イラスト共に片桐 貞夫

 

「ジョージ!」

 ジョージがいる。墜落したはずのジョージの身体がそこにある。

 新平はほっとする間もなくはいずり寄るとジョージの肩を抱いて泣き出した。

「ジョージ、ジョージ」

 あと二フィート足らずで絶壁であった。

 足場を失い宙を泳いだジョージは、空手の「横蹴り」で新平の身の安全を確保すると、自らの落ちる動きを回転運動に変えた。そして両手両足を蜘蛛のように張って身体の動きを止めたのだ。

 ジョージは激痛に耐えながら嘲っていた。自らした行動が不可解であった。絶好のチャンスであった。本物のアクシデントであった。

 ニキシクの大潮にこの肉体を投げ込んで自らの生命を断つ。逃げ場を失った青春を終焉させて日系人の誇りを示す。ジョージは、死ぬだけのためにやっとここまで来たのである。にもかかわらず「死」を拒んだのだ。

「シン…えって…れ…」

 仰臥して崖っぷちに横たわるジョージが呼吸を整えつつ新平に言った。

「え」

「さ・き・に…くれ…ひ、ひと…りに…え」

 ジョージの舌が空回りしてなにを言っているのか解らない。

 新平が代わりに言った。

「帰ろ…なっ…うちに帰ろ」

「……」

 ジョージの口が曲がって嘲いが漏れた。

「お、おれ…ひとり…てえ…んだ」

「なに言ってんだ」

「さきに…けぇーって…れ」

「なんだと」

 この時になって、ようやくジョージの言わんとすることが新平に解ってきた。ジョージは、新平に先に一人で帰れと言っているようであった。

「バカヤロー、なに言ってんだ」

 新平が声を裏返して声を上げた。

「俺と一緒に帰るんだ。…なっ?…帰ろ。…なっ」

「ひとり…なりてぇ…ひとりに」

「ばかばかばか、…俺は帰らねえ。ジョージと一緒じゃなけりゃ帰らねえ。…ウウ…ジョージ、起きれ。…ジョージ、帰ろ」

 新平は顔をくしゃくしゃにして声を上げた。

 ジョージがあきらめたように顔をそらした。

 新平は、ジョージが複数の白人を殺傷してしまったことを知らない。

 …帰れねえんだ。俺はもうジャップタウンには帰れねえんだよ。帰ったらそのままブタ箱だ。ハンギング(縛り首)なんだ…

 白人の鎖に繋がれて死ぬことはできない。寄ってたかって獣のようになぶられるのは分かりきっていた。しかしジョージはそれを新平に言うことができないのであった。

 潮の音が地底から響いてくるようになった。雨雲が昏暮の影を帯びて、背伸びをすれば手が届くかのようである。

 しばらく放心していた新平が、思い出したようにジョージの身体を揺すった。

「帰ろ。…なっ、ウウウ…ジョージ」

 その時、ジョージが目を剥いた。新平の胸ぐらを掴んだ。

「ファック・アウト・オブ・ヒヤー! !」

 突如、ジョージは「消え失せやがれ」とどなったのだ。

「ライト・ナウ(ぐずぐずするんじゃねえ)!」

 新平は思わず腰を浮かした。

「ゴー!(行け)」

 新平は罵倒されることには慣れていたが、ジョージからは初めてであった。ジョージのたんかは白人に対するだけのもので、一度として新平に向けられたことがなかったのである。

 新平は、ロッジ・ポールパインと呼ばれる細松の群生する辺りまであとずさりすると顔を歪めた。驚愕が悲しみに変わった。

「ジョージ」

 帰るわけにはいかない。傷ついたジョージを、ひとり残して行くことはできない。しかしここに留まることもできないことを新平は知っていた。ジョージがひとたび声を上げれば、絶対なものであるということを知っていたのだ。

「ジョージ」

 新平は、顔をくしゃくしゃに歪めると身体の向きを変えた。行かねばならない。行かねばならないが足が前に出ない。一本のロッジ・ポールパインに寄りかかってやっと一歩出した。

(続く)

 

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