2017年6月15日 第24号

幕末を疾風のように駆け抜けた坂本龍馬。その人生はあまりにも有名だ。小説となり、ドラマとなり、その人気は未だに衰えることがない。

しかし…、坂本龍馬に隠し子がいた(?!)という話を知っている人がどれほどいるだろう。しかも、ここ、日本から太平洋を越えたはるか異国の地カナダのブリティッシュ・コロンビア州の州都ビクトリアにその墓があるというのだ。

そこでその真相を確かめるため、カナダ龍馬会一行がビクトリアに墓参ツアーを決行。果たして真相は?

 

 

草野春馬が眠る墓石とカナダ龍馬会会員(2017年4月21日、エスクワイモルト墓地)

 

龍馬に隠し子?!

 そもそも龍馬の隠し子という人物は一体、誰なのか? なんの根拠もなくこんな話が海を越えてバンクーバーまでやって来るはずがない。

 ビクトリアに眠るという日本人の名前は「草野春馬」。この人物がなぜ龍馬の隠し子といわれているのか?

 資料によると、草野春馬は長崎県の草野貞重(さだしげ)の長男。貞重が1869年(明治2年)に身請けした女性「おさだ」が連れていた当時2歳の男の子で、おさだを身請けした時にともに引き受けたとされている。そして「春馬(しゅんま)」と名付けた。

 おさだとは、対馬出身の遊女屋「疋田屋」(資料によっては引田屋と表記されている)の遊女頭だったとされる女性で、このおさだが、自分の連れていた2歳児を「坂本龍馬の子」だと述懐したと資料には紹介されている。

 龍馬の隠し子とされる理由はこれだけのようだが、草野家は龍馬とは直接関係があるらしい。貞重の父(春馬の祖父)草野正次郎が海援隊(亀山社中)に資金を融通したと伝えられ、龍馬より7歳年下の貞重は海援隊へ志願したとも伝えられている。

 こうした経緯が紹介されている資料の一つが、貞重の三男重松が著した「草野家家系史明暗記録‐生命の中に現存する先祖」(1981年発行)。つまり春馬の弟の著書だ。ただ、重松はおさだの述懐の部分について父から直接ではなく姉から聞いた話として紹介し、証拠は残っていないと説明していると資料には書かれている。

 

なぜビクトリアの 墓地に 眠っているのか?

 草野春馬という人物は実在する。1870年(明治3年)2月10日生まれとして草野貞重の養子となり、88年(明治21年 ) 海軍兵学校に入学 。 92年(明治25年)23歳の時に海軍少尉候補生となり、同年9月16日に軍艦「金剛」に搭乗している。

 しかし航海中、寄港していたビクトリアで1892年11月 11日に肺炎のため急死。当時の管轄省の許可を得て、同地にあるエスクワイモルト海軍墓地に葬られたようだ。

 その墓地は、現在はカナダ復員軍人省が管轄し、草野春馬の墓は今でも丁寧に管理されている。

 

カナダ龍馬会 エスクワイモルト墓地へ

 BC州バンクーバー市に発足したカナダ龍馬会10人が4月21日、草野春馬の眠るというエスクワイモルト墓地を訪ねた。この日は珍しく朝から快晴で、一行の気持ちは盛り上がるばかり。期待と興奮でソワソワする大人の遠足気分だ。

 ビクトリアはバンクーバー市の西にあるバンクーバー島の最南端に位置している。バンクーバーからはフェリーで1時間半の船旅。エスクワイモルトはビクトリア市の西に隣接する町で、墓地はゴージ・ベール・ゴルフクラブのゴルフコース内にある。

 入り口はもちろんゴルフ場とは別で、カナダ復員軍人省が管轄する入り口から入る。しばらくするとゴルフ場があり、そこを抜けると柵で囲まれた墓地へと入っていく。

 巨木で直射日光が遮られた1・1ヘクタールのそう広くないスペースは、周りの喧騒から切り離され、静謐な雰囲気が漂っている。清潔に管理された墓地の奥に進むと、一つだけ横たわった棺型の墓石がひと際目に付く。草野春馬が眠る場所だ。

 一行は墓石に向かい手を合わせると、感慨深げに墓石に記された文字や紋章に見入った。墓石に向かって右側には日本語で「草野春馬の墓」と記され、左には英語で『H. KUSANO』と記されている。春馬の読み方だが、日本の資料には「しゅんま」ともあるが、墓地のパンフレットには「Haruma」と記載されている。

