岩手県大船渡市 佐々木亨さん

2011年の東日本大震災から4年。岩手県大船渡市在住のホタテ貝養殖業、佐々木亨(こう)さんが8月27日、BC州北部プリンス・ルパート市南部のクレムツ村の海で、津波で流された漁船『双松丸』と再会した。 地元先住民族や漁民の人たちから歓迎のセレモニーを受けた佐々木さんだが、そこに至る経路には、バンクーバー在住の唐沢良子さんとの出会いがあった。

 

 

クレムツの海で双松丸に乗り大漁旗を掲げる佐々木亨さん(右)。隣は双松丸発見者(写真提供 唐沢良子さん)

  

雨の中に浮かぶ一艘の舟

 昨年の秋、クレムツ村にスピリットベア・ウォッチングに行っていた唐沢良子さんが、ロッジの管理人から日本の船が津波で流されてきたみたいだと聞いたのが始まりだった。東日本大震災からすでに3年半が経過していた。

 唐沢さんが港に行ってみると、船には『双松丸』と書かれていた。

「雨の中に浮んでいる姿を見たときは、…あぁ、よく生き延びた。偉い! って言いました。船と言っても、エンジンのついたボートです。このボートが数カ月かけて荒波や暴風と闘ってやっとたどり着き、心ある人たちから手入れされて今がある。人間と重ねて考えました。双松丸に、必ず日本の家族を見つけてあげるからね、と心の中で誓いました」

 

一度は供養された双松丸

 友人の渡辺桐子さんの協力で大船渡市の市役所を探し、双松丸の所有者の佐々木亨さんと連絡が取れて、電話で話をした。

 佐々木さんは震災から2年後に、漁業共同組合からの連絡で双松丸がカナダのBC州沿岸に流れ着いたことを知っていたが、彼が驚いたことは双松丸が健在ということだった。

 漁業共同組合から船の写真とカナダの地図を受け取った佐々木さんの第一声は「よく流れ着いたな」。傷はあるものの、状態は悪くない。しかしカナダまで引き取りに行けないことから、双松丸の解体を承諾していたのだという。  

 

 今年4月、訪日中の唐沢さんが大船渡市の佐々木さんを訪ねた。第一印象は素朴な働き者、真面目、親切。すぐに親しみを覚えた。

 佐々木さんは母屋の敷地の一部に新しい家を建て、新しい船を買い、昨年結婚した秀子(しゅうこ)さんと暮らしていた。家の中には小さなお社があり、双松丸の写真が飾ってあった。

 このとき、唐沢さんから思いがけない招待があった。「カナダで会いましょう」。いったんは供養された双松丸だったが、その日から新しい展開が広がっていった。  

 

3月11日と不思議な縁 〜 佐々木亨さんの話 〜

 「3月11日当日は、あの恐ろしく長く激しい地震の後、すぐに家族の安否を確認して海岸にある防潮堤の水門を閉めに下がってから、高台に避難して海の様子をうかがっていました。地震後、約30分でだいたい15メートル位の津波が襲ってきました。その後はパニック状態でよく覚えていませんが、波が引いて落ち着いてから家に戻ったら、下の川沿いの倉庫は跡形もなく流されてなくなっており、辺りはいろいろな物が散乱してぐちゃぐちゃの状態でした。車も3台流されました。地域の人々は全員高台に避難して、ひとりの犠牲者もありませんでした。

 唐沢さんからの連絡により今回のカナダ訪問が実現することになったわけですが、感謝の気持ちはもちろんのことですが、不思議な縁というか、言葉で言い表せないような感覚とでもいうか、あらゆる偶然が重なったのか、必然的だったのか…。もしかして双松丸が意志を持ってカナダまで流れ着いたのかもしれません。そして唐沢さんをはじめ関係するすべての方々を繋いでくれたのかとも思えます。ものすごく壮大なストーリーです!」

 

