2020年2月6日 第6号

 知人宅に飾られていた船の水彩画が爽やかで、見ていて明るい気持ちになったのが、描き手・橋本潤一さん(大阪出身・バンクーバー在住80歳)への取材動機だ。

年始にアップした自画像

 「それは海王丸の絵ですね。スティーブストンに寄港した時に描いたもの。最近描いたのがこれで」と携帯で見せてくれたのは二つの自画像。緻密に描かれたものはピンとこなかったが、特徴をデフォルメしたイラストのほうはユーモラスでほっこりとした味わいがあった。フェイスブックに二つをアップした際も、私と同じ反応があったそうだ。そんなリアクションが橋本さんの絵を描く楽しみの一つになっている。

ロブソンスクエア、栗本日本庭園ー建築家の経験

 中学時代に漫画を描いては友人と戯れていた橋本さん。社会に出てからも、送別カードに思い出の一シーンを風刺漫画的に描いてはプレゼントしてきた。一方、仕事で描いてきたのは、もっぱら建築設計の作図や透視画。建築家としての50年近い年月の多くをカナダで過ごしたが、手がけた代表的な事業はロブソンスクエアの設計である。カナダを代表する建築家アーサー・エリクソンに引き抜かれ、1973年に美術館、裁判所を含むバンクーバー都心の一大プロジェクトに参加。その中央部の設計に、屋上庭園や水の流れを取り込んだのは画期的なことだった。そしてエリクソンからは仕事のやり方だけでなく、「人格作り」も学ぶことができたという。橋本さんの手による公共建築は、アルバータ州立大学付属の栗本日本庭園と小沢亭茶室という伝統文化を重んじるものから、環境負荷ゼロの現代的施設までと幅広い。

建築設計の道から潔く転身

 設計のコンセプト作りには建物の役割、利用者の使いやすさ、立地環境、風土、文化等、多くの点を考え合わせた。社会を説得するためには科学と創造性両面からのアプローチが必要だった。そして理想のゴールに向かい、飛び石のないステップを進める力になったのは「惑わぬ姿勢」だ。そうして予算や建築技術など、現実の困難にも自らの誇りをかけて挑んだ建築の仕事を、73歳できっぱりと辞めた。同じ環境に身を置けば、否が応でもかつての競争相手の動向が目に入る。そこで「エドモントンの自宅を売り、事務所のスタンプも返上してバンクーバーにリタイアしたんです」。こうして設計とは離れたが、仕事への姿勢はそのまま絵に向かった。

研究、実践、そして手応え

 対象決め、構図、デッサン、色使い、筆選び等々、それらをいかに構築していくか。絵を描く一回一回が挑戦である。「特に大きな作品は描き出す前の準備が大変。水彩なので色の準備から何から計画しておかないと」。色作りは、エドモントンのコミュニティセンターで美術講師から学んだ「赤、青、黄の三色だけから色を作る技法」をもとにしているという。

 普段は万年筆とコンパクトな水彩の道具を持ち歩く。そして「ドキッとするもの」に出会うとすぐスケッチブックにデッサンし、その場で色付け。一見孤独な趣味だが、橋本さんはバンクーバーでのデッサン愛好家の集まり「アーバン・スケッチャーズ」の会に時々参加している。20代からの十数名が喫茶店や浜辺に集まり、思い思いにデッサンする活動だ。「シアトルから始まった活動が今は世界中に広がっています。好きなものを描いて互いに見せ合いながら話すのが楽しいですね。それと作品をグループのウェブサイトに上げてコメントし合ったりね」

 橋本さんにはフェデレーション・オブ・カナディアン・アーティスト(カナダ画家連盟)のメンバーとしての活動もある。昨年は連盟の主催するワークショップでバンクーバー島バンフィールドでの合宿に参加した。海岸にイーゼルを据えてがっちり絵に取り組んでいると先輩格の画家が見て回っては助言をくれる。「その場のリアルな情景に浸りながらのアドバイスは一番学びになります」。またこの時、海岸で見た約1億年前の地層が盛り上がった景観が、30年以上毎夏出かけたロッキー山脈での同様の地層を思い起こさせ、自然への探究心も湧き上がった。

 カナダ画家連盟ではコンテストに出品し、評価を受ける面白さもある。橋本さんの作品が入賞し、グランビルアイランドのギャラリーに展示された時、友人の来場時にはすでに作品が売れて存在しなかったことがある。展示期間中だけは作品を戻してもらうようギャラリーの主に願い出たが、「母の誕生日に贈りたい」と買っていった人物の居どころはわからずじまい。以来「知らない人に買われて行方がわからないよりも」と友人たちにプレゼントするようになった。記者が見た海王丸の絵もその一つだ。「どれも自己満足ですけどね。自分には大きな社会貢献はできませんが、小さな事が今後もできれば」。芸術を通じて己の道を進み、芸術を介して人と触れ合う。向上心と好奇心を動力に橋本さんの静かで熱い挑戦が続いている。

(取材 平野香利)

 

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