2019年11月28日 第48号

 言葉の誤用に関する文化庁の世論調査が目に留まった。いくつかの例が載っており、そのトップが「憮然(ぶぜん)」である。本来の意味は「失望してぼんやりしている様子」であり「憮然としてため息をつく」などのように使うとのこと。だが、かなりの人が「腹を立てているや不満がある様子」のイメージを持っており、私も「彼はお土産に高価なワインを持っていったが、相手にそんなワイン好きじゃないと言われて憮然とした」。こんな使い方が正しいと思っていた。

 そうそう、ワインといえば、小生は白より赤のほうが好きなんですよ、種類はメルローが一番の好み、ワインは赤のメルローに限る、おっと失礼、閑話休題。本題に戻って、慣用句などにおいて、自分勝手に思い込んでしまい、間違いだと分かってびっくり。かなりの人がそんな経験をお持ちであろう。

 実はこの「閑話休題」もそんな例の一つである。私もつい最近まで逆の意味、「休」の漢字に惑わされて、「ひと休みして、少し雑談を…」てっきりこんな意味だと思っていた。生徒に指摘されて恥ずかしながら気が付き、びっくり。この「閑話」とはムダ話のことであり、余談はやめにして本題に戻る、上記の使い方が正解である。小説などでは、この「閑話休題」の間違いが多いので、「それはさておき」と読ませているとか、なるほどである。

 また、前述の「憮然」であるが、芥川龍之介の短編小説「手巾(ハンケチ)」にこんな場面がある。大学教授のところに教え子の母親が訪ねてきて、息子の死を報告する。そこで芥川龍之介は先生の態度に「憮然として」と描写している。確かにこの場面、教え子の死であり、先生の「失望してやりきれない気持ち」を表現しているのは明白である。

 しかし、現代の特に若者が読んだら、この「憮然として」にかなりの人が違和感を持つと思う。私も読んだとき、どうして「憮然」なの、と思った。これは「憮然」の「ぶ」という音が、「ぶすっとした」や「ぶつぶつ」など、機嫌の悪い状態を連想する人が多いからだと言われている。いかにも。であればこの「憮然」は腹を立てている様子に使ったほうが良いのでは。芥川先生はお怒りになるだろうが、でもすでに「不機嫌な、不満な様子」として載せている辞書もある。

 いつか「憮然」や「閑話休題」なども本来の意味と違った使い方が一般的になる、そんなご時世がやってくるかも。事実「素晴らしい」は江戸時代では「ひどい、みすぼらしい」の意味として使われていた。ところが、誤解などから時代とともに変化して、現在では全く逆の意味として使われている。「古池や…」この俳句、素晴らしいですね。もし芭蕉がこんなコメントを聞いたら、憮然とするかも。

 文化庁も言葉の変化について良い、悪いと評価するものではなく、その時々の言葉の意味や使われ方を観測していくことが大事だと説明している。言葉は時代とともに…、むべなるかな。

 

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