♪男いのちの純情は

燃えて輝く金の星

夜の都の大空に

曇る涙を誰が知ろ

昭和十一年 古賀政男作曲 藤山一郎 唄

 

カビの生えたような古い歌で恐縮だが、まあ何で今更…などと云わないでしばらくおツキ合い下さい。

東京・神田にあった私のデザイン事務所に、ある時一人の青年が訪ねてきた。名前は千山三郎君(仮名)、 奈良県出身のグラフィック・デザイナーで二十三歳だった。

聴けば、まだ専門学校を出て間がない。参考として携えてきた作品もまだ如何にもシロウト臭くてすぐには戦力になりそうもない。しかし私のところで働きたいと云う希望だった。

私もスタジオを持って間がない時で、おまけに私の仕事は立体デザインだったので少々迷った。
しかし彼の作品を見ると色彩が美しい。デザイン・テクニックとしてグラデーションの技法(色彩を徐々にボカす)が多く性格の優しさ、悪く云えばもろさを感じさせるものの、いつか力になってくれそうな気がしてスタッフの1人になった。
彼は翌日から私のスタジオで働きだした。我を張らない性格なので既にいる何人かのデザイナーにもスンナリ溶け込んでいる。

二十三歳にしては髪の毛が早く後退するタイプで、それを同僚から指摘されると真っ赤になって「ホンマに困ってますねん…」小さくなって照れることシキリ。

履歴書を見ると以前勤めていたデザイン事務所が、同じ神田で、さして離れていない。どうして辞めることになったのかあまり話したくないらしく、聴くのもやめた。履歴書には一身上の都合により…と書いてある。

立体デザインと云っても、どうしてもグラフィック感覚で処理する部分があって、千山君に徐々に仕事をまかせた。
案の定、彼の好きな、色彩を少しずつボカス技法、グラデーションが多い。多すぎる。
必要以上に色の遊びをするとデザインがアイマイになってしまうし主張がなくなってしまう。しかし、それを指摘されると顔を真っ赤にして「これがないと、僕はデザインがデケシマヘンねん…」と頭を抱えている。

ある秋のこと、四人のスタッフを連れて中央線沿線の渓谷に釣りにゆくことになった。当時私は中央線の小金井市に住んでいた。土曜日に皆私の家に泊って日曜日の早朝に出発することになった。

土曜日の晩、食事が終ってくつろいでいる時、誰かが千山君がテレビの前に座って下を向いている…と云う。 
見ると歌謡曲の番組を見てはいるのだがTVを見ずに、下を向いたままで体を縮めるようにジッとしている。
どうした?とそばに行って顔を覗き込んでみると顔が真っ赤である。聴いてみると今、TVで歌っている歌手を正視できないと云う。TVを見ると、のちに夜明けのスキャットと云う曲が大ヒットした女性歌手Y・Sさんが熱唱中。ソプラノの美しい声だった。

下を向いて額に汗を浮かべながら彼が云う。「僕はこのタイプに弱いんですネン…この人を見ていると顔が熱くなってきて、恥ずかしくてみていられないんです…。ホンマに…」見れば体がカチカチに硬直している。

だけど相手はテレビだろう。向こうは君を見てないんだヨ!?しかし、もう彼にとっては理屈ではないらしい。時々TV画面の中のY・S嬢と目線が合って、その時どうしても目を伏せてしまうらしい。

「こりゃ駄目だ」かなり重症だと思った。ここまで行くと、もうファンを通り越している。
数年後、彼が会社を辞めて他のスタジオに移籍した。どうも理由がハッキリしないものの前途を祝って送りだすしかない。

移籍先はそれほど離れていないらしく時々遊びにきてくれるのが嬉しかった。

そしてそれから一年も経ったころ、彼が一人の女性を連れて現れた。赤い顔でニコニコしている。「この人と結婚することになりましテン…」何のことはない。彼は以前つとめていたデザイン事務所に戻り、前々から心を寄せていた同僚だったこの女性にプロポーズしたらしい。
そしてアッと思ったのは、その女性が、かのY・S嬢と驚く程ソックリ。前の会社を辞めたのもこの人にドキドキして一日中仕事にならなかったかららしい。

「この野郎!」事情が解った私は髪の毛の後退した彼の頭をヘッド・ロックした。なぜか目が潤んで仕方がなかった。

 

2011年11月10日号(#46)にて掲載

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