2019年9月5日 第36号

 その少女は切符を買って電車に乗った。この自分にはもう帰りはないと決心し家を出た。池袋駅で切符を買い、渋谷へ行き東横線に乗り変え、二子玉川駅で下車した。駅から玉川の川縁を目指して、どんどん歩いた。やがて道路から川縁に下り、ごろごろ転がる石をまたぎ、跨ぎ川縁に着いた。「ああ、やっと来れた」この川に飛び込み、「死のう」とここにたどりついたのだ。ゆっくりと川のせせらぎを見ると水深30センチ、深くても50センチ位だった。「ちょっと浅いなぁ」と暫く上流の方へ歩いてみたが、変わらない。今度は来た道を戻り、かなり下流へも歩いてみたが水の流れと水量は変わらない。「しょうがない! これじゃ、死ねないわ。」彼女はトボトボ路上に上がり、さっき下車した駅へ戻った。でも、自宅へ帰るお金もない。思い切って交番へ行った。『すみません。池袋まで帰りたいのですがお財布無くして切符が買えません。お金を貸して下さい。』するとお巡りさんは気持ちよく幾らかのお金をくれた。切符を買って自宅へ帰った。  

 その少女はもう今年80歳。あれからずっと嬉しい事、楽しい事、辛い事、苦しい事と色々乗り越え、よーく生きて来た。でもねぇ、結局、幸せな人生だったのだろうか? 「幸せ」って一体何なのだろう。

   我が家の正面玄関の扉は、ちょっとした故障で一度ドアを閉めると足で蹴っ飛ばさないと開かない。ハンディーマンは「ここを削りなさい」と教えてくれたが、やってはくれなかった。とにかく、ドアの外に小さな木の腰掛を出し、暫く座り外庭を眺めていた。問題のドアは昼間は大きく開け放してある。 

 息子の愛犬が出て行かないように低いつい立ては置いてある。玄関わきから見る庭の花々を楽しみながら、ふっと老婆は思った。この家ほど沢山の動物たちがやって来る家ってそうないんじゃない? いつだったか数軒先、近所の飼い猫がいつの間にか我が家の猫になり、苦情を言われた事があった。近所の人に言われ謝りに行ったら、「ニシンとキャビアではキャビアがいいに決まっている」「猫は返さなくていい」と言われた。その猫を老婆は盗んだ訳ではない。毎日、我が家の庭で白猫は寝ていた。やがて冬が来て、2階の窓から白猫は我が家に入って来たからエサをあげただけの事だ。利口で本当に可愛い「白ちゃん」だった。人間の言葉、特に日本語が分かった。年中、この家って、ラクーンにゴミ箱を荒らされ、台所まで入って、猫のえさを食べられたり、野ウサギの糞で芝生の上はいっぱいになったり、いいことは少ないみたいだが、その壊れたドアは夏中開け放しておく。すると色々な鳥もドアから入ってくるのだ。ハチドリは何回も入り、家から出られなくて死んだ事もある。名も知らない小鳥がサンルームの小鳥小屋に2羽で巣を作ろうと、せっせと枯れ草を運んで来たり、時にはファミリールームまで小鳥が入ってくる。汚い我が家は野鳥の家でもあるのかなぁ。7月末だった。次女が興奮して、階段のあちこちの黒い糞を見せながら「ママ、今日ねぇ、鷹が入って来たのよ」「まさかぁ」「これ全部鷹の糞よ」「さっきね、野鳥の会の人達が来て連れて行ったのよ」と言う。彼女の話を詳しく聞くとなんと「鷹」の仲間喧嘩だろうか、怪我をして1羽舞い込んできた。それで、野鳥の会に連絡したら、普通「鷹」は人家には入りませんと言われたが、けがをしているので助けるように言うと来てくれた。とにかく、怪我をした「鷹」は野鳥の会の人が連れて行ってくれた。彼らが本当に人家に怪我して舞い込んだ鳥が「鷹」だったので驚き、「元気になって、この鷹を野に放つ時はご連絡します」と言ってくれたそうだ。  

 今になれば、こうして訪れる生き物との出会い、街で出会う人と知らずにかわす笑顔、難聴者と分かれば大声で話してくださる方、多くの人に助けられ感謝で暮らせるこの日々。きっと、「幸せ」ってこんなに簡単にどこにでも転がっているなんて、70年近く前、あの少女は「幸せ」の受け止め方を知らなかったのだろうねぇ。

許 澄子

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。