2019年10月3日 第40号

9月16日、バンクーバー市のレイブン・ソング・コミュニティー・ヘルスセンターで、日本語認知症サポート協会が主催する「おれんじカフェ de 看取りーと」が開かれた。昨年9月、今年8月(リッチモンド市で開催)に続いて3回目となる今回は25人が参加し、「誰に看取られたいですか?」をテーマに5つのグループに分かれて話し合った。(後援:在バンクーバー日本国総領事館、一般社団法人日本看取り士会、協力:看取り士会・カナダ、メディアスポンサー:バンクーバー新報)

 

日本語認知症サポート協会の辻奈緒子さん(左端)、福島誉子さん(左から2人目)、ガーリック康子さん(右端)。バンクーバーで日加アーティストグループTasaiを主宰しているスティーブ・フロストさん(左から3人目)、高山宙丸さん(左から4人目)、ゆりえ・ほよよんさん(左から5人目)。今回のイベント開催にファシリテーターなどとして関わった

 

「おれんじカフェ de 看取りーと」とは

 日本語認知症サポート協会では、「おれんじカフェ」という認知症関連のテーマを元にした情報交換や学びの場を月に1回のペースで開催している。その活動内容を広げて始められたのが「おれんじカフェ de 看取りーと」だ。日本語認知症サポート協会の福島誉子さんは、カナダ西部では3人だけという看取り士のひとりでもある(あと2人はビクトリア在住)。「日本看取り士会では、『カフェ看取りーと』というものを開催しています。これは、看取り士がファシリテーターになって、人生の最期について参加者同士が話し合うものです。そこで、おれんじカフェで1年に1回、看取りや死に関する話をする機会を持ってもいいかもしれないと思いました」と開催のいきさつについて話す。今年の9月16日は第3月曜日、日本では敬老の日だ。今後バンクーバーでは毎年敬老の日に開催したいと考えているという。また今年8月にはリッチモンド市でも、「おれんじカフェ de 看取りーと」が開催された。

 

いろいろな意見が飛び交う

 「おれんじカフェ de 看取りーと」は毎回、詩人の高山宙丸さんが新作の詩を朗読するところから始まる。今回の詩のタイトルは「原っぱ」。もう長い間会っていなかった大切な人を亡くし、会おうと思えばいつでも会えると思っていたのに会わずにいたことを後悔しながら、自分の心の原っぱでその人を探す。その人が行ってしまった世界に自分も行こうと思うけれど、自分はまだ準備ができていないと気づかされる。けれど、その人の笑顔は自分の心の原っぱを埋めてくれている…。きっと誰にでも思い当たるような心情を表現した。

 参加者はあらかじめ、くじを引いて当てられた番号の席につき、テーブルに用意された名札に名前を書き込んだ。自分の本名である必要はなく、この日、自分が呼んでもらいたい名前を書く。そしてテーブル名をみんなで考える。今回は、柑橘類、ハーモニー、アニマルなどの名前がつけられていた。4〜5人ずつ5つのテーブルに分かれて座り、それぞれのテーブルにはファシリテーターがひとりつく。テーブルごとで1時間程度話し合った後、各ファシリテーターが話し合った内容をまとめて発表した。

 話し合いをするにあたっては、「1.ここは、それぞれの考えがそのまま尊重される場。2.ここは希望を持った『わたし』の死の話をする場。3.ここは、みんなで創る場(1トーク3分以内)。4.ここで聞いた人の話は、ここで終わり(自分の感想はぜひ、周りに話してください)」という基本的なルールがある。話し合うテーマは「あなたが望む最期の時はどういうもの? 誰に看取られていますか? その方に何を伝えますか? 旅立ちの場所はどこですか?」ということになっているが、そこから多少それた内容となっても構わない。自由に話し合うことで思っていなかった方向に話が展開することもあり、それもまた興味深い。「死」がテーマというと暗い話になりそうだが、グループでの話し合い中は、どこのテーブルからも笑い声が聞こえてくるような楽しい雰囲気。和やかに、さまざまな「旅立ち」の形を語り合っている様子がうかがえた。(編注:基本的ルールやテーマについては、日本看取り士会のカフェ看取りーとで使用しているものを参考としているとのこと)

