2017年4月13日 第15号

ブリティッシュ・コロンビア(BC)州政府森林・土地・天然資源管理省は4 月1日、日系関連史跡56 カ所を州政府公認日系歴史遺産として登録したと発表した。

同日に、登録された歴史遺産のひとつバンクーバー日本語学校並びに日系人会館で発表会見が行われ、州政府からはテレサ・ワット国際貿易大臣およびアジア・パシフィック戦力・多文化主義担当大臣とナオミ・ヤマモト緊急事態対応担当大臣、バンクーバー日本国総領事館からは内田晃主席領事が出席した。スティーブ・トンプソン森林・土地・天然資源管理大臣は欠席した。

この日は、戦前この学校で学んでいたという元生徒や現在ここに通っている生徒など、関係者約100 人、生徒約80 人が集まり、公認登録を祝った。

 

 

歴史遺産に登録されたバンクーバー市アレキサンダー通りにあるバンクーバー日本語学校並びに日系人会館(通称アレキサンダー日本語学校)。この辺り一帯は「パウエル街」としても登録された

 

強制収容関連施設が多く登録

 公認登録された56カ所のほとんどが強制収容関連施設だった。日系人強制収容を語らずに、カナダの日系史を語ることはできない。1942年4月から始まった強制収容は、今年75周年を迎えた。

 ワット国際貿易相は、多くの人が、その土地にまつわる思い出や物語、日系コミュニティにとって歴史的価値のある史跡を多く応募し、「我々の歴史の中で(日系社会に起きたことが)忘れ去られることなく、重要な教訓となるよう今回のプロジェクトに尽力してくれた皆さんに感謝します」と語った。

 発表が行われたバンクーバー日本語学校並びに日系人会館の歴史を紹介し、カナダで最初の日本語学校として1906年に建設され、以来、紆余曲折を経ながらも日系コミュニティの歴史の生き証人として、今も現役で日本語・日本文化継承の役割を担っている建物に、そしてそれを支え、守っている日系の人々に敬意を表し、こうした場所が多く登録されたと語った。

 強制収容を経験した両親を持つヤマモト大臣は、今回の日系歴史遺産プロジェクトで、「今回の発表だけではなく、ここまでの過程でコミュニティがひとつになった」と語った。

 

BC州日系歴史遺産認定プロジェクト

 今回の発表は、昨年7月7日に同校で発表された「BC州日系歴史遺産認定プロジェクト」の結果発表だった。

 今回認定された日系歴史遺産は、一般からの公募をジャパニーズ‐カナディアン・エバリュエーション・チームが厳選し、最終的に56カ所に決定した。一連の作業に当たっては、日系歴史遺産認定プロジェクト諮問委員会や日系レガシィ委員会のほか、非営利団体ヘリテージBC、森林・土地・天然資源管理省、国際貿易省およびアジア・パシフィック戦力・多文化主義担当省など、8団体・組織が協力し実現した。

 応募総数は264カ所。そこから二重応募や史跡場所のグループ化などで候補を176カ所に絞り、登録56カ所を選定した。応募時の条件は、推薦場所にはその理由を添えること。今回のプロジェクトに携わったBC州多文化諮問委員会アンジェラ・ホリンジャーさんによると、応募された全ての場所にそれぞれの物語が添えられていて、その一つ一つに思い入れがあったと語った。

 昨年の応募開始発表時には9月を締め切りとしていたものの、反響が大きく、BC州だけではなく、アルバータ州、マニトバ州、オンタリオ州などからも応募があり、11月末まで応募期間を延長した。強制収容でBC州を離れた人々の中には、いまだに心に傷を抱えBC州に戻ってこられない人もいる。そうした人からの応募も広く受け付けるため応募期間を延長し、今回の結果となった。

 ワット大臣は、今回の応募数に「圧倒された」と語った。前年には試験的プロジェクトとして中国系歴史遺産の公募と登録を実施した。「その時は、日系ほどの数は集まらなかった」とワット大臣。公式登録数も中国系は21カ所。「今回の結果にとても感銘を受けている」と語った。

 ヤマモト大臣は、父はレモン・クリークに、母はニュー・デンバーに強制収容されていたと話した。今回登録されたところは、多くが強制収容関連。すでに知っていることも多いが、「知らない物語もあって、まだまだ調べることも多い」と言う。

