2018年1月1日 第1号

バンクーバー新報紙上で小説を連載している片桐貞夫さん。挿絵も描く多才ぶりを発揮するが、小説もイラストも勉強したことはないという。現在弊紙では、埼玉文学賞正賞を受賞した『心の壺』が連載中だ。この連載の終了後、いったん掲載を休止する予定だという片桐さんに話を聞いた。

 

片桐貞夫さん

 

小説執筆の下地なくとも文学賞受賞

 掲載を休止する理由について、「もう4年以上掲載していただいているので、そろそろ疲れてきまして。イラストもこれまでに240枚くらい描いているので、そろそろ休んでもいいかな、と思いました」と話す。これまでに掲載されたものは、ほとんど全て短編の部類に入るもの。「長編だとあまりにも長くなってしまって、読者が分からなくなっちゃうんじゃないかと思って」。

 小説を集中的に執筆していたのは1996年頃から2004年までとそれほど長い期間ではない。2013年から弊紙に掲載された作品は、ほぼすべてその間に執筆したものだという。「2004年に子供を失ってショックを受けて、それから書くことを止めていたんです。一生懸命書いていたのは3〜4年間くらいのものです。その間に集中的に書いた小説のうち、約11編がさまざまな文学賞の最終選考に残ったんです」。

 国語の授業は嫌いで、本もそれほど読んでいないという片桐さんが小説を書いてみようと思ったのは、長く続けてきた空手について伝えたいという強い気持ちからだ。そして書き上げた長編作品は戦中戦後の沖縄を舞台にして、数奇な生を受けた青年が自分の母親や村に対する非道な行いに対して復讐を図るという物語。「主人公は古来からの伝統的な空手の技を使って、相手をやっつけるわけです。本来、空手はこういうものなんだということを書いたわけです」。その作品『黒潮に哭く』が、2004年、文芸社という出版社のフェニックス大賞の月間優秀賞を獲得した。

 21歳で日本を出て、それ以降の人生のほとんどを海外で過ごしている。昨今の日本の状況はよく分からないので、最新のハイテク技術を駆使した犯罪ものなどといった現代的な作品は書けそうにない。また、日本の歴史に興味を持っているが、江戸時代の武士の話を書くというほどの知識もないので、時代物といっても明治や大正などの近現代を舞台にした作品を書いているのだと話す。

 現在連載中の『心の壺』は、2000年に埼玉文学賞を受賞した。執筆にあたって埼玉県のどこかを舞台にしようと考え、登場人物の一人である老婦人を埼玉県の寄居町出身という設定にした。地図を見てみると川や山があり、カナダに移住してきた日本人女性の故郷としてぴったりだと考えたからだという。片桐さん自身は横浜の出身で、寄居町には行ったことがない。そこで、観光案内所などから資料を取り寄せてイメージを膨らませていったという。「(埼玉文学賞では)審査員の3人全員が推薦してくれたそうです。大抵は意見が割れてしまい、3人一致ということは今までなかったそうなんです。このあとにもう一つくらい賞を取れたら、モノになったかもしれないんですが…。最終選考には残るものの、賞はいただけず残念ですね」。とはいえ、各文学賞には相当な数の応募があるはずなので、最終選考に残るだけでもかなりの実力であることは確かだ。

 

構想はどのように得るか

 小説を書くというのは大変な作業だと思うのだが、片桐さんは「どんどんいろんなものが沸いてきて、ペンが勝手に動いていく感じ」だといい、あまり苦労はないというので驚く。頭の中でストーリーを組み立てるときには、理屈に合うように、そして読者にわかりやすくするために、どうやって話を持っていくかを集中して考える。こうして構想を練って、「かなりこみいったストーリーながら、破たんすることなく最後まで持っていける」と評される小説を作り上げる。

 そんな小説の構想はどのようにして得るのか。「何かをきっかけにしてできるんですよね。例えば、『お母さん、あなたが言ってくれなくちゃ、誰もわかんないじゃない』というセリフからストーリーが発展していったこともありました」と独特な発想法を語る。琉球(沖縄)出身の女主人公リュウが活躍するシリーズも4編ほど書いている。「日本の悲しい境遇の女の人を描くとともに、そうした女の人を沖縄から来た女が救うというストーリーですね。リュウは空手のような古武道の使い手ですが、下手すると相手を殺しかねない技を持っているので、(そこまでの目に遭うような)相手はかなり悪いことをしている人に仕立てないといけない」というように登場人物も組み立てていく。