 

各グループの話し合いのまとめ

 「死という言葉はネガティブな響きがあるが、自然や野生に戻っていくというような捉え方もあると思う。自然な死を迎えることが理想で、延命治療などはされたくないと思うし、安楽死という方法も可能ならば選択肢のひとつとしたい。遺書や、エンディングノートなど、死に対する準備は自分である程度やっておいて、あとは自然な死を迎えられたらいいと思う」

 「看取りや看取られる場面での主役は誰かということを話した。グループ内には、看護師やグリーフケアに関わった人もいたので経験談も多く出た。どういうふうに看取ってほしいかの希望があっても、実際その場に直面すると家族は希望通りにしてくれるだろうか。また、余命を宣告された時に、精神的なエネルギーが強く余命よりも長く生きる人もいるようである。余命というのは、亡くなるまでの準備期間と捉えることもできるのではないだろうか。人生の最期について考えると、『幸せだった』と言えるかどうかが大切なのではないか」

 「死期は自分でコントロールできないものの最たるものだろう。なぜ、コントロールできないものに対して、こんなに用意しないといけないのだろう。どこまで用意したら十分なのかも分からない。死を意識した本人は準備ができていると言ったとしても、周りの人はまだだと思うこともある。そう考えると、死にゆく人よりも周りの人の問題ともいえるかもしれない。旅立つ家族を見守るために最善を尽くすことが、その人の看取りといえるかもしれない。日本には一期一会という言葉がある。人との出会いを大切に、誠実に接していくことは大切なことだと思う」

 「誰に看取られたいかということでは、家族。最後に伝えたいのは感謝の気持ち。死ぬことを考えられないという人もいれば、親を亡くした経験のある人が、その当時の親の気持ちを分かっていなかったかもしれないと述懐したりした。自分の死について考えると、孤独死は避けたいし、家族に迷惑をかけたくない。自然の中で死にたいとか、病院に運ばれても2〜3日で死にたいなど、死に方についての話がいろいろと出た」 

 「誰に看取られたいかは、一般的だがやはり家族。同時に、誰にも看取られたくないという人もいた。こういう死に方ができたらいいという希望はあっても、それが現実的に叶えられるかどうかは分からない。最期に周りの人に伝えたいことは、感謝の気持ちや、自分の楽しかった思い出や経験、知識といったこと。死はあの世への旅立ちともいえる。これは東洋的な考えともいえよう。いろいろな人がいるのだから、死についての考え方はそれぞれ違って当然だと思う」

 

楽しい雰囲気で「人生の最期」を語り合う

 司会進行を務めた福島さんは、話し合いのルールに沿いながらも各テーブルでの話が深くなっているように思えた、と感想を述べた。そして「(参加した人たちが)何かひとつでも持ち帰っていただくものがあればうれしく思います」と締めくくった。

 おれんじカフェでは、認知症の家族や友人がいる人、認知症を患っている人、認知症について知りたいという人が集い、関連するテーマでワークショップやセミナー等をおこなっている。「認知症の方は、これからますます増えるといわれてます。私たちは、(認知症の方やその家族などが)社会とつながる、橋渡し的な役割ができたらと思い、地域とつながる活動をしたいと思っています」「カフェ」という名前が表しているように、セミナーなどで話を聞いた後は、お茶やお菓子をつまみながら、参加者から質問を受け付けたり、意見交換する時間を設けているという。「『おれんじカフェ』という名前を広く知っていただければうれしいです」と福島さんは語った。

(取材 大島多紀子)

 

グループごとにさまざまな意見が出ていたのを聞くのも興味深い

 

詩の朗読をする高山宙丸さん

 

 

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