2018年9月6日 第36号

 介護にはいつか終わりがやってきます。それが、比較的すぐにやってくるか、かなり時間をかけてやってくるかは、病気の種類によって千差万別です。認知症の場合、診断が下った時の進行度、年齢、持病や他の疾患の有無、および全般的な健康状態などにより、予後にはばらつきがあります。長く介護が続くこともありますが、どのくらい続くかは全く予想がつきません。先の見えない不安を抱えて生きるなら、余命がはっきりわかり、介護の期間が短くてすむ病気で死にたいと思う人は少なくないでしょう。「どうせなら、認知症になるより、がんで死にたい」と言う方がいる所以です。

 介護が長く続く可能性のある認知症は、介護者が心身ともに健康を保つことが重要になります。介護の期間が長くなればなるほど、介護離職やそれに起因する経済状態の悪化や貧困、介護疲れ、介護うつ、介護虐待、最悪の場合は介護殺人まで、介護が理由で起きる問題がたくさんあり、そのどれもが、介護の期間中、いつ起きてもおかしくありません。それでも介護を続けられるようにするには、介護者の心のケアも必要です。心のケアは、介護をしている間だけでなく、介護を受けていた人が施設に入所した後や、その人を見送った後も続ける必要があります。介護にまつわる心の痛みは、ともすれば、その後一生癒えることはないかもしれません。

 例えば、長い在宅介護の後、介護を受けていた人の施設入所が決まり、実際に入所してから、入所を決めたことへの罪悪感や後悔、休職/離職後の仕事復帰からの疲れ、介護をしなくなった生活環境の変化などが原因で、体調を崩す可能性があります。利用していたデイサービスやショートステイ施設とのつながりはもちろん、それまで心の拠り所となっていたケアマネージャーと連絡することはなくなり、新しい施設とのつながりを築くことになります。介護を始めた頃のような孤立感を覚えるのはこの時期でしょう。

 介護を受けていた人を見送ったあとにも、介護に関するいろいろな感情がわいてきます。「上手に介護できなかった」、「もっと優しくすればよかった」、「いなくなればいいと思ってしまった」…。見送るまでの過程で、本人の希望や意思が伝えられないまま認知症が進行した場合、亡くなるまでに家族が選んだ様々な選択肢が、果たして本人の思い通りだったのか?その疑問もずっと抱えながら、答えが出ることはありません。

 介護をきっかけに、家族の絆が深まる場合もありますが、それまで聞くことのなかった家族の「本音」を知ることになり、介護が始まる前までの家族関係が一変する場合もあります。そのような状況に加えて、介護や医療措置に関する決定について、家族間の統一見解が見いだせない、あるいは、遺産分割や遺産相続に関して話し合いがつかず、弁護士を雇って解決するしかなくなることもあります。

 自分自身のことを考えてみても、整理のつかないことがいくつもあります。介護にまつわる、答えの出せない疑問。次に日本に戻る時は葬儀のためと諦めて、日本を後にした時の自分の気持ち。母が亡くなったことで、日本に足を運ぶ大きな理由がなくなったこと。日本に戻っても、もう母の顔を見ることができない現実。亡くなる時の母は幸せだったのか。いくら考えても始まらないことはわかっていても、特に命日が近づくと、どうしても考えてしまいます。

 心が折れることなく、身体が疲れきることなく、在宅で介護をしながら、毎日を乗り切っている介護者がたくさんいます。介護に必要なエネルギーを、揉め事などの必要以外に費やすことになれば、身体や心に不調が出てもおかしくありません。かといって、休んでいる暇もない現実を考えると、介護を続けるのは並大抵のことでありません。

 できる範囲で、くれぐれも身体を壊すことなく、介護を続けてください。陰ながら応援しています。

 


ガーリック康子 プロフィール

本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定

 

 

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