 カナダに住む息子を訪ねてきた日本人女性が主人公の『二十七人目の女』という作品は、中絶医として働く息子が抱える過去の傷について描いている。「中絶というのは、日本ではあまり抵抗なく行われていますが、こちらでは強く反対する人も多く、こうした違いも日本人の関心をひくんじゃないかなと思いました。また、知り合いに中絶を支持している人がいて、中絶がなぜ必要かということを話してくれたことからも構想を得たといえますね」。

 そして、他の作品とは少し毛色の違う童話のような『アルタイとソロンガ』では、人間と動物の感動的な友情を描く。この話の元は片桐さんの父親が作った物語から着想を得ている。「僕の父はお話を作って子供たちが寝る前に聞かせるのが好きだったんです。僕は末っ子でそれらの話をあまり覚えていないのですが、どうしてか、この話は覚えていて、それをちょっと脚色して変えたのがあの小説です」。

 『掘割川』という作品は、片桐さんの父親が育った横浜の山手地区を舞台にして書かれた。時代設定も父が子供だった頃のものにして、昔ながらの日本文化の良さも表現しようとした。「いかに日本が貧乏であったか、お互いに助け合っていかなくてはならなかったかということ、そして日本がいかにきれいな国であるかということを、僕は必ず小説の中に謳っているんです」。今の日本人に、日本の良さを再認識してもらいたいという気持ちがあるという。それは海外に出て外から日本を見ているからこその視点ともいえる。

 2004年以降、執筆活動からは遠ざかっていたが、最近、亡くなった息子さんのことをモチーフにした小説と、自分の人生の回想録のようなものを書いてみたという。ただ、発表することを前提とした小説については、構想などは今のところ特にないそうだ。

 

さまざまな経験を経て 

 若くして日本を飛び出して、オランダに2年ほど住んだ。そこで知り合ったカナダ人に誘われたのがカナダに来たきっかけだ。日本に帰りたいと思っていたので、ほんの半年ほどのつもりでいたのが永住となったのは、ヨットを買ったからだという。オンタリオを経てバンクーバーに来てから、板金工場で職を得て「1970年代当時では結構高額の時給3ドル50セントをもらってたもんだから、これならヨットが買えると思っちゃって」、中古のヨットを購入。ヨットで世界一周も考えたが、古いヨットだけにあちこちガタがきていて断念。それでもハワイまで辿り着いたという。その後は飛行機の操縦免許も取り、小さな飛行機でアラスカに行ったり、99時間かけて中米を旅して回った。ヨットでも飛行機でも「何度も死ぬ思いをした」といい、目の前に座っている物静かな語り口の紳士の姿からは想像できないような冒険談を聞かせてくれた。ただ、「それが自分の人生のプラスになっているとは思わないんですね。僕は不眠症だし、くよくよする性質なので、冒険なんてすると肉体的にこたえるタイプなんです。だから本来なら、ああいうことはしないほうがいいんですが。(こうした冒険の話は)自慢していいことだとは思わないですよね」という。

 小説を書く上でひとつだけ苦労していると思うのは、日本語の単語や文法などを知らないことに気づかされることだという。「小説家のくせに字を知らないなんて不届きだと思いますよね」といい、小説を書いている間は辞書と首っ引きだと笑う。

 「日本の人に楽しんでいただける小説を書きたいですね」という片桐さん。新報読者には、「この4年間、多くの人に読んでいただき、またサポートもしていただいて感謝に堪えません。現在連載中の『心の壺』を最後に掲載を一時休止しますが、次回掲載の折にもぜひ同様によろしくお願いしたいです。また、小説に対するコメントなどを思いついたら、お知らせいただければうれしく思います」というメッセージ。読者からの反応はものすごく励みになるとのことなので、ぜひバンクーバー新報まで感想を寄せてほしい。

(取材 大島多紀子)

 

埼玉文学賞小説部門正賞を受賞した際の新聞記事

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。