2017年6月22日 第25号

 「あんたのような人がいるから、日本は平和なんだよ」。まだ高校生だったかな、自分の夢を語ったとき、皮肉っぽくそう投げられた言葉。ずっと胸に突き刺さったままだった。

 私は、子供の頃、国際協力機関で働きたかった。日本の外の世界、途上国について学んだ時、日本人として生まれ育ったことは宝くじに当たったくらいラッキーなことなんだなと自分の境遇に感謝した。同時に、ラッキーじゃなかった人たちが世界中にはたくさんいる。自分と同じ年なのに貧しくて学校に行けなかったり、学校自体が存在しなかったり、ご飯が食べれなかったり、服がなかったり。戦争でお父さんやお母さんを失くした人もいる。こんな広い世界にひとりぼっちの孤独な子供たちがたくさんいる。そんな世界の誰かに少しでも役に立つことができたら…。そんな願いを胸に、英語科のある高校に進み、情熱に満ちていたところ、上記の言葉を投げられた。「世界の貧困なり悲劇なりを改善する前に、自国の問題に目をとめろよ。日本にも貧しい人がたくさんいる。外国人を助ける前に日本のホームレスを助けろよ」。学校の先生にも同じようなことを言われた。日本の社会問題を懸念する人にとって、私のように外に目が行ってしまう人間は、鬱陶しく偽善者のように見えても仕方がないのかもしれない。当時の私は、「実際に自分は偽善者で嫌な類の人間なのかもしれない」と自己嫌悪に陥ることもあった。

 20年経った今、ふとあの言葉を思い出した。高校生の時の自分にはわからなかったけど、今ならわかる。周りから偽善者に見えようが、見えなかろうが、その情熱を持ち合わせたあなたにしかできないことがある。今の私にできても、10年後の私にはできないことがある。日本の抱えている社会問題に、すべての日本人が取り掛かれるわけでもなく、外国からその問題解決に関わるケースも少なくない。またその逆もある。誰かがしないといけない仕事に、国籍なんかが関係あるのだろうか。私たちの社会は、人と人との関りで形成されているのであって、国というのは地図上のものではないだろうか。

 「誰かの役に立ちたい」と相手を思える心の余裕があるのなら、情熱が赴くままに行動したらいいと思う。私のファミリードクターは、若いときは赤ちゃんを取り上げるのが夢で医者の道を目指したのだけど、今はもしものことを考えたり、夜中に病院に呼び出されるのが、精神的にも身体的にも厳しくて、産科医に任せていると言う。子供病院に勤務する近所の精神科医は、若いときはどんなケースでもかかってこい!という気持ちで仕事に関わってきたけど、父親になった今は、精神的に厳しくて関われないケースが増えてきた。子供の頃からの夢だった警官になった親友は、勤務して3年もたたない間に子供がほしくなってきたし、この仕事は辞めたいと話していた。

 夢や情熱はいずれ覚める日が来るかもしれない。それだったらどんな夢にしろ、できるときにやってもらわないと、社会にとっても勿体ない。だれもかもが途上国で働きたいとは思わない。2児の母親になった今、「途上国で働きませんか」と言われても、自信をもって首をたてにふることはできないのだ。

 


■小倉マコ プロフィール
カナダ在住ライター。新聞記者を始め、コミックエッセイ「姑は外国人」(角川書店)で原作も担当。 
ブログ: http://makoogura.blog.fc2.com 

 

 

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