東京で仕事に追いまくられていた当時のことである。
東京の築地にあった仕事場から歌舞伎座の前を通り十分程歩けば三原橋。あと五分も歩けば銀座四丁目と云う辺りに老舗のTと云うサウナがあった。

 

一日の仕事が終るのが、どうしても夜八時を過ぎることが多くて、電車に乗る前になんとかして一息つきたくなる。
そんな時、好きなラーメンでも啜って腹ごしらえをして、サウナ風呂に入った。サウナの大ファンだった。

 

サウナ風呂というのは不思議なもので黙って座っているだけで、まるで森の中を一時間も走ったあとのように汗をかいて、しかも疲れがとれる。
尤も汗をかくサウナルームの中の温度は軽く百度をこえていて時によっては百十度。よく髪の毛が燃えださないものだと思う。汗も出る筈で、まるでドシャ降りの雨の中を歩いているように汗が吹き出す。
サウナ発祥の地はフィンランドの方だそうで誰が考えたのか知らないけれど、ノーベル賞でもあげたくなる程、短時間で疲れがとれる。
短時間と云っても初めは先ず普通の風呂に入り、汗をかく体勢を作る。それから「それでは…」と云う感じでおもむろに百十度のサウナルームの扉を開けて雛壇のような木造りの椅子に腰をおろす。
余程からだが冷えていない限り三分もすると、玉のような汗が吹き出し、十分もすれば汗まみれとなって暑くてガマンできなくなり酸欠のダボハゼのようになって外に飛び出す。
シャワーをあびたら今度は低温度の冷水風呂に転がるように飛び込む。この冷たい水に火照った体で飛び込むのはサウナ好きの最大の山場で、体がジュッと音を立てるような爽快感がある。
目を閉じれば、昔子供の頃、夏休みに川へ飛び込んだような感覚が思い出され開放感で気分はしばし恍惚(こうこつ)となる。
こんな事を四〜五回繰り返すと、いつの間にか一日の疲れもどこかへ吹き飛んでしまって、さあ明日も頑張ろう…と云う気分になるのだから不思議。考えてみれば安上がりのリ・フレッシュではある。

 

カナダに住んで暫くした後懐かしくてTサウナを訪れた。一人で暑いサウナ室で目をつむり瞑想中、ドスンと云う音がして大きな人が隣に座った。見れば当時、相撲協会の理事長である元横綱だった。
巨体に圧倒されたものの事のついでに、次第に上位に外国人力士ばかりが台頭してきた角界に不満を持っていた私は理事長に今後の日本人力士の展望などをきいてみようと思った。
しかし、元々この人の笑った顔も見たこともなく、見れば眉の間に八の字寄せて目をつむっている難しそうな表情を見たら云えなくなった。
ウッカリご機嫌を損じて頭突きでも喰らったら大変。再起不能は先ず間違いないと思ってやめた。君子危うきに近寄らず。


ある年の十二月、師走の町が一段とせわしなく感じられる頃、例によって仕事を片づけて私はまたTサウナのドアを押した。暮れも押しつまったサウナはさすがに大勢の人で混み合っている。一年の疲れを落そうと云う人達がサウナ室の雛壇にビッシリ並んでいた。
こんなに大勢人がいると、精神的にリラックスするのは無理のような気がした私は、二度程サウナ室で汗をかいて外に出た。 
タオルを腰に巻いて、いつも手首にはめているロッカーの鍵を探したが無い。「アッ!!」ロッカーの鍵をかけなかったことに気がついて、あわてて衣類を入れたロッカーの前に行き扉を開ける。
心配した通りの結果だった。ロッカー室の中のコート、Yシャツ、背広上下、ネクタイ、腕時計、勿論財布もキレイに無くなっている。
あるのはパンツとメガネそれに靴下と靴、ランニングシャツ。
なんとか最低限のものは残してくれたようだ。ドロボウにも五分の魂…。温情が身に滲みた。残ったものを身につけて鏡の前に立ったものの、どうしても様にならない。


見ようによってはマラソンの帰りのようだが、それにしては革靴だしパンツもトランクスタイプではなくブリーフだ。
いくら考えても無いものは無いのだ。仕方なくメガネをかけてやむなく師走の街に出た。お金もないから家までマラソンの振りをして走って帰ろうかと思った。気が動転しているからタクシーを拾う事を忘れていた。
スレ違う若い女性がまるで汚い物でも見るような目で私を見る。「嫌だあ…」等と云う声もきこえる。タクシーの運転手がどうした、どうしたとうるさい。


鼻水をすすりながらようやく家にたどりつき冷え切った手でドアをたたいたら、出てきた家人が「ギャッ」と云ってまたドアを閉めた。

 

2011年11月3日号(#45)にて掲載

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