クレムツの海になびいた大漁旗

 8月24日、バンクーバー国際空港に降り立った佐々木さんは、出迎えた唐沢さんとともに『グローブ&メール』紙のインタビューを受け、翌日にはバンクーバー水族館で、BC州沿岸に漂着した震災がれきの展示を見学。終了後に弊紙の取材に応じてくれた佐々木さんは、「ブイや網、長靴といった漂着物の展示の中に、近所の人が漁業で使うプラスチックのかごがありました。写真を撮ってきました」とうれしそうに話した。

 数日後、佐々木さん夫妻は唐沢さんと夫のマイケル・オーデインさんの友人とともに、飛行機と船を乗り継いでクレムツに到着。そこからさらに15人乗りのボートで1時間半かけてグリズリーベアーがサーモンを食べにくる山の河口に近づくと、河口から数キロはなれた海上に二艘のボートが一行を待っていた。

 「曇り空の下、深い百草の色をした海の上でゆったりゆったりと揺れ動くゴムボートに乗ったガイドの手にはロープが握られて、その先は佐々木さんの船に繋がれていました。私達のガイドが双松丸の方を指差して知らせると、佐々木さんが「あっ、いた!」と大声をあげました。横付けされたボートから双松丸に移り乗ると、船体を撫でて泣いてしまいました」と唐沢さん。

 双松丸を買った時にお祝いにもらったという大漁旗を掲げた佐々木さんは、船上で大きく振り回した。双松丸との再会をかみしめながら。

 

先住民族による歓迎儀式

 双松丸に乗ってクレムツの海を楽しんだ佐々木さん夫妻をさらに待っていたのは、その夜の歓迎セレモニーだった。唐沢さんからの報告によると、先住民族による歓迎儀式は次のようなものだった。

「大きな丸太を10人ほどの男たちが木のステッキで叩きながら歌うと、ログハウスの天井から突き抜ける響きの中、カラフルなマントにヘアバンドで着飾った女たちが踊りました。それは佐々木さんに対して尊敬と歓迎の意味のある先住民族の歌と踊りでした。チーフが歓迎のスピーチをし、佐々木さんからは感謝のスピーチがありました。佐々木さんは今回の被災に対して、皆さんにゴミのことで大変ご迷惑をかけて申し訳ありません。世界の人々からの暖かいサポートに心から感謝しますと言って深く頭を下げ、日本から持ってきた双松丸の大漁旗をチーフに贈ると、会場からたくさんの拍手が湧きました。そして佐々木さんと奥さんの秀子さん、私とで『花は咲く』を歌いました。会場の皆さんの中には胸がいっぱいになった人、涙が出た人などあり、心と心がしっかりと結ばれたセレモニーでした」  

(取材 ルイーズ阿久沢)(取材協力 唐沢良子さん)

 

2011年3月11日に起こった東日本大震災では約1万5千人が死亡。2年後、日本から漂着したと思われる漁船『双松丸』がBC州北部プリンスルパート市の南200キロ、スウィンドル島の小さな村クレムツ(Klemtu)の浜辺に打ち上げられた。『双松丸』は岩手県大船渡市三陸町に住むホタテ貝養殖業、佐々木亨さん(45)が20代の頃に購入したもので、現在は修理され、ベア・ウォッチング・ツアーのための観光用に使用されている。

 

佐々木さんが見せてくれた震災直後の大船渡市三陸町の小石浜港の様子。 防波堤の高さは以前は7メートルだったが、震災後はそれより高くなっている

 

双松丸に乗る佐々木亨さん(左)と唐沢良子さん(右)(写真提供 唐沢良子さん)

 

岩手県大船渡市在住の佐々木亨さんと妻の秀子(しゅうこ)さん。 バンクーバー水族館で買ったタコのぬいぐるみとともに

 

唐沢良子さん(左)と佐々木さんの妻の秀子(しゅうこ)さん。佐々木さんを交えた3人はクレムツでの歓迎のお礼に『花は咲く』を歌った

 

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