2017年4月6日 第14号

今、なぜ振り返る必要があるのか

バンクーバー海洋博物館では、今年3月24日から来年3月25日まで、The Lost Fleet と題した展示を開催している。 「世界初」の企画と同博物館は言う。その展示は、海にまつわる話の単なる紹介にとどまらない。

 

 

没収された後、集められた日系漁船、1941 年12 月10 日(Library and Archives Canada 提供)

 

The Lost Fleet 企画の背景

  バンクーバー海洋博物館は、1959年に開館された。以来、太平洋の北西沿岸と北極圏に関する歴史や保護を、さまざまな角度から捉え独創的な展示を行ってきた。カナダ国外での巡回展示になったものもある。高い評価を得てきた数々の企画を実現していく一方、同館が「バンクーバー」と「海洋」にからみ、注目してきた過去の重要な出来事がある。

 それは、太平洋戦争勃発直後、カナダ政府がブリティッシュ・コロンビア州の日系カナダ人漁民から漁船を没収したことから始まり、それが日系コミュニティー全体での財産没収・基本的人権の剥奪へと発展した歴史だ。

 「太平洋を渡ってくる移民にとってカナダの玄関口となるバンクーバーの歴史と、日系カナダ人漁民の歴史は密接につながっている」と、海洋博物館学芸員ダンカン・マクロードさんは言う。

 世界では今、シリアをはじめとする国々の難民問題の表面化と深刻化が進み、難民受け入れという点ではカナダもその渦中にある。このような状況を背景に、The Lost Fleet(失われた漁船団)と題する展示の企画はタイムリーに決定された。

 

財産没収の最初の標的「漁民」

 1941年12月7日、日本軍による米国真珠湾攻撃のニュースが、カナダでもラジオを通して繰り返し報じられた。その後、BC州の日系カナダ人漁民がカナダ海軍から尋問を受け、彼らの漁船が没収されるまでに24時間とかからなかった。財産没収がなぜ即座に漁民から始まったのか。

1・アジア人への人種差別

  1877年、永野萬蔵がBC州ニューウェストミンスターに到着。最初の日本人移民となる。この頃には、カナダではアジア人への人種差別が進んでいた。特にBC州では、アジア人に対する憎悪・差別が国内で最も激しかった。その原因の一つに、BC州には中国系をはじめとするアジア系移民が他州より多く住み、彼らが集団として目立ったことが挙げられる。これが非アジア系の人々には脅威と感じられた。

 「白人のブリティッシュ・コロンビア」へのアジア人侵食を恐れた政治家は、課税、教育、 就職など諸分野で「差別政策」を制定していった。

2・日系漁民排斥の機運

 日系漁民のBC州定着は、1883年、スティーブストンの本間留吉に遡る。

 同88年、和歌山県三尾村の工野儀兵衛がスティーブストン到着。工野の呼びかけで同村からの漁民が年々増加。

 1897年、本間留吉は、『The Dantai』と呼ばれた日系漁民団を結成。漁業許可証の取得、缶詰工場との契約・価格交渉など、日系漁民の地位向上と労働条件の改善に取り組んだ。

 日系人口の増加と相まって、日本語学校、病院、寺院の設立、日本語新聞の刊行など、コミュニティーとしての組織化が進む。その大きな原動力となったのは漁業だった。 

 しかし、器用で工夫に富み、働き者の日系漁民に対する白人漁民からの風当たりは厳しかった。連邦ならびに州政府は、白人漁民からの苦情を聞き入れ、日系漁民のエンジン動力付き漁船の使用禁止や漁業許可証の削減などを決定。日系人を漁業から締め出そうとした。

 折しも、日清戦争(1894年〜95年)、日露戦争(1904年〜05年)で日本は勝利する。しかし、この結果をBC州の人々は、「日系人は攻撃的」という考えに結び付けた。

3・日系漁民への疑い  

 「日系人は攻撃的」であるとともに、「信用できない」という考えもBC州の人々には あった。これは、州沿岸に住む日系漁民たちが、カナダ社会に溶け込もうとしないと思われ、疑いの目を向けられていたことにもある。

 その疑いとは、日系漁民の中には日本海軍から偵察のため送られてきた者がいる、二世の中には日本で軍事訓練を受けてきた者がいる、戦争が始まれば、これらの者が日本側に情報を流すというような風評からくるものだった。

 また、魚を追って海や川を 行き来し活躍する日系漁民は、港湾の様子や状況をよく心得ており、戦争が始まれば日本軍へ情報を与えると考えられていた。

 日系漁民への、このような疑いが排斥感情と重なりカナダ社会にあったため、太平洋戦争が始まるやいなや、日系コミュニティーの中でもまず漁業従事者が財産没収の標的となった。

 

没収された日系漁船

1・カナダ海軍 「漁民予備役」による没収

 真珠湾攻撃の後、カナダは日本に宣戦布告。「戦時措置法」を発令した。数時間後、日系漁民の前に現れたカナダ海軍も、同じ漁民であった。

 カナダ西海岸の長く入り組んだ港湾や河川について知識や情報を持つのは漁民。こう考えたカナダ海軍は戦前から、日系と先住民以外の漁師、つまり白人漁師を予備役Fishermen's Reserve としておき、戦争など非常事態が起これば、彼らが所有する漁船に乗って沿岸パトロールや救助の役を担うように備えていた。そして、太平洋戦争が勃発するや彼らが命じられた最初の仕事は、日系漁船没収のための出動だった。

