2020年2月27日 第9号

カナダに日本人が移民してきてから140年以上が経ち、日系カナダ人は3世、4世、5世へと移行してきている。2月15日、ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市の日系文化センター・博物館で、日系人の世代間の会話を促すイベント「Tsunagu つなぐ」が開催された。企画したのは、日系3世のルーシー・コモリさんとコニー・カドタさんで、日系博物館が協力した。参加者65人、ボランティアやパネリストなどを合わせると100人近くが集った。

 

ルーシー・コモリさん(左)とコニー・カドタさん

 

 最初に日系博物館ディレクター/キュレーターのシェリー・カジワラさんがあいさつ、このイベントを企画したコモリさんとカドタさんへの謝辞を述べると共に、参加者にはぜひ博物館の展示も見ていってほしいと話した。続いてコモリさんが、カナダのさまざまな地域出身の幅広い世代の人たちが、自身の経験や家族の歴史などを語り合い共有できることを期待していると話した。次にカドタさんは、第2次世界大戦中、日系カナダ人が強制収容された経験について、それほど語り継がれていないことがこのイベント開催のきっかけだと述べ、このイベントを通して多世代間での理解がより深まるとよいと話した。

基調講演

 カレン・コバヤシ博士は、ビクトリア大学の社会学部教授、社会科学部のリサーチ及び大学院副学部長などの肩書を持つ。バンクーバーの隣組の理事長や日系博物館の理事の経験もあり、現在はビクトリア市の日系文化協会の理事などを務めている。トロント出身の日系3世で、祖父母と両親はレモンクリークとスローカンバレーの収容所にいたという。まず、ジョイ・コガワ氏の著作「Obasan」から「語ることのできない沈黙がある。語ろうとしない沈黙がある」という一節を紹介した。強制収容の経験を子どもたちと積極的に共有してきた親がいる一方で、ほとんど語ろうとしない親も多かったのだ。

 「自分は良い環境の中で育ってきた普通のカナダ人であり、周りにはさまざまな人種や職業の人たちが暮らしていた。両親がいて、きょうだいがいて、ガレージには車もある典型的な家庭。多少の違いはあったかもしれないが両親も同じような子ども時代を送ったのではないかと思っていた。祖母の家に行ったとき、キッチンで大人同士が話していて『かわいそうね』『恥ずかしいね』といった言葉が時折聞こえてくることはあった。それが何を意味するかは分からなかったし、大人が話していることにはそれほど関心を払っていなかった。

 毎週土曜日の日本語学校や日系文化会館でのイベントなどで、他の日系3世と交流するようになった。とはいえ、学校の友達のほとんどは白人であり、家では日本語を話さなかった。トロントの日系文化会館で会う自分の親世代の人たちが『キャンプ』の話をしていた。私は『キャンプってなに?なんか楽しそうだけど』などと思ったものだ。自分の両親はどうしてそういう思い出を自分に話してくれないのだろう。疑問は募るばかりだった。

 父が7歳のとき、真珠湾攻撃が起きた。それまで住んでいたポートアルバーニでの生活についても、ヘイスティングスパークへ連れていかれた時や、レモンクリークまでの道のりについてもあまり覚えていないという。だが『キャンプ』での生活のことは覚えている。そこで経験した困難や苦労も、また楽しい思い出もあったことを。戦後、父は日本に行くことになった。日本での生活は鮮明に覚えているという。カナダ生まれの日本人として、差別、生活上の困難といったいわゆる帰化2世としての苦労を味わった。約10年後、父はカナダに戻り、家族と共にトロントに住み始めた。

 父は過去についてこう振り返った。『強制収容は自分の人生に大きな影響を与えた。時が経ち年を取ったいま、それがよく分かる。我々は同等に扱ってもらえなかった。そんな状況において自分ができるベストのことをしてきた。目標は達成したし、自分の成し遂げたことも誇りに思っている。もしきちんとした教育を受けていたら、もし戦後に生まれていたら、もっといろいろなことができていたかもしれない。しかし今は幸せだし満ち足りてもいる。スムーズにいかなかったけれど、それは『仕方がないね』。置かれた状況でベストを尽くすしかない。強制収容を経験した1世や2世は、自分のことだけ考えず協力し合って助け合わなくてはならないということを、日系コミュニティーに教示したと思う。だから我々の世代からはビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのような人物は生まれてこなかったのだ。1人か2人のとても高いレベルの人間を生み出すよりも、多くの人間がそこそこのレベルで成功することの方が良い、そう我々は思うのだ』。この言葉に私は素晴らしい学びを見つけた。個人的にも仕事をする上でも、私の人生に影響を与えた。そして父の娘であることに誇りを持ち感謝している。歴史を世代間で伝承していくこと、コミュニティーを共に築き上げていくこと、知恵や知識を共有すること、それが日系コミュニティーを素晴らしいものにしていく力となるのではないだろうか」

