2019年8月22日 第34号

あっ、いた! 信号機の向こうからチェックスカートの若い女性が歩いてくる。老婆が初めて会う下宿希望者だ。ワーキングホリデーと語学留学で来加した、元看護師だ。メールで何回か話し感じの良い方でお会いするのが楽しみだった。その女性とウインズのコーラスを久しぶりに聴きに家からほど近いシニアホームへ行った。駐車場が見つからずうろうろして遅刻、既に合唱は始まり会場は満席だ。ステージの左横奥にカウンターの様なものがあり、その辺に数人が立っていた。知人もいて、目でご挨拶する。すると中央席にいた、88歳の髭爺様が近寄ってきて、私と同行の女性に席を譲ってくださった。席を譲ってくれた髭爺様は左奥カウンターの方へ行った。老婆はそちらに椅子があると思っていた。暫くするとある方が老婆の同行の女性にやさしく席を髭爺様に譲り返すよう助言してくれた。ビックリした。「そうだったのだ」髭爺様はご自分が「席」を私達に譲ってくださり、立っておられたのだ。同行の女性も気付かず座って申し訳なかったと心底思ったであろう。「有難う、教えて下さって」。

 兎に角、ウインズのコーラスは隣組で聴いて以来だった。老婆の隣席者「白人のお爺さん」は今歌っているコーラスの曲を知っているのだ。手で膝をポンポン叩き、調子を取りながらなんと自分も歌っている。このシニアホームの入居者ほとんどが白人みたいだが、ウインズのコーラスを心から楽しんでいる様子がとても嬉しい。そして、いよいよ老婆が大好きな「鈴」をメンバーが手に持っている。誰が考えたか知らないが、合唱メンバーが歌いながら手で振る「鈴」、「その音」なのだ、不思議と、それでその曲が堪らなく素敵になる。指揮をとっている方はこの老婆より少し年長なはずだ。元気にニコニコまた楽しげだ。彼女の手が最初にピアノの方ヘ行き、やがて全体に移っていく。そして、それがぐーんと、…全体(と言っても)9人の合唱だが一つの美しい和音になっていく。皆の合唱だけでなく全体の「和」が何とも言えない。確かに会場へ伝える何かがあって平和なのだよねぇ、聴いた後の心の穏やかさ。  思い切り合唱を楽しんで老婆は帰宅した、その夜、 「わぁー痛い! 痛い! 痛い! 」お腹が痛い。すぐ近くに住む40年来の親友に電話、リッチモンド総合病院へ連れて行ってもらった。「911の回数券を購入したら?」と以前助言され、「大笑い」するほど911多回数利用者の私だが、今回は回数券(?)はまだ入手はしてなかった。

 結果は、腎臓結石とその癒着だった。  

 手術用着に着替え老婆は自分のベッドへ戻った。RGHの手術待合室。痣だらけの手、「わぁ、この手、拷問されたみたい」点滴用管を取り付けに来た看護師は笑いながら言った。「そうでしょう?」実は7月29日に入院、今日8月5日に2回目の手術。入院時、新米の看護師に検査用血液を採血され、点滴針を据え付けるとき、何回も針の刺し直しをされ、痣だらけの腕になったのだ。無論、今いるこの看護師はニッコリ笑いながら、それは上手に右手首上に針を刺し、点滴管を繋げてくれた。1滴の出血も痣もない。完璧、こういう看護師もいる。

 あくまでもこの老婆の「勘」だが、緊急病棟には必ず新米看護師がいると思う。

 親米看護師は注射針を刺す手も不安定で、1〜2回、多い時には3回刺された事もある。内心「頑張ってよね」と新米看護師を密かに老婆は応援し、自分は痛みを我慢、試験台のモルモット気分なのだが、今回はちょっと酷かった。右手表は指を除いてすべて真っ黒になっていた。

 元東京大学医学部教授、養老孟司の本「かけがえのないもの」を読んでいたら、彼がこう言っていた。「胃が悪いのである病院に行った。そこでまず書類に書き込み手続きをした後、次に尿検査、血液検査、レントゲン、胃カメラをげえげえ言いながらのみこみ、薬を飲み、やっと終わった時、もう午後遅くだった」

 彼は「丈夫でなければ病院に来れないねぇ」と一言、妻に言った。

許 澄子

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。