 カナダ龍馬会津田佐江子会長は、草野春馬の話を聞いた時には「びっくりしました」と正直な感想を語った。「ロマンを感じました。龍馬の隠し子かもしれない人が、しかも、私たちの住んでいるバンクーバーの近くの町に眠っているとは…。すごく想像を巡らせました」と笑った。激動の時代の日本で活躍し、そして、今なお多くのファンを持つ人の子孫かもしれない人が、日本から遠く離れたこの自分たちのいる場所に眠っているというのが驚きだったと語った。津田会長は高知県出身。思いもひとしおだ。

 「お墓は思っていたよりも大きくて、立派なお墓でした」。手を合わせた時に、どうぞ真実を教えてくださいと祈ったそうだ。そして、龍馬も若くして命を落としたが、「息子さんと思われる人も若くして亡くなったのはすごく残念」とも語った。

 

果たして龍馬の 隠し子なのか?

 実際に龍馬の隠し子なのか? ということだが、龍馬の経歴と合わせてみると、非常に微妙だ。

 草野貞重がおさだを身請けしたのは、資料では1869年(明治2年)とされている。その時に春馬は2歳。おそらく満1歳。龍馬が襲われて命を落としたのが1867年(慶応3年)11月15日。2人が会った可能性があるのは長崎。単純計算でもギリギリ可能性は残る。

 ちなみに、春馬は1870年(明治3年)2月10日生まれとして貞重が当時申請したとされている。そのため、日本では享年23歳、エスクワイモルトの墓石には22歳と記されている。

 これ以上に春馬が龍馬の子であるかを知る手掛かりはない。資料には、軍艦金剛の帰港した時に遺髪と遺品が日本に戻った1893年(明治26年)4月に葬儀が行われ、1000人が参列したとの記述をもって、重役ではないにもかかわらず25歳の候補生にこれだけの参列者は龍馬の遺児だったのではと思わせるものがあると紹介しているものや、春馬が龍馬の子供であることは長崎ではよく知られた話で龍馬が有名になる前の話なので信じられるのでは、というのがある。

 しかし、こればかりは想像の域を出ない。そして現代の我々は最先端技術を駆使してそれを知る方法を持っている。

 津田会長は、「願わくば、DNA鑑定をしていただいて龍馬の息子さんであるかどうか確かめられればいいなと思います」と控えめに語った。

 龍馬ファンなら、DNA鑑定結果を知りたいような、知りたくないような気持ちではないだろうか。ロマンはあくまでもロマンのままで…。

 草野春馬が龍馬の隠し子かどうかは別として、100年以上も前に、この地で急逝した日本人海軍候補生を、カナダ政府が他のカナダ人兵士たちの眠るこの墓地で、いまだに手厚くケアしてくれていることに、カナダ在住の日本人として感謝したいと津田会長は語った。

 エスクワイモルト墓地のパンフレットには、草野春馬が紹介されている。そこには、今でも日本からの軍艦がこの地に到着すると墓参に訪れる関係者がいると記されている。

(取材 三島直美 協力 榊原理人)

 

カナダ龍馬会
2016年5月17日バンクーバー市内で初会合。これをもって発足とする。2017年2月14日「全国龍馬社中」(会長橋本邦健氏)から正式な認定を受け、第179番目の加盟龍馬会となる。この時、高知県尾崎正直県知事、高知市岡﨑誠也市長の書簡も受け取る。会長は津田佐江子氏(バンクーバー新報社長)。

 

参考資料:
草野重松著「草野家家系史明暗記録‐生命の中に現存する先祖」1981年発行
青木繁男著「龍馬おもしろいばなし百話」2016年発行ユニプラン 

 

 

草野春馬の墓。紋章も見える。2017年4月21日、エスクワイモルト墓地

 

 

「海軍少尉候補生草野春馬の墓」と右から左に日本語で書かれているのが分かる。2017年4月21日、エスクワイモルト墓地

 

 

こちら側には英語で記載。上から2行目 “H. KUSANO”の文字が見える。2017年4月21日、エスクワイモルト墓地

 

 

墓地のパンフレット。草野春馬のことを墓の写真付きで紹介している。1892年に金剛で寄港した時に肺炎で亡くなったことなどが説明されている

 

 

昭和16年11月11日、美府(ビクトリア)日本人会主催で草野春馬の50年祭大法要を行ったと書かれている。2017年4月21日、エスクワイモルト墓地

 

 

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