元選手のケイ上西さん、選手の子孫らが語る

朝日軍への思い

 

朝日軍結成から100年目に当たる今年、映画『バンクーバーの朝日』が完成。日本での12月公開を前に、バンクーバー国際映画祭(VIFF)で世界初公開というビックニュースを喜ぶ人がここにいる。 ケイ上西さん。91歳。朝日軍の元選手である。

 

 

2005年、『朝日軍遺産展覧会』にカナダ野球殿堂から受け取ったジャケットを着て出席したケイ上西さん。思い出のユニフォームはこのとき日系博物館に寄付した

  

 朝日軍入団を夢見て

 1922年にバンクーバーで生まれたケイ上西さんは、両親の故郷広島で教育を受け11歳のときカナダに戻った帰加二世。旅館を経営する母とパウエル街に住み、バンクーバー日本語学校に通った。そのころのジャパンタウンは、多くの店と食堂や銭湯、旅館などで活気にあふれていた。  住民の楽しみは日系人野球チーム『朝日』の試合で、日系新聞『大陸日報』に掲載される朝日の対戦成績を、人びとは夢中で読んでいた。  上西さんは仏教会の青年リーグ、日本人リーグを経て、17歳でオールスターチームだった朝日に認められて入団決定。「ユニフォームを抱きしめながら、うれしさで眠れませんでした」と話す。  朝日軍が存在したのは1914年から1941年までの27年間。上西さんは1939年から2年間、内野手として活躍した。

 

1939年の朝日軍。後列左から2番目がケイ上西さん(当時17歳)

  

 野球したさでカムループスへ

 フェアプレーと独自の野球スタイルで多くのファンの心をつかみ、人種差別に苦しんだ日系社会に勇気と誇りを与えながらも、1941年12月、朝日軍がパシフィック・ノースウエスト・リーグで5連覇を遂げた直後、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃。カナダ政府の日系人排斥政策により強制移動を強いられ、朝日軍は事実上その歴史を閉じた。  自由移動を申請した上西親子は、ウィスラーの北東イースト・リルエットの日系人収容地区で、日系人300人とともに水も電気もない掘っ立て小屋で生活した。近くの缶詰工場で1時間25セントで働きながら、ソフトボールチームを結成。戦後の1947年、25歳の時、野球したさでカトリックの青年野球チームがあるカムループスに移住した。

 

 

2013年、映画制作班が調査に訪れた際、日系博物館で石井裕也監督(中央)に当時のグローブを見せるケイ上西さん

  

 再び注目された朝日軍

 1992年にカナダで 『Asahi, A Legend in Baseball』(パット・アダチ著)が出版され、日本では1994年にTBSテレビが報道特集『知られざるカナダ朝日軍』をオンエア。これを見たのが、朝日軍の初代メンバーで、日米開戦前に日本に帰国していた故テディ・フルモトの息子であるテッド・Y・フルモトさんだった。  朝日軍の名ピッチャーだった父から朝日軍の活躍の話を聞いて育ったものの、日本ではその存在はまったく知られていなかった。番組プロデューサーと連絡が取れた後1998年10月カナダに渡り、トロントのパット足立さん宅でケニー沓掛さんほか、カナダ全国から集まった朝日軍往年のプレーヤーや家族と対面。このときケニー沓掛さんから、朝日軍の活躍を日本の人に知らせてほしいと頼まれたのだった。  朝日軍は2003年にカナダ野球殿堂入りし、2005年にはブリティッシュ・コロンビア・スポーツ殿堂入りも果たした。  トロントで会った人たちの話を元に、語り伝えられている個々の選手のプレースタイルを参考にして試合のシーンを創作し、2008年に書きあげたのが『バンクーバー朝日軍』(東峰書房)だった。

 

 

ブリティッシュ・コロンビア・スポーツ殿堂から朝日軍選手に贈られたメダルは本人や親類が見つからない場合、日系博物館に保管されている。2012年、長年探していた父のメダルを日系センター林光夫会長(右端)から渡されたテッド・Y・フルモトさん(中央)、左端はケイ上西さん

  

 

2011年に連邦政府及び史跡・記念碑実行委員会より朝日軍を称える記念碑が完成。オッペンハイマー公園内での除幕式にて元選手のジム・フクイさん(左·当時95歳)とケイ上西さん。フクイさんはその翌月亡くなった

  

 元選手の子孫たち

 『バンクーバー朝日軍』は2012年に原秀則さんによりマンガ化され、小学館『ビッグスペリオール』で連載を開始。表紙デザインの一部に使われた写真の中に父・宮崎松次郎監督を見つけた宮崎八重子さん(当時79歳)が家族とともにバンクーバーを訪れ