2016年9月22日 第39号

 このごろ、〔難聴〕でも〔歩行難〕でもよい、手足が動くうちは家にじーっと閉じこもらず出歩くことにして忙しくしている。昨年7月29日自分の車に左足を曳かれ、〔歩行難〕になった。もうそろそろ1年もたつのに正座ができない。

 「つんぼ(難聴)」と「びっこ(歩行難)」と馬鹿にする」人もいるけれど「人間誰も大差ない」と思っているから、それほど私は傷つかない。それより驚くべきは、人の親切だ。捨てたものではない。

 まず、カナダライン、乗れば必ず誰かが席を譲ってくれる。 

 もっとすごいのは、私が長年所属している色々な団体だ。「年長ですからご退会を…」といつ言われるか戦々恐々としているが、『励ましの声』こそ聞くが、未だ「お辞めになったら?」とヒントはない。時には難聴の親の面倒をみたことのある経験者が、隣席で優しく通訳をして下さる時すらある。

 何の『会』でもグループがまとまるには、必要上『雛壇』ができる。私の知る幾つかの会の『雛壇』の上に座る人は特に人間的なやさしさがあり、それが会員全体に広がる。かなりの教養を土台にしていて、苦労人でもあり、互いが支えあっている。そして、事実、役に立たない老婆にも優しく立場を作り、何かの形で(皆はそれを意識せずに)生きる応援をしてくれているのだ。感謝と共に、私はそこに生き甲斐すら見出している。沢山の感動と感激がその人々との触れ合いの中にある。ありがたいなぁー。

 そして相田みつをの詩『感動いっぱい』。

「人間が生きると言う事は毎日何かに感動し、感激して行くことだと思います。昨日は気が付かなかったものに、今日はあらたな発見をし感動する。年と共に顔に皺は出来ますが、心の中に皺は作りたくありません。心の中に皺が出来た時、人間は感動しなくなるのではないでしょうか? 感動、感激にお金はかかりません。一生悟れなくていいから、感動一杯、感激一杯の命を生きたいと思います」

許 澄子

 

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