2020年3月5日 第10号

一九八五年に発足したバンクーバー短歌会が、二◯一九年の十二月をもって、その三十四年にわたる活動の幕を閉じた。短歌会はバンクーバー新報とも縁が深く、紙面ではこれまで会の作品を掲載してきたほか、弊紙に載ったお知らせを読んで入会したという会員もいる。今回は、これまでの会の沿革について、また解散時に在籍の会員九人からのコメントを掲載。会員は月一回の歌会を通し、それぞれの日常の中で生まれた想いを歌に注ぎ込んできた。短歌会の歴史を感じながら、十二月の最後の歌会で発表された歌も味わってほしい。

 

昨年12月に行った最終歌会での1枚。写真の7人のほか、日本からオンラインで2人が会に参加

 

バンクーバー短歌会の沿革 佐藤紀子

 一九八五年に発足したバンクーバー短歌会は、昨年末をもって解散しました。その間、開いた歌会は四百十回。第一回の参加者は五人だけでしたが、記録を辿ってみて、会員数は、延べ五十人ほどになるのがわかりました。

 会としては、発起人の高橋安子さんが、設立から数か月で帰国されてから一年程は模索の時期でしたが、その高橋さんのお力添えで、一九八七年から日本のコスモス短歌会の選者、鈴木英夫先生(北原白秋の弟子)の通信指導が受けられるようになった頃には、毎月一度、定期的に開催され、会員も歌作や批評に慣れて、だいぶ軌道に乗って来ていました。

 試行錯誤の結果、鈴木先生の通信指導の形式は、書記が歌会に出された作品とそれについて出た意見や質問などを記録して、航空便で送り、先生がコメントや解答を書き込んで返送してくださるという形に落ち着き、以後、二〇〇六年に先生が九十四歳になられるまで続きました。

 鈴木先生の引退後、少し期間をおいて、二〇〇七年夏から、同じくコスモス短歌会の歌人、松尾祥子先生(当時四十代)に、メールによる通信指導をお願いしました。

 歴史・文化などに通じた鈴木先生の、大きく包み込むような指導と、今の歌壇の趨勢に通じた松尾先生の、筋道のしっかりした指導とは補い合うものがあり、生徒としては、非常にありがたく勉強させていただきました。

 会場も、二〇〇七年から日系センターに定着し、何かと条件の揃ってきている時に解散してしまうのはもったいないとは思いながら、高齢化している現状からみて、今が解散の時であると決心致しました。

 これまでお世話になった方々に、改めてお礼を申し上げます。

 

◆会員からのコメント

粟津 三寿
 名残り
 ひとすじの流れ星、魂のなき宇宙の個体、その消ゆる時はこだわりも残光もなし。魂のあるが故か、人は亡きあとに心をくばる。四百十回を数へし短歌会を令和元年十二月十三日に閉づ。此の会の在りしこと、後世の人の語るとも我ら知ることはなかるべし。されど少々気にならぬこともなし。
 バンクーバー新報様、皆様、長い間ありがとうございました。さようなら。
解散を告ぐる最後の歌会に花もかざらず第四百十回

柏原 草太
 五七五七七という定型の中にことばを押し込める作業が苦にならなくなった頃、この会は解散になった。会員の平均年齢が七十数歳に達していたから、それもやむなしであるが、月一回で四百十回続いたその歴史は誇るに値すると思う。
 言葉を探す行為はあたかも自分自身を探し歩くことに似ている。いままで会ったこともない自分に出会う旅は時々は苦行に感じられたが、詠み終えたときは、サナギから蝶になった気分であった。日本文化の核である日本語は短歌などの詩歌にその伝統と本質を見る。ぜひいつか又、若き世代に受け継いでもらいたい。

唐木 浩
 私は、二十歳でカナダに移住した。もう五十年以上の昔である。そこで会ったのは、明治時代の気風を残している老人たちであった。
 開拓や強制移住、それに天災に耐えてきたこの先人たちは、全てを「大和魂で生きてきた」と言われるので、その聞きなれない言い方に驚いた。
 時を経て、私も老人となった。短歌会に誘われ、日本的感性でカナダの風土を歌う楽しさを知った。これからも、若い方々にカナダをいとおしんで欲しい。短歌に限らず、日本に培われた感性で、カナダ人でさえ気が付かないこの国の良さを見出していけたら、カナダはさらに良い国になるだろう。
 日本的な全てが、先人の苦闘で磨かれ抜かれていて、異文化の中ではそれが鋭利なツールである。日本人であることが、カナダでは美しい個性となる。

