2016年12月1日 第49号

未曽有の災害から一日も早く回復するために必要なものは何か。被害を最小限に抑えるために必要な防災対策は何か。数々の災害を経験してきた日本から、官民学の専門家がバンクーバーに集い、11月21日、ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)で行われた「防災ラウンドテーブル」で講演した。災害が起きてからの迅速な対応を実現するためにも「防災」が重要と、日本が積み重ねてきた防災対策を紹介した。

 

 

参加者全員で撮影

 

 日本から参加したのは、日本地域開発センター総括研究理事・西川智氏、日本防災プラットフォーム代表・西口尚宏氏、株式会社日建設計構造設計グループ構造企画室室長・田坂雅則氏、日立造船株式会社社会インフラ事業本部本部長付理事技術統括兼海洋プロジェクト部長・福本和弘氏、株式会社技研製作所東京本社工法事業部参与・八重樫永規氏、日本建築学会元会長東京工業大学名誉教授・和田章氏、東京工業大学名誉教授・川島 一彦氏。

 ブリティッシュ・コロンビア州でも最近は頻繁に地震が発生し、バンクーバー周辺でも比較的大規模な地震が近い将来起こるのではとの予測もある。ただ前回起きた地震が約300年前、とカナダ建国のはるか前ということもあり、州民の意識は低い。そのため今回をいい機会に捉えようとバンクーバー市ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)構内の会場には約150人が集まり、災害大国日本の世界トップクラスの防災対策に耳を傾けた。

 開会のあいさつで岡井朝子在バンクーバー日本国総領事は、バンクーバーに就任早々からナオミ・ヤマモトBC州政府緊急事態対応州務大臣と何か一緒にできることはないかと話し合う機会があり、今回の講演会が実現したと語った。日本の官民学が協力して作り上げてきた総括的な防災対策をバンクーバーやカナダで活かせるよう一緒にやっていければと思うと語った。

 今回は、在バンクーバー日本国総領事館、BC州政府緊急事態対応州務大臣、UBCアジア研究所日本研究センター共催。

「より安全で回復力の高い都市への防災を日本の経験から学ぶ」‐西川智博士講演‐

 内閣府政策統括官(防災担当)参事官や国土庁防災局(2001年1月以降に内閣府に移管)課長補佐を務めた西川智博士が、行政の対策として転機となった大災害を通して日本がどのように防災大国として現在の体制を整えてきたのかを説明した。

 最初の転機は1959年9月の伊勢湾台風。戦後最大の死者を出した台風被害を教訓に、政府は災害の事後処理から防災へと対応の主軸を切り替えた。さらに包括的なマルチセクター方式、防災への投資、都道府県市町村への責任分担を取り入れた。そして1961年災害対策基本法を制定。これにより、その後の台風による死者は劇的に減少した。

 次の大きな災害は、1995年1月17日の阪神淡路大震災。1981年には1978年宮城県沖地震を機に建築基準法を改正。これにより建物への耐震性強化が進んだ。しかし、阪神淡路大震災では古い木造住宅への被害が大きく死亡者が増える原因となった。さらに、市役所や消防署、交通網が崩壊したため、情報伝達や救援の初動に遅れが生じた。こうした教訓から、地域緊急事態への全国的支援制度、内閣府防災担当大臣の任命、地震計の普及と地震被害想定システムの開発などを実施した。

 こうして国の対策は、より防災減災対策へとシフトし、これらをいかにして地域や企業に浸透させていくかが課題となった。

 1991年には西川氏が監修した防災白書が発行されたが企業にはなかなか浸透しなかった。その後95年阪神淡路大震災、2001年アメリカニューヨーク同時多発テロによる世界貿易センタービルの崩壊などを経て、ようやく2005年事業継続計画(BCP:災害などの緊急事態時に企業の損害を最小限に抑え、事業の継続や復旧を図るための計画)が発行された。これが日本政策投資銀行、経団連(日本経済団体連合会)、BCAO(特定非営利活動法人事業継続推進機構)、東京商工会議所の協力を得て普及し始めた。

 2011年東日本大震災発生時にはBCPを導入していた企業は建物への被害は少なかったと報告されている。

 こうしたこれまでの対策と災害からの教訓を生かした効果的な防災対策投資とは何かを考えると、

1.建築基準の強化
2.重要インフラの補強
3.構造エンジニアリングの推進
4.災害対策への最新技術の適用
5.テレビ、インターネットなどメディアを利用した迅速な情報伝達など、と語った。

