2016年9月29日 第40号
イラスト共に片桐 貞夫
しかし吉藏は顔も変えずに立っている。
「やい、イトとかいったな。好きなようにしな。せっかく幽霊になって出てきたんだ。思う存分に恨みを晴らした方がいい。おれたちゃーここからゆっくり見分けさせてもらうぜ」
「……」
吉藏の言い分がイトに解らない。この博徒の三人は、シズノの身を守るための用心棒ではないのか。シズノは吉藏の実姉ではないのか。
吉藏が続けている。
「兄者は死んだ。これでおお姉が死んでくれりゃーこの世の春。この近江屋はおれ一人のもんだ。俺りやーこの日が来んのをずーっと待ってたんだよ」
「…」
イトが唖然と口を開けた。シズノを見た。
それからゆっくりと顔を上げて吉藏を見た。
「なーるほど。そうだったのか。そうだったのか」
「ふふ、…」
「てめえだったのか」
「そうよ…」
「てめえが…」
「やっと解ってきたな」
「ふふふ」
「てめえが…」
「そうよ…ふふふ…そのとおりよ」
吉藏が口をまげて嗤っている。イトの思惑に何度もうなずくそぶりをした。
「あかくびを殺ったのはてめえだった。そうか、てめえが殺りやがったのか。…てめえがてめえの兄者を殺ったのか。おれは、あかくびのほっぺたを切っただけだ。殺しゃーしなかった。ところが、てめえはおれのあとに行って、あかくびの喉元をかっ裂いたんだ。血肉を分けたてめえの兄者にとどめを刺したんだ。一緒に寝ていた妾をも殺っておれが殺ったようにみせたんだ。そうかい、そうだったのかい。見上げたぜ。見上げたもんだぜ。悪党も、そこまでいきゃあてーしたもんだ」
「わかってきたなっ…ばははは。てめえみてーなこざっぱにやー見習わなけりゃーならねえこつだらけだな。…ばははは」
吉藏が満足そうである。
「こんどはおれにおお姉のシズノを殺させる。そんでおれを殺して相討ちに仕向けるってーわけか。てえしたもんだよしょんべん野郎も」
「分かってくれて嬉しいぜ。ばははは…これでおれも立願寺の大親分よ。それに呉服問屋近江屋の大旦那だ。やっと、長年の願いがかなってきたってーわけよ…ばははは」
七、
イトは、掌中にあるシズノの身柄が人質の役をしてないことを知った。どうやら立願寺の吉藏はイトをたぶらかす為の虚言を吐いているようではない。
「好きなようにしな」
吉藏が続けている。
「てめえの母ちゃんの顔を切ったのも魚に食わしたのもこのおれだが、言いつけたなーあーおお姉だ。がきだったてめえがてめえの母ちゃんに殺されかかり、父ちゃんも首をくくって死んだ。婆までもが死んだんだ」
惣次郎の母親、つまりイトの祖母も、惣次郎の死に打ち勝てず、自らの命を絶ったのだ。
「大黒屋重左エ門がのれんを捨てなくちゃーならなかったのも、元をただしゃー、おお姉のせいよ。てめえだって、男になったり、ばけものになったりして短えー一生を棒に振ったじゃねえか」
死ぬことができなかったイトの母八重は復讐することを思った。幽霊となって近江屋に忍び込み、シズノのほほを切り裂いて呪い殺そうとした。ところが、護衛のために張り込んでいた立願寺の吉藏に、返り討ちになってしまった。簀巻きにされて、柏尾の川に投げ込まれてしまったのであった。
吉藏がどすを抜いた。両脇のさんぴんもそれにならってイトを取り囲んだ。
「どうでえ、おお姉を殺って恨みを晴らすか。それとも手ぶらで冥土に行くか。…喜ぶぞ母ちゃん、恨みを晴らしてみやげ話にすりゃあ」
イトは動かない。刃先をシズノの喉元につけたまま、次の行動を思っていた。死はもとより覚悟のことである。しかし、その前に一突きだけ、一滴の血だけでも流させたい。できることなら、短刀の刃先を吉藏の首の根元に埋めたかった。
…もう一歩近づいたら飛び込もう…
(続く)