パネルディスカッション

 パネリストとして参加したのは、メアリー・キタガワさん(2世)とその息子のランドン・キタガワさん(3世)、マイケル・アベさん(3世)とその娘のナツキさん(4世)、ケビン・イソムラさん(3世)とその娘のケイラさん(4世)。モデレーターはコバヤシ博士が務めた。3つの質問に対してそれぞれが考えを語った。抜粋したものを紹介する。

 質問1「自分の家族の強制収容についてどのくらい知っているか」

マイケル「13歳までそういったことには全く関心を持っていなかった。その後、日系人の歴史に関心を持ち調べたりするようになった」 メアリー「両親と私たちはそのことを話し合っていたのでよく知っている。政治的なことも話した。両親は私たちに歴史的事実としてきちんと伝えたかったようだ。自分の心にしっかりと植えつけられている」

ランドン「祖父母からもよく聞いていた。祖父は自分にとって、苦難を乗り越えてきた尊厳のあるロールモデルだった。祖父母や両親が経験した苦難は理解してきたと思う」

ケビン「母はヘイスティングスパークに収容されたこと、スキーナに移されたことなどを話してくれた。しかし過去のことだからと、両親ともあまり多くは話していなかった」

ケイラ「自分の家族の物語というより日系人の歴史という感じで捉えていると思う」

 質問2「強制収容はどんな影響をあたえたか」

メアリー「自分らしくあること、自分の在り方を否定しないことを学んだ。両親は自分たちが日系人であることの誇りを忘れなかったと同時に、許すということの大切さも話していた。忘れてはならないが、そこから何かを学ぶということを子どもたちにも教えてきたと思う。意志を強く持ち正義を追求することは、自分たちのためだけでなく、コミュニティーのためでもある」

ケイラ「日系人や自分の家族の歴史を知るにつれ、自分の人生に対する考えが変わっていった。日系コミュニティーにもっと関わるようになり、文化や歴史を学ぶようになった。また、自分と同じ日系4世と知り合う機会も増えた」

マイケル「周りは白人ばかりで自分も白人のように過ごしていた。学校のプロジェクトで家族の歴史を調べることになって、日系人としての自分を意識し始めたと思う。祖母は強制収容のことについて『仕方がないことだった』というタイプの人だった。過去は過去。今は孫たちも仕事をして、家庭を持って幸せな生活をしている、それが何よりだと言っていた」

ナツキ「以前は漠然とした知識を持っていた。しかし、それと自分の家族とのつながりはあまり見えてなかった。自分の家族に実際に起こったことだということを知るようになり、歴史を学ぶ観点が変わったと思う」

 質問3「自分のアイデンティティーは何か、人生の中でそれが変化したことはあるか」

ケビン「日系カナダ人と思っている。日本とは文化的な違いを感じることもある。それでも日本の文化は素晴らしいと思うし、自分がそのバックグラウンドを持っていることは誇りにも思う」

ケイラ「日系4世であり中国系のカナダ人でもあると思っている。自分が複数のバックグラウンドも持つことができたのは、ある意味特権だとも考えている」

メアリー「日系カナダ人。同時に自分自身であることに誇りを持っている」

ランドン「日系カナダ人。日本から来た祖父母を持ち日系2世の両親を持っているということは、自分のアイデンティティーにおいて大きな意味を持っている」

マイケル「幼少の頃は白人と思っていた日系3世というところ。日本の歴史や伝統、文化にとても興味を持っている。日本をバックグラウンドとしていることもうれしく思っている」

ナツキ「日系4世であり日本人の母を持つ新2世。母は日本から来た1世なのでカナダ人とは違うが、自分が日系カナダ人だということには変わりはないと思う」

活発な意見交換がおこなわれた午後の部

 オタワでカナダ連邦政府機関に勤務しているキャロリン・タテイシさんは、BC州に出張で来るタイミングでこのイベントがおこなわれることを知り、参加することにしたという。午前の部が終わった段階での感想を聞くと「とても興味深かったです。日系カナダ人である自分や家族との類似点も多く見出せました。私も成長するにつれて、日系人の歴史などについて理解を深めてきましたが、ここに参加した中にも同様の経験をしている人が多いと分かりました」と語った。午後のグループディスカッションで、他の参加者と経験談や意見を共有できることを楽しみにしているとのことだった。

 昼休憩の後、コモリさんとカドタさんが作成した「Sedai」が上映された。3世と4世の日系人としてのアイデンティティーを考察したショートフィルムだ。その後、7〜8人のグループに分かれてディスカッションがおこなわれた。グループ分けでは多世代が混じるようにされており、それぞれのテーブルにはモデレーターがついた。ディスカッション後にはグループごとに話された内容をまとめて発表した。

 強制収容の歴史は語り継がれなくてはならないものという意識は、常に日系コミュニティーに存在している。世代交代や日系人以外との結婚によって人種的バックグラウンドが多様化する中、日系人としてのアイデンティティーも変化しつつある。これからの日系コミュニティーのあり方も含めて考えさせられるところが多かった。

(取材 大島多紀子)

 

カレン・コバヤシ博士

 

ディスカッションのパネリストの方々

 

 

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