 しかし課題も多い。一つは個人の防災意識をいかにして上げるか。他には防災予算をいかに確保するか。「天災は忘れた頃にやってくる」。防災意識を継続し推進していくことが、防災対策の最も大きな課題である。

「JBP企業による地震対策成功例の紹介」 ‐日本防災プラットフォーム(JBP)‐

 第2部は、日本防災プラットフォーム(JBP:www.bosai-jp.org)メンバーの民間企業による事例が紹介された。まずはJBP代表理事・西口氏が防災における民間企業の役割と情報コミュニケーション技術(ICT)を紹介。続いて、病院や重要施設などの建築について日建設計・田坂氏が、架橋対策について日立造船・福本氏が、最後に、港湾・河川敷の堤防新技術を技研・八重樫氏が紹介した。

 防災において重要なのは包括的な対策を講じることと西口氏。どこか一つでも欠ければ、そこから被害は大きくなっていく。防災は、計画、実行、結果評価と3段階に分かれるが、これらを産学官民が協力して包括的に実行していく必要があると語った。

 その中で民間企業の役割として3つをあげた。

1.ビジネスを守り継続的に展 開すること
2.民間企業としての経験を基 に解決策を共有すること
3.技術革新だけではない前進的な革新を行うこと。その目的は、災害が起こる前に、人、コミュニティ、エコノミー、そして社会全体を救うことと語った。

 ICTの災害への活用については、データ収集、分析・対策決定、情報提供の3段階があり、マレーシアや台湾での実例を紹介した。

 免震構造建築について説明した日建設計(www.nikken.jp)田坂氏は、日本では阪神淡路大震災から急速に免震構造建築が増加。東日本大震災では、その効果が証明されたと語った。巨大地震で電気、水道、下水などに影響があっても、基本的な運営が免震対策建物では継続できることが分かっているとし、その効果を病院や市役所などに適用された事例で説明した。

 架橋耐震補修工事についての説明では、日立造船(www.hitachizosen.co.jp)福本氏が建設から10年以上が経った橋に行う工事の内容を阪神高速の天保山橋を事例に詳しく説明。橋は物資の輸送や救援隊の通行のために非常に重要な役割を果たし、橋が壊れると町が孤立する可能性がある。そうなれば救助に大きな支障が出る。震災の被害を拡大しないためにも橋の耐震工事は必要と語った。

 護岸工事の画期的な工法、インプラント工法を技研(www.giken.com)八重樫氏が紹介。巨大なパイプのような許容構造部材を地中深く押込むインプラント構造物を構築する工法は、鉛直、水平方向からの外力に対して高い体力を発揮し、また工事は省スペースで早期に完成できることが特徴。これまでにハリケーン・カトリーナが襲ったアメリカのニューオーリンズや鎌倉での事例を紹介し効果が高いことを説明した。

 今回の民間企業からの参加は、日本と地形的によく似た海岸沿いの河川の多いBC州での講演ということで、架橋や護岸工事の防災の重要性を紹介できる企業が選ばれたと西口氏は説明した。

 午後からの後半は、和田教授が今年起きたイタリアと熊本地震による建物の崩壊と、日本の住宅への先進的な耐震デザインの適用、川島教授は今年の熊本地震による橋の崩壊と日本国内での修復事業について講演した。

BC州でも防災は優先事項

 午前中の前半部を終え、ヤマモト大臣は「BC州でも(防災は)重要で優先事項」と語った。日本とカナダは地形的によく似ている。日本の技術や経験から学べるところは学びたいし、BC州でも州民の意識を高めていく必要があると語った。

 前半部分の中で巨大地震が起きても、準備さえしておけば、必ずしも甚大な被害が出るとは限らないということが分かった。

 BC州政府はこれまでに、病院、道路、学校を中心に耐震改修工事に予算を付けている。ただ、まだ不十分なところも多く、日本から学べるところは学び、民間企業も日本の対策を参考にしてもらいたい。今回こうして日本政府や民間企業の人々が貴重な情報を共有してくれたことに感謝していると語った。

(取材 三島直美)

 

 

JBPへの質疑応答。左から、西口氏、田坂氏、八重樫氏、福本氏

 

 

あいさつする岡井総領事

 

 

日本から学べるところは多いとヤマモト大臣

 

 

長年防災行政に関わってきた実績のある西川氏の説明

 

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