幼い頃の生家の風呂は小判型をした木製のもので、当時は井戸からバケツで水を運び薪を燃やして湯を沸かした。
井戸から水を運ぶのも大変だった記憶があるけれど子供の足腰の鍛錬には間違いなく効果があったような気がする。

その風呂桶もいつの間にかプラスチック製となり、水道の水をそゝぎ入れ薪に替わって火力はガスになった。
小判型で釜たき式の風呂は大変だったものの人間の労力を感じながら入る一種の有難味があった。

大量生産型の便利な風呂が当り前のようになってしまった日本からバンクーバーに移り住み更にサンシャイン・コーストの小島に住んだ。
風呂桶はどこにでもあるご存知の寝そべるタイプで、首までドップリ湯につかると云う訳にはゆかない。
首まで湯に浸ろうと体をズラして横になると、たまに人間工学上あらぬところとご対面…。あわてて姿勢を正したりするのでどうも落着かない。だから湯の浅いバス・タブは未だに好きになれない。

部屋の暖房。電気のヒーターは確かにスイッチ一つで便利だけれど暖めた空気にやわらかさがなくて、どことなく鋭角的。幸い壁にハメ込まれた薪を燃やすストーブがあるので出番が多くなる。薪が燃える炎を見ていると心がなごむ。薪の種類によって異なる木の香りが家の中に満ちて、マイルドな暖かさがありがたい。

薪屋に頼んで軽トラック一台分の薪を持って来てもらう。ほゞ三ヶ月分の薪だが、木を三ツ割にした程度なので、これを更に斧で燃え易い太さに割らなければならず、今迄そんな経験もなかったので慣れるまでは一苦労だった。

黒沢監督の映画「七人の侍」の中で俳優の故千秋実が斧で薪を割るシーンがある。侍らしい見事な斧さばきだったが仲々あんな具合にはゆかない。
手袋をはめ、長靴をはき、メガネをかけて身をガードするものの買ってきた斧は六キロもある。頭の上までやっと振り上げやおら振りおろしても中々薪の中心に命中しない。ひどい時はカスリもしないで一旋した斧の先が足の先端に当りそうになる。これはエライことになったと思った。元々剣道の心得もなく長いものと云えば野球のバット位しか持ったことがないから無理な話である。

かくなる上は修業を積むしかない。さりとて今更道場にかよって剣の教えを乞う時間はもうない。
そう云えば昔、銃剣術の腕を自慢していた父親が薪を割る時、日本の歴史に出てくる武人の名前をとなえると云っていたことを思い出した。薄暗い物置の中で早速それを実行する。一種の精神統一だ。

出来れば剣豪の名前をとなえた方が良いと思った。宮本武蔵と口の中で呟いて斧を振りおろす。不思議と当る確率が良くなって来た。荒木又右衛門、三十六人斬りで名を馳せた伊賀国の剣客である。命中率八割。
柳生十兵衛三厳、荒木又右衛門の剣の師である。益々当る確率が向上した。戦国の武将、伊達政宗…と続いた。これは一体何なのだろう…と思う程、斧の空振りがなくなってエネルギーの無駄づかいが少なくなってきた。

しかし悲しいかな知っている剣豪や武将の名前には限りがある。段々口の中で唱える名前がなくなってきた。でも薪割りをするたびに少なくとも、三、四十回は斧を振りおろさなければならない。
従って同じ剣豪が何度も登場することになって忙しい。

武田信玄、織田信長と云ったいわゆる日本の歴史上に輝く名将にも登場してもらったがどうもうまくゆかない。偉すぎて、薪割りにはなじまないのかも知れない。

ある時、剣豪の名前が出つくして次の名前を模索していた時、家の前を栄養満点この上なしと云える金髪婦人が通った。スカートから出た足などは見事としか云いようがない。
剣豪の名前にゆきづまっていたので、この第一印象を呟いた。

「荒木股ズレ……」
渾身の力を込めて振りおろした斧だったが、結果は大斧が薪の中心をはずれ、信じられない方向に飛んだ薪が右足の向こう脛にイヤと云う程の強さで当った。
ウーッ!とうなる程の痛さで、しゃがみ込んだ。長靴なんか何の役にも立たなかった。天罰テキメン!ズボンをまくって見たら弁慶の泣きどころに今迄見たこともない程大きな内出血である。

反省することシキリだった。何事も真面目に取り組まなければいけなかったのだ。しばらく右足をひきずるようにして歩いた。以後当り障りのない剣豪ばかり。剣豪の一覧表が欲しい。

 

2011年11月24日号(#48)にて掲載

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