2019年10月24日 第43号

「大切な人を失った人にあなたならどんな声かけを行いますか?」 バンクーバー市のインターナショナル・ハウス・バンクーバーで9月25日と27日、日本カナダ商工会議所と大塚美奈子さんの共催でグリーフケア講演会「大切な人を亡くす前に知っておきたいグリーフケア」が開かれ、のべ30人が参加した。講師は一般社団法人日本グリーフ専門士協会代表理事の井手敏郎さんである。

 

「自分が哀しみを抱えていることを気付かず蓋をしている人が多い。 まず自分の痛みを認めること」と語る井手敏郎さん

 

 講演会ではグリーフケアに関する基礎知識として、人がグリーフを抱えた場合の心と体の反応や、グリーフが打ち明けやすい聴き手の姿勢などが紹介された。その内容は喪失を体験した人の心の奥にどんな「哀しみ」があるのか、それを丁寧に見つめるための視点を与えてくれるものだった。以下では、井手さんの講演内容の一部と本紙インタビューによる内容を紹介したい。

 

▼グリーフとは

 英語の「グリーフ」とは「喪失による悲嘆」の意味であるが、「その悲嘆による体の反応」も含めるとわかりやすい。グリーフによる反応には食べられない、眠れない、集中できない、人間関係がうまく取れない、そのほか様々なものがある。

 「グリーフケアというと遺族のケアだと思われていますが、遺族という言葉では捉えきれません」。恋人は当然のこと、現場で近しく接してきた看護師や介護士が大きなグリーフを抱える場合も多い。またそうした現場のニーズから、井手さんは看護師や介護士の集まりの中で講演をする機会が増えているという。

 

▼誰にでもある喪失体験

 グリーフは狭い意味で「死別による悲嘆」と考えられがちだが、その範囲で捉えては大事な点を見落としてしまいかねない。離別や怪我による身体機能の喪失や、災害による家、思い出や拠り所の喪失、仕事の喪失による悲嘆なども広い意味でのグリーフと言える。また認知症を患う人たちは「自分」や「安心できる人」を失っている可能性がある。その点について言及すれば、患者本人が「安心できる人がどこかにいたはずだ」と、その人を探そうと行動するのはごく自然のこと。周囲が患者のことを「病気の前にグリーフを抱える人である」と捉えることは大事な認識ではないだろうか。

 広義のグリーフということでは、周囲から見えにくいグリーフも存在する。例えば子どもが生まれると周りから「おめでとう!」と言われ、祝福ムードに包まれる。しかし母親になった本人は義務感や、自由な時間を失った強い喪失感を抱いているかもしれない。そのような社会の意識と本人の意識のギャップから、本人は周りの人に心を打ち明けることができず、心にグリーフを抱えたままでいることもある。そうした「見えないところに気付くこと」の大切さを、井手さんは穏やかながら情熱を込めて語った。

 

▼この喪失体験は初めてではないかもしれない

 喪失体験から立ち直るまでに長い期間がかかっている場合、過去にもなんらかの喪失体験が存在している場合がある。先のように広義でグリーフを捉え、死別以外の喪失も視野に入れることで、現在の状態の背景が見える可能性がある。

 

▼哀しみが打ち明けやすい聴き方

 「かなしみ」には「悲しみ」と「哀しみ」の二つの書き方があるが、「哀」には口に衣を当て、亡くした人のことを思ってかなしむ意味がある。そうした喪失の哀しみを抱えた人にどう関わることで、相手の心がやわらいでいくかを、井手さんはわかりやすい独自の表現で伝えた。そして、実際にその場で参加者同士がペアになって互いに体験をシェアし、話を聴く練習を行った。練習の感想を記者が参加者に聞くと「自分の中で消化していたと思っていたことも、話そうとすると言いづらかったりして意外とまだ残っていると自覚しました」(スザック亜希子さん)、以前からグリーフケアを学んでいる小宮聖季子さんも「お隣の方との体験のシェアで毎回貴重な発見があることを感じました。自分に向き合えることがある時間でした」と感想を語ってくれた。

 

▼成長する存在として

 講演では、喪失を体験した後、自分を取り戻していくプロセスが、直感的に理解しやすい形で整理して伝えられた。その最後のプロセスをどう表現するのかに注目してみると、そこには「再生」という言葉が使われていた。「グリーフの世界では回復という言葉を使うことを嫌います。例えば亡くなった子は戻ってこない。本当の意味での回復はないからです」。そこで業界では「折り合いを付ける」という表現がよく使われるそうだが、井手さんが「再生」の語を用いた理由はなぜか。

