2017年8月17日 第33号

今年1月から弊紙で月一回好評連載中「V島 見たり聴いたり」の執筆者・サンダース宮松敬子さんと翻訳者16人が、『希望の国カナダへ…夢に懸け、海を渡った移民たち』を上梓した。2年前にスタートした共同作業は、この7月末にゴールを迎えたばかり。その直後に話を聞いた。

 

 

サンダース宮松敬子さん

 

1 フリーランス・ジャーナリストとしての活動

すでに3冊の出版をはじめ、多方面への記事、ご自身のウェブサイトでの記事と、精力的なご執筆活動ですが、「書くこと」への情熱・意欲はどういう時、あるいはどういうことから燃え上がりますか。

 私が物を書く基軸は、世の中の事象に対し「これっておかしいぞ」と感じるところから発します。多分これは私の生い立ちに大いに関係があると思います。

 父は私が一歳の昭和19年(1944年)に、赤紙一枚で招集され、フィリピンに送られ戦死しました。36歳の普通の会社員で、結婚をしてすでに三人の子供がいたにもかかわらずです。私が学齢になって、同級生の父親が健在で、戦争などに行ったこともないのを知り、子供心に「なぜ」と強く疑問に感じました。父の遺骨はなく、国から「形見」として送られてきたのは、小さな桐箱に入った石ころ一個でした。

 家族に起きたこのような思い出は、自分では気が付かなくとも、心に深く刻まれているようです。物を書くようになってからは、世間で起きる不条理なことに、ひどく憤りを感じる自分を発見するようになりました。特に女性や弱者に対する不当な扱いにはアンテナを張ってニュースを追います。

 世の中というのは、正しい者が必ずしも報われるとは限らない。それは誰もが知っていること。しかし、「本来はこうあるべきではないか」と思えば、黙して語らずではなく、私にとっては、それが逆に書く意欲に繋がっているのだと思います。

「書くこと」は、ご自身の生活や人生の中で、他の要素と比べ、どういう違いや意味がありますか。

 私にとって「書くこと」は、自分の日ごろの思いを吐露することができる一番の道であり、私の人生の軸になっています。しかし「私はこう思う」と書くのは、ある意味とても勇気がいること。それは世の中の事象は、一方からの見方のみでは決められないからです。それでも自分の思いを述べることは、一つの意見として読んでほしいと思うから。これからも、体力的に書けなくなるまで続けることができればと願っています。

弊紙での連載記事「V島 見たり聴いたり」のトピックは、どのように決められますか。

 新聞や雑誌など、どこに書くにしても、まず念頭に置くのは対象の読者はどのような方々かという点です。でも現在は、大抵のメディアがメルマガを発信しているので、どこで誰が私の書いた物を読んでくださっているか分かりません。ですから絞られた読者にのみ焦点を当てることは難しいので、メディアごとに興味を持っていただけそうな話題を選びます。

 また、今住んでいるビクトリアならではの話題をできるだけ選ぶように心掛けています。もしそれが日本でも同じように起きている現象であれば、類似点や相違点を見るようにしています。

 

2 今回の翻訳本の企画・準備

翻訳を手掛けることになった原因や出会いはどういうことでしたか。

 トロントにいた時から日系史には非常に興味を持っていて、関連のセミナー、講演会、展覧会などには必ず出ていました。

 しかしビクトリアに国内移住して、あちらこちらに残る日系関連の史跡を訪ねると、まるで先人の息吹さえ感じられるような場所が幾つも残っていて、びっくりしました。日系移民史は地理的にみて、ビクトリアから始まったわけですから当然でしょうが、私にとっては新鮮な驚きでした。

 そして出会ったのが英語の原本『Gateway To Promise』です。これは著者アンリー/ゴードン・スウィッツアご夫婦が、自らの足で歩いて調査した歴史書。同時に、当時まだ生存していた一世や、その末裔の方々にインタビューを行い、丁寧に掘り起こした人間味あふれる読み物でもあります。これはぜひ、日本語でも読んでもらいたいと強く思いました。

翻訳者の選定・作業方法・期間など、考慮された点は、どのようなことでしたか。

 私はいつもそうなのですが、大きなプロジェクトを進める時、一番重要な資金とか、費やすであろう時間などを考えず、そこに熱情をそそられる対象が現れると、まず「出版ありき」で動き出します。

 そんな向こう見ずな私を見かねてか、多くの方々が力を貸してくださり、徐々に全体像が固まっていきます。今回も、構想から出版まで2年かかりましたが、その間、本当にたくさんの方々からのご協力を得ることができました。

 翻訳者の選出は、日系新聞や雑誌を通して呼びかけ、その後、問い合わせの無数のメール交換の末に決めました。

企画してみて、どのような感慨を持たれましたか。

 何事もそうですが、一つの物を生み出し、形として残すことは並大抵なことではない。でもそこに残す意義があれば、自ずと力が湧いてきます。

 この翻訳本は薄っぺらな面白おかしい本ではなく、後世に残すに値する一冊。日本にルーツのあるカナダ在住の若い方々には、ぜひ読んでいただきたいと思います。

 

3 翻訳・校正作業、体裁決定など

翻訳作業で、うまく運んだ点、難航した点はありましたか。

 陳腐な言い方ですが、振り返れば全てがよい思い出になります。人をまとめて一つの物を作り上げるのは、いろいろな意味で生易しいことではありません。でも基本は、誠心誠意を持って自分の思いを伝えることが一番大切。それによって問題は自ずと解決します。