近藤 由美子
 心のアンテナ
 年齢を重ねるにつれ鈍くなりがちな心のアンテナ。その埃を払い、先端を出来るだけのばして受信に努め重ねた短歌会の二十五年。
 家族の、友の心、自然との対話、社会、絵画、旅…様々な対象から心のアンテナは題材を受信し続け、その上、十人ほどの会員から発信される様々な電波にも大いに刺激を受けてきました。
 短歌会は解散しても、心のアンテナはまだまだ錆びないように大事に手入れを続けて行きたいと願っています。

佐藤 紀子
歌会を立ち上げましし先輩の置き土産なり〈うたの火種〉は
白き灰被せて燠を保つごとカナダの〈うたの火種〉護らむ。

西林 節子
 二〇〇七年バンクーバー新報で見つけた「短歌会へのお誘い」という小さな記事で短歌の世界につながり、七十歳の手習いでしたが、短歌の魅力に取りつかれ会員の方々との交流にも支えられて楽しくも充実した歳月を過ごすことが出来ました。現在日本に住む私には異国の地で美しい日本の言葉や調べが受け継がれていること、そのために努力する人々の存在がかけがえのないものに思われ、この度の閉会が惜しまれてなりません。

三木 紀子
 昨年十二月の短歌勉強会をもって、バンクーバー短歌会が閉会しました。二回目から参加し、鈴木、松尾両先生にご指導いただき、また会員の方々の熱意に励まされて何とか最後まで続けられたことに感謝しています。その時々に心に触れたことを掬い上げて纏めた短歌は、カナダで過ごした想い出に繋がり、私の宝物になりました。この後、バンクーバーで短歌好きな方が集い、再び短歌会を発足して下さることを念じています。

八木原 昇
 「退職したら趣味の一つとして短歌をやりたい」と心がけておりましたところ、バンクーバー短歌会に入会させていただき、短歌を通じてより深い思考力や探求心を持つ習慣が出来ました。 自分の掌にある時間だけを数字で追うよりも、こうした道を選べたことを、幸せに思っております。 残りの人生に、この会で得られたものを役立たたせていきたい心境であります。  ありがとうございました。皆様方のご健康をお祈りいたします。

柳谷 幾代
 ずっと以前から、バンクーバー新報で短歌会の案内を見ては、一度参加したいと憧れていながら、やっと参加できたのは二〇一三年。入会後は、月に一度の短歌会を心待ちにする日々でした。その後、日本に帰り、短歌会へはメール参加になりましたが、今思えば、詠草の提出は、私の日常の中での励みでした。それがなくなるのは寂しい限りですが、これも時の流れですね。皆様との繋がりができた事は、私の大切な思い出です。

 

バンクーバー短歌会 会員作品(十二月)

月々の歌会の朝は新たなる心ととのへ行きたるものを(粟)

瞬きのやうに短く秋は往き垣根に赤き山茶花二輪(幾代)

秋寒むに目覚め呼吸をととのへるヒマラヤ越ゆる鶴の夢見て(唐)

宴をへ歌詠み人ら皆去りてバンクーバーにあそぶ言霊(柏原草太)

闘病し逝きたる兄の葬儀終ふ帰路の成田の空は血の色(沙羅)

芭蕉翁曰く「いひおほせてなにかある」余白余剰は日本の美学(節子)

シャッポーをかぶる角度もハイカラとヒルトンホテルの客を見てをり(のぼる)

ヘアサロン、ネイルサロンとスパに行き友はさらりと九十になる(のりこ)

柿の実の色づく庭にありし日の父母そばに来て眺むる夕陽(みき)

(取材協力 バンクーバー短歌会)

 

歌文集(手前より会の機関誌「紫野」および会員の歌集(手製)、2列目右より歌集共同研究、会員の歌集、3列目右より会員の歌集(手製)、左3冊は会解散にあたっての所感集、会発足から20年指導に当たった鈴木英夫先生からのメッセージ抜粋集)

 

2000年にバンクーバーで開催された、日本歌人クラブ主催 第3回国際交流短歌会

 

 

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は今号をもちまして終了いたします。

しかし、日系コミュニティーに支援されて41 年余り続いてきた新報を存続させたいとの思いから、オンラインによるウェブサイトでの情報発信を継続することになりました。

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2020年7月1日より公開されました新バンクーバー新報サイトは以下となります。

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