 今回の登録の目的は、こうしてすでに知られているところも、もう一度その背景にある物語を知ってもらい、あまり知られていない場所には光を当てることにある。公式登録歴史遺産56カ所と、公式登録からは漏れたものの候補となった176カ所については、ヘリテージBCのサイト(インタラクティブ・マップ)で見ることができる。一つ一つの遺産カ所に詳しい説明が添えられている(英語のみ)。https://secure.heritagebc.ca/japanese-canadianmap/?lang=en

 

日系の遺産を未来へとつないでいく

 最前列で会の進行を見守っていた同校元生徒の那須喜美子さんは、日本語学校の思い出を「自分たちの一生のプレーグラウンド。友達はみんなここでできたから」と語った。現在95歳。それでもはっきりと覚えている。学校での楽しかったことも、強制収容も。「移動の時はトロントに動かされたんだから」。1952年にBC州に戻ってきた。62年にバンクーバーに。今回学校が登録されたことを「もちろん」うれしいと喜んだ。

 その近くに座っていた雄松(おまつ)真一さん。87歳。「ここの学校は1年生から。1936年からです」。記念行事があると招待されて訪れるという。バンクーバーには12年くらい前に戻ってきた。それまではカムループスに。学校が登録されたことに「うれしいことですね」と笑った。

 こうして大先輩が駆け付けた学校には、現在約400人の生徒が学んでいる。この日は生徒会副会長斎藤キラン優樹さんがあいさつ。3歳から13年続けて通っている、この学校を「生徒として誇りに思っています」と語った。たくさんの友達や先生に出会えた。「これからもがんばりたい」と胸を張った。

 戦前には約1200人が通っていたという。その頃は日本語学校としての役割が大きかっただろうこの学校も、今では日系コミュニティの中心的存在として、日本語、日本文化、伝統、そして日系の歴史を伝える役割も担っている。何と言っても111歳の生き証人だ。

 オズボーン斎藤智香子理事長は、日系コミュニティが「自分たちの手で守り通したこの場所で(今回の発表があったことは)何よりも意味があると思います」と語った。温故知新を実践していくのは難しい。それでも「大変であり、一番大事なこと」として、これからもここで、この学校が担っている、次の世代へとつないでいく役割を果たしていきたいと語った。

 内藤邦彦同校理事も「歴史の一環としてきちんと記録されることは学校として、とてもうれしい」と語り、「しっかりと後世に伝えられることが大事」と教育機関としての役割を再認識した。

 昨年の一般公募発表会にも出席した内田晃在バンクーバー日本国総領事館首席領事は「(強制収容開始から)75周年の今年、こういう形で記念登録されて非常にいいことだと思います」と語った。

 この日はヤマモト議員の父・山本正まさのぶ進さんも駆けつけた。ここの生徒ではなかったが、6年生まで日本語を習っていたという。今回のプロジェクトを聞いた時、「何も心配してなくてよかった」戦前の子供の頃にいた缶詰工場のあった場所を思い出したと語った。しかし、その後強制収容が始まる。

 「胸の奥深くで、(強制収容は)我々(日系人)に影響を与えていると思います。日系人以外にも影響を与えていると思います。そして(こうした機会に)こういう場所に来ると時代が変わったことを実感しますね。BC州の発展に貢献した場所が歴史的遺産として認定されるのを見るのは、うれしいですね」と語った。

 戦前多くの日本人が太平洋を渡りBC州に移民してきた。バンクーバーやスティーブストンをはじめとする多くの地域で日本人・日系人が生活し、缶詰工場や製材所、商店街など、日系コミュニティを営んでいた。

 しかし1941年12月7日、日本軍による真珠湾攻撃を理由に、カナダ政府は日系人の強制収容を実施。約2万2千人がBC州沿岸から強制的に移動させられた。

 実は今回の日系歴史遺産認定発表会見は、4月に行うことにこだわっていた。今月が強制収容開始から75年目にあたるからだ。そして4月1日は、1949年の同日に日系人の強制収容が完全に解かれ、自由に移動ができることになった戦後初の日でもある。しかし日系人はすでに多くのものを失っていた。最大のものは日系人としての「アイデンティティ」。

 日系歴史遺産登録は、こうした過去を見つめ直し、未来に向かう通過点。これから若い世代がここから何を学び、どう教訓として未来に生かしていくのか。それができて初めて真の歴史遺産となるに違いない。

(取材 三島直美)

 

 

認定書を手に新旧生徒が共に記念撮影。左から、岩中亜美菜ちゃん(前列)、ワット国際貿易相、川本マリーさん、雑本(さいもと)律さん、雄松真一さん、宮本すみよさん、たなかグレースさん、ヤマモト大臣

 

 

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