 「私自身、この世界に関心を抱くきっかけになったのは左目が見えなくなった体験からでしたが、見えなくなって見えるようになったこと、高められた力もあると思っています。また両親は長崎出身で、父は被爆者でしたが、長崎も広島も復興していますし、被爆者だからこその世界への貢献がある。そう考えると、『喪失イコール衰え、だめなこと』ではなく、喪失によってそれを超える何かをつかめるんじゃないかと思うんです。

 またそれ以前にニーチェをはじめ多くの思想家や哲学者が『人は成長する存在である』と語っているように、私たちは何かを失い、痛い思いをしても、そこには成長があるはずですし、そうであってほしい。成長している、進化している。そうした希望が今、痛みを抱えている人たちの後押しになるなら——。そうした思いを持っていた中で、海外の文献にあった『再生』の語がしっくりきました。回復を超える新しい人生の始まり、プラスアルファーを伴った人生を表現したいと『再生』を使っています」。

 最近の心理学の研究でも「人はトラウマを受けた後で成長する」というPTG(ポスト・トラウマティック・グロース)の考え方が登場し、証拠となるデータが出てきているそうだ。

 

▼グリーフケアを学ぶ意義

 今回の講演会のオーガナイザーとなったノースバンクーバー在住の大塚美奈子さんは、日本グリーフ専門士協会でグリーフケアを学び、日本から井手さんを招いた理由をこう語る。

 「コーチングを学ぶなか、人の考え方や行動の陰に隠れたグリーフがある可能性に気付き、人と接するうえでのグリーフケアの重要性を認識しました。生きている限り喪失はつきものです。その哀しみをなかったことにしないでほしい。辛い思いを話せる場、悲嘆からくる心身の不調を理解してくれる人の存在は支えになるでしょう。皆がグリーフケアマインドを持ったら、世界はより良い場になると信じています。死別悲嘆だけでない、広義のグリーフにも目を向けてほしい。それによって自分を知ることにもつながっていきます。当地の方々にもそのことを分かっていただきたく講演会を開催しました」。

 

▼グリーフケアの実際

 井手さんのグリーフケアの個人セッションでは、悲嘆に暮れる人が哀しみを見つめ味わうことで、心の奥底にある本当の望みに気がつき、今までの人生以上に自分らしく生きられるように支える関わりを持っている。その具体的手法は、アドラー心理学をベースにし、セラピーやカウンセリングのさまざまな手法を統合したオリジナルの方法であるそうだ。また「グリーフサロン(哀しみの保健室)」という安心で気軽に参加できる場をオンラインでも開いている。

 

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 「人生は喪失の連続」しかしそれが「その人だけの味わいになる」と結んだグリーフケア講演会。この講演会と長い時間を割いて付き合ってもらったインタビューから、人間を信頼し、心のひだに思いを馳せながら寄り添い、一緒に未来を見つめる人の存在が、人々が前へ進むための大きな役割を果たせることを井手さん自身の姿を通じて記者は肌で感じた。

 

井手敏郎さん プロフィール
東京出身。茨城県在住。幼少期のアクシデントのために左目の視力をほとんど失った経験から心理、哲学、思想へ関心が向かい、僧侶となったが、その後仏門を離れ、2015年に一般社団法人日本グリーフ専門士協会を立ち上げた。米国心理大学院でも学びを深め、悲嘆支援として、アドラー心理学、ゲシュタルト療法、その他の心理手法を統合し、人々が前へ向いて歩き出す支援を行うと同時に、支援者(グリーフ専門士・ペットロス専門士)の養成を行っている。現在、看護師、介護士、医師、臨床心理士を含む約500人の専門士がおり、オンラインの講座を通じて受講者は日本国内以外にも、アメリカ、カナダ、ドイツ、上海にも広がっている。またオンラインのグリーフサロンも展開中。 https://grief-japan.net

(取材 平野香利)

 

グリーフ専門士、ペットロス専門士の大塚美奈子さんが井手さんをカナダに招いた

 

井手さんの講演は通常の状態と病院が必要な状態の間にある「生きづらさ」に気付くための視点を与えた

 

井手さんが代表を務める日本グリーフ専門士協会では、世界のどこからでも受講できるオンラインでのグリーフ専門士の養成も行っている

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。