校正やページ構成作業はいかがでしたか。

 校正に関しては、基本的には翻訳者の方々が回り持ちで目を通してくださいました。校正のみに参加された方もおられます。中でも、校正作業に要した8カ月間、私の右腕としてボランティアで協力してくださったヒル厚子さんの貢献は多大でした。

 技術的に一番難しかったのは、著者ご夫妻の協力を得て始めた編集プログラムへの入力でした。日本語環境が十分ではないソフトウェアに、日英を混ぜて入力したため、予想外の技術的障害に直面しました。その結果、思い通りに調整できなかった部分があり心残りです。でも全員で作り上げたという自負は十分にあります。

複数の翻訳文の文体統一に関して、工夫・苦労はありましたか。

 翻訳者は16人でしたから、訳文の書き方にも違いがありました。でも皆さんがそれぞれの思いを持って取り組んでくださったので、なるべく各自のスタイルを生かすようにと心掛けました。意訳をした部分もありますが、何よりも翻訳としての正確さを重視しました。加えて日本語として全体の流れがスムーズであることにも神経を使いました。

 作業を開始する前に、共有できる「スタイルブック」を作り、頻繁に出てくる言葉はそこに入れ、全員が参考にできるようにしました。でも何しろ原本は400ページですし、時には翻訳者の思い違いがあったりもしますので、用語の統一を図るのは至難の業でした。

レイアウト等の決定にまつわるエピソードはありますか。

 まずは本を、縦書きにするか横書きにするかの決定から始まり、何かを決める時には、できる限り翻訳者全員にEメールで意見を聞き、多数決で決める作業を繰り返しました。交わしたEメールは数えるのも不可能なほどです。

 出版社は、英語の原本と同じTi-Jean Pressです。

 

4 作業を終えて

2年間の作業を振り返って、ご感想はどのようなものですか。

 プロジェクトを通して、カナダ西海岸の日系史を深く知ることができたのは最大の収穫でした。また翻訳の共同作業というのは初めての経験でしたので、いろいろな意味で勉強になりました。おかげさまで人の輪が広がり、多くの方々とお近づきになれたこともうれしいことです。

上梓にあたりイベントやツアーなどを計画されていますか。

 まずはトロントの日系文化会館で、9月6日(水)・9日(土)に出版記念会があります。これは、翻訳・校正にも関わってくださったトロントのコズロブスキー阿部美智子さんのひとかたならぬ後押しで実現する運びとなりました。

 また、岡井朝子在バンクーバー日本国総領事も、とても興味を持ってくださっていますので、完成をお知らせするつもりです。年内にバンクーバーでも、この翻訳本を一人でも多くの方々にご紹介できる機会があればと切望しています。

 将来は興味のある方たちと、日系人に関する史跡訪問などができれば面白いですね。

次の目標はもうお持ちですか。

 これまで私が出版した本は、どれもかなりの下調査を必要とし、一冊が終わるたびに重圧のため「もうこれが最後」と思いました。特に夫には、「もう本は書かないから安心して」と繰り返し言ってきました。今回も途中、何度言ったか知れません。その度に夫は、『I've heard that before』と言い、信用してくれませんでしたが。

 次の企画は、今のところ全くありません。こうして集中して仕事をすると猛烈に体力を使いますし、最終の追い込みに入ると、日常生活がとても疎かになります。今はただ消耗した体力と平穏な日々を取り戻したいと考えています。

 

 カナダの日系移民に関する貴重な記録の翻訳本の出版は、それ自体が日系移民史の1ページを飾る出来事でもある。サンダース宮松さんと共同翻訳者らの2年間の粘り強い作業に心からの賛辞を贈り、完成の喜びを分かち合いたい。

(取材 高橋文 / 写真提供 サンダース宮松敬子さん)

 

サンダース宮松敬子さん Profile
1943年、横浜で生まれ育った生粋の浜っ子。
1973年に渡加。
1984年からオンタリオ州の日本経済新聞トロント支局に勤務。94年、バブル崩壊で同支局が閉鎖したのを機にフリーランス・ジャーナリストとなる。社会問題、女性問題などを中心にカナダ社会を探り、カナダ・米国・日本の新聞・雑誌に寄稿。
2014年、トロントからブリティッシュ・コロンビア州ビクトリアに移住。
著書:「カナダ生き生き老い暮らし」(2000年、集英社、同05年文庫本)、「カナダのセクシュアル・マイノリティーたち~人権を求めつづけて」(2005年、教育史料出版会)、「日本人の国際結婚~カナダからの報告」(2010年、彩流社)
ウェブサイト:http://www.keikomiyamatsu.com/

 

 

 

『希望の国カナダへ…夢に懸け、海を渡った移民たち』の表紙。Ti-Jean Press刊、460ページ、29.95ドル。

 

 

英語原本“Gateway To Promise”の表紙

 

 

サンダース宮松敬子さん(前列右から二人目)、英語原本著者のアンリー/ゴードン・スウィッツア夫妻(前列右から三人目/後列右から三人目)、翻訳者16人のうち10人が集合した一回目のミーテイング(2016年2月)

 

 

校正作業中のサンダース宮松敬子さん(左)とヒル厚子さん

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。