2016年9月29日 第40号

 ずいぶん前のことだった。1990年の初め頃、このあたりがコールハーバーと呼ばれる以前に建てられた海辺のコンドーに、私は事務所を持っていた。

 1380スクエアフィートのオフィス兼2ベッドルーム+デン、2バスルーム。眺めが良く窓の外左側はライオンズゲート・ブリッジ、右はパンパシフィック・ホテルからセカンドナローまでずっと見渡せる。ウエストバンクーバーの山々と家々や、クリスマス時期には、スタンレーパークにあるヨットハーバーからクリスマスキャロルのライトアップした舟が列なして湾を回るのが見える。夏にはウエストバンクーバーの山側から海に虹がかかる。早朝は真っ白なアラスカンクルーズを終えた豪華船が、橋の下をとおり抜け戻って来る。その豪華船は、陽を浴びながら、夕方にはまたクルーズに出港していく。

 窓際に立つとハッとするような見事な眺めの部屋だった。私が住むのは6階、といってもG階がありM階があり、そして、1階、2階、3階となっているから正式には8階である。桐島洋子先生が一緒に買おうと言い出しっぺで、私は8階に、彼女は9階、つまり11階に小さな庭付きコンドーを買った。

 私はそこを事務所に使ったが、洋子先生はあまり使っていらっしゃらなかった。

 ある日私は上野千鶴子さんに出会った。どうして知り合ったか今でも不明だが、多分、誰かのご紹介だったと思う。UBCの鶴田先生、または洋子先生かも知れない。つまり分かったことは、空いている11階のコンドーを、上野千鶴子さんが一夏借りられたということだった。

 上野さんが、数冊のしっかりした分厚い本を持って私を訪ねて下さった。そして、物わかりの悪い私に一生懸命色々お話して下さって、その本を貸して下さると言われたのだ。ちょっと手に取ってみたが、とても私には難しくて読めそうにない。躊躇している私に、彼女はこうおっしゃった。「澄子さん、社会学と言うのはね、物事を縦から見たり、横から見たり、上下から、斜めからと色々な角度から見て行く学問なの」と…。私は「ハー、そういうものですかぁ」と言ったきりだった。

 何回かお会いして、グランビルアイランドに一緒に行ったりした。彼女はご自身で運転される白い車に乗っていらした。イタリア料理の食材をよく買われたように思う。とにかくそれ以来、「社会学」の話は出なかった。ご帰国後、彼女は1冊の本を贈って下さった。『「あ・な・た・た・ち」自我からの癒し』という本だった。「上野千鶴子文・高畑早苗絵」であった。文と絵が半半くらいの本で、こんな私でもこれは読めたし、考えさせられる内容だった。表紙の裏に「Dear Sumiko With Love Chizuko」 と書いて下さっている、私の大切な本だ。受取り人の能力まで考慮されて本を贈られるのか。感謝と共に、彼女の心使いが数十年後の今も忘れられず、しみじみとその心の温かさを思う。

 社会学とは…上下、左右に斜めから、横から、そして、後ろからかぁ。

許 澄子

 

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