれた人たちへ捧げた。また2月27日に亡くなった音楽家ヴァン・クライバーン氏への追悼も込めたという。

 

(取材 ルイーズ阿久沢)

辻井伸行さん
1988年東京生まれ。4歳からピアノを始め95年、7歳で全日本盲学生音楽コンクール・ピアノの部第1位。98年、10歳でオーケストラと共演してデビューを飾る。
2009年にアメリカで行われた『第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール』で日本人として初の優勝(金メダル)を果たして以来、日本を代表するピアニストの一人として国際的な活躍を繰り広げている。07年、エイベックス・クラシックスより《début》でCDデビュー。
2011年に上野学園大学演奏家コースを卒業。現在はピアニストとして国際的に演奏活動を行う一方、映画『神様のカルテ』のテーマ曲を皮切りに、ドラマや映画音楽を手がける若手作曲家としても注目を集めている。
09年『文化庁長官表彰』(国際芸術部門)。10年『第11回ホテルオークラ音楽賞』及び『第1回岩谷時子賞』受賞。12年、映画『神様のカルテ』で『第21回日本映画批評家大賞・映画音楽アーティスト賞』受賞。
オフィシャル・サイト http://www.nobupiano1988.com/

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