 日系漁民たちは、Fishermen's Reserve に抵抗もせず、むしろ協力的だった。カナダに忠誠を尽くそうとする日系カナダ人は、船は没収後すぐに返してもらえると思ったからだ。

2・失われた日系漁船団

 真珠湾攻撃の翌日12月8日の明け方までには、日系漁民1265人が有していた2090の漁業許可証が無効となった。彼らの中には、第一次世界大戦中、カナダ軍兵士として参戦した者が37人いた。没収された漁船の数は1137隻。

 漁船没収を言い渡された日系漁民たちは、その場で船に乗り、隊列になって、スティーブストンやニューウェストミンスターまで船の移動を命じられる。しかし突然の命令で、自宅に戻って食料や暖房用燃料を用意したり、身支度などはできなかった。

 12月の海は暴風雨で荒れていた。船は進まず、大波に襲われる。濡れた衣服と空腹からくる寒さで震える。しかし、体を温める術はない。船から木材をはがし、それを燃やして暖をとる。1日半で着くところが5日をかけて命がけで到着した者もあった。

 スティーブストンに到着し船を降りた後は、友人や親戚に交通費を借りて戻った者もいた。

 集められた船は、大小・型の区別もなく繋がれ放置された。潮の満ち引きへの配慮もされず、漂い、打ち上げられ、傷ついたり沈んだりした船もあった。

 一方、西海岸での日系漁民による大量の水揚げを失ったことにより、戦時協力で英国に送り出す缶詰生産に危機を感じたカナダ政府は、「日系漁船売却委員会」に対し、没収した漁船を迅速に売却するよう要請。船は非日系漁民、缶詰工場、個人、軍などへ、破格の安値で売りさばかれた。

 

The Lost Fleet 開催の意義

 The Lost Fleet の展示はまず、BC州の日系漁民が主に和歌山、滋賀、広島、鹿児島県から渡ってきたことを日本地図で示す。

 日系コミュニティーの発展と並行しながら高まっていくアジア人排斥の状況は、1907年、バンクーバーの日系商店で店頭のガラスが無残に打ち割られた写真からも分かる。

 カナダ海軍から尋問を受ける日系漁民の困惑と失意の表情、圧倒されるほどの数の没収された日系漁船が適切に管理されず漂い、不当な価格で売られていったことを示す当時の記録なども写真と共に説明されている。

 さらに、戦中、「敵性外国人」となった日系人が、BC州沿岸から160キロ幅の「保護地区」からの立ち退きと内陸への強制移動・収容という経験、1949年の「戦時措置法」解除を経て、1988年に日系コミュニティーとカナダ政府が戦後補償の合意に達するまでの経過もたどる。

 しかし、この展示は歴史を振り返るだけではない。学芸員のダンカン・マクロードさんはこう説明する。

 「真珠湾攻撃が起こるや、カナダ海軍が日系漁民から漁船を没収するまでの時間的な早さは、カナダ社会で日系人に対する差別・排斥の感情がいかに根付いていたかを物語っている。同じようなことが繰り返されることはないだろうか。歴史から何を学んだか、それをどう生かすかは、国の質にかかわること」

 多民族国家カナダは、自国で過去にあった民族排斥からの学びを基に、現在世界で起こっている難民問題や社会的弱者・少数者へ、どう対応していくのか。「国の質」が問われる時だ。

 「日系」を超えて、グルーバルな視点から歴史を捉えようとするこの展示を、今開催する意義は大きい。

(取材 高橋 文)

 

参考文献

Masako Fukawa, Stanley Fukawa and the Nikkei Fishermen's History Book Committee,
“SPIRIT of THE NIKKEI FLEET: BC's Japanese Canadian Fishermen”, Harbour Publishing, 2009.

Marc Milner, “The Japanese Threat: Impound On The West Coast: Navy, Part 47”, LEGION, September, 2011.

“Fisherman's Reserve”, Crowsnest Magazine, May-June, 1960.

John Endo Greenaway, “Ryoshi: Nikkei Fishermen of the BC Coast”, The Bulletin, October, 2012.

新報リポート『家族移民と日系コミュニティーの拡大:20 世紀初頭〜戦前』 バンクーバー新報、2014 年7月17 日、第36 巻29 号。

「日系カナダ人の歴史年表」、Japanese Canadian National Museum.

グレーターバンクーバー日系カナダ市民協会 人権委員会 編、「日系カナダ人のための人権ガイド、英語・日本語」、2003。

 

 

カナダ海軍による漁船没収で尋問を受ける日系漁民、1941 年12 月9日(Library and Archives Canada 提供)

 

 

漁船没収で茫然とする日系漁民、1941年12 月8日(Library and Archives Canada 提供)

 

 

没収した日系漁船「くろしまNO.2」にユニオン・ジャックの旗を取り付けるカナダ海軍兵、ニューウェストミンスター、1941年12 月29日(Library and Archives Canada 提供)

 

 

The Lost Fleet の展示から。没収された日系漁船が集めれらた様子や、「戦時措置法」発令による事態を説明するパネルと、日系漁船の模型

 

 

The Lost Fleet 展示会場で説明を行うバンクーバー海洋博物館学芸員ダンカン・マクロードさん

 

 

The Lost Fleet の展示から。日系漁民が自らの手で船や道具をつくり、網を修理したことなどを説明したパネル

 

 

The Lost Fleet の展示から。かつて日系コミュニティーに向けられたような民族排斥が再び起こるようなことはないだろうかと問いかけるパネル

 

 

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