カナダは、沢山の国からの移民で成り立っている、いわば「多民族国家」。世界中あちこちで民族紛争が絶えないこの現代にあって、カナダは対立する国々の人達すらお互いに自分の国の文化に誇りを持ち、尚かつ他国の人々の慣習を侵すことなく仲良く暮らしている。

サンシャインコーストのペンダーハーバーには8キロ四方の漁山村に2000人の人々が住み、皆それぞれ自分の母国であるルーツを胸に抱いて生活している。絵を描いている時間が多く、どちらかと云えばあまり土地の人達とも交わる必要も機会も少ない私だけれどタマに会いたくなる友人も増えてきた。

レイモンド。元タグボートの船長さんだった、そろそろ80才に手が届く彼は私がペンダーハーバーに移り住んで、まだ間がない頃、港の見える丘の借家に住んだ時の隣人だった。家の中に入ると昔、自分がキャプテンとして乗っていた船の写真が沢山飾られて彼は嬉しそうにその当時の事を話してくれた。その昔カナダが第二次大戦に参戦した頃イタリアに兵士として派遣され、イタリア女性に大いにもてたそうだ。奥さんのドリーンがお茶の用意をしている時の内緒話だった。庭の斜面には野菜が実り、いつもジャガ芋やネギを頂いた。最近、前立腺を患い病院に通いながらも本当だか冗談だか解らないようなジョークは一向におとろえない。その後我家は借家を引き払ってそこから車で20分程の土地に移り住む。

ある時我家のストーブの薪がうっかりして底をついた。レイモンドに電話をして安い薪屋を教えてもらった。2時間程したら玄関の戸を誰かがたたいている。車に薪を一杯積んだレイモンドだった。細く割った焚きつけ用の薪も持ってきてくれた。「寒いだろうから・・・」又々始まったレイモンドのジョークを聴きながら「ああ、何てこの人は優しい人だろう・・・」と思った。「遠い親戚より近い他人」そんな言葉が頭をよぎった。

今はペンダーハーバーの出島のような小島にある我家から山裾に向かって車で20分走ると車の修理屋さんがある。一人で毎日車の下にもぐり込んで働いている主人は、ドイツ人のアントン。胸板が厚くいつも赤ら顔のこの人は昼間なのに酒を相当きこしめした勢いで仕事をしている68才。唯でさえ英語も満足でない私には、ドイツなまりのアントンの話すことは、殆んど解らない。彼が私の車の修理のことをしゃべっている間は音楽をきいているようなものである。それでも車は直る。息子はドイツで消防士。忙しくてカナダへ遊びにも来ない。ようやく酒臭いアントンから聴き出した息子の話である。英語のうまい同じドイツ人の奥さんがいるから商売が成り立っている。数年前、日本の車メーカー「M」の欠陥車がとりざたされた時は酒の勢いでずい分なじられた。そんな時は本当に辛くなる。

昨年、隣家との境に塀を作った。その時人に紹介された大工がケビンだった。2メートルを超す大男で戦車のようにダイナミックな仕事ぶりだった。本来なら「もう一人仲間を連れてくる」筈だったが都合がつかず、一人で30メートルの塀を3日で作ってしまったのには驚いた。40才を過ぎたばかりで体力があるとは云うものの本来なら二人で持ちあげる筈の100キロもある塀の半製品をヒョイと持って運んでしまう。

余力で六坪の野菜ハウスを作ってもらったら、3時間で出来てしまった。但し、その仕上がりは「倒れない」としか云いようのない代物で、曲りなりにも出入り口があるもののドアの周囲には3センチもスキ間があり、張った厚手のビニールは、アチコチ止め釘を打ち忘れて小鳥が出入りしている。それなのに一カ所、2センチ程ビニールをナイフで切ってしまった箇所があり「シマッタ!」と云ってその前で腕組みをして悩んでいる。 いつも一緒に連れてくる「ドンテ」と云うゴールデンリトリバー種の雄犬は主人の仕事を監督するように横目で見ながら遊んでいる。この犬の主食は生のニンジンで用意しておいた2、3本の生ニンジンを馬のように音をたてて食べてしまう。

絶望的な気持で種をまいた日本野菜はこんな野菜ハウスの中で見事に育ってくれた。生命力の力強さをつくづく感じる時である。しかし小屋のスキ間から自由に出入りする小鳥のために丹精こめたブロッコリーは、一度も口にしないまま消えてしまった。

私が当地に移り住み最初に知り合った女性は「スー」さん。ペンダーハーバー唯一の不動産屋さんで働く40才台の女性だった。何だか空気が漏れてしまうような名前で呼びづらかったが、名刺を見たらSUSAN。アメリカ人で故郷はコロラド。母親が一人で住んでいると云う。目鼻立ちのハッキリした美人、それでいて柔和な微笑みを絶やしたことのないこの人には、住宅の物件探しでズイ分お世話になってしまった。予算が合わなくて十軒近い売家を見せてもらう破目になったのに嫌な顔一つ見せなかった。アメリカではペインターだったそうで、どんな絵を描くのかと思ったらペンキ屋さんだったそうだ。

歌が上手で村のフェステイバル等では必ずステージに立ってプロ級の唄声を聴かせてくれるこの人はペンダーハーバーにはなくてはならない人気者。昨年のクリスマスの日、我家の玄関の外にソッと子供へのプレゼントが置かれていた。スーさんだった。良い物件が見つからない時は自分の家にしばらく我々を住まわせるつもりだったようだ。

こんな時。今は思い出したくもない「鬼畜米英」などと教えられて育った年代の私はつくづく人類の悲しい「戦争を繰返してきた歴史」を呪わざるを得ない。どこの国の人々も皆、家族を思い親兄弟をいつくしんで、喜んだり悲しみに耐えたりしながら生きていることに何のかわりもないのだ。ほんの一握りの「自国が一番」と思う人達によって本来なかよく暮らせる筈の庶民が憎み合ったり、殺し合ったりしてきた人間の歴史は、一体いつまで続ければ気が済むのだろう。

ペンダーハーバー北西の山裾に山を背負ったような牧場がある。そろそろ50才台なかばにさしかかる日系三世の女性ジューンさんが一人で黒牛の面倒を見ている。ジューンさんのルーツは、確か滋賀県。二世の母親から仕込まれた日本語はかなりたどたどしいものの日本語による会話が出来る数少ない日系人である。「いつでも遊びにきて、牛のクソが一杯あるけどヨウ!」元気者のジューンさんの言葉には迫力がある。一世の祖母から伝承された言葉だ。ご主人は殆ど一日中テレビの前でビールを飲んでいる果報者。白人で、アメリカの第16代大統領リンカーンにそっくりの人だ。

昨年の秋ジューンさんの牧場へ遊びに行った。牧場の中には幅2メートル位の小川があって、毎年海に近いこの牧場を通って鮭が登ってゆく。このあたりは山が近いため、いろいろな野性動物が牧場に降りてくる。大鹿、エルク、ムースそれにコヨーテの群れ。100羽近くいた筈のアヒルが二羽、車の下で休んでいる。案の定、最近コヨーテの群れに襲われてほとんどやられたらしくおまけに、近くの樹のこずえに白頭ワシが数羽とまって牧場を見おろしている。この連中も共犯らしい。ブドウ棚の下に何やらケモノが転がっているのでジューンさんに聴いたら、昨夜旦那が鉄砲で撃ったと云う大きなアライグマだった。このあたりは「野性最前線」 
(次回に続く)

 

2007年6月14日号(#24)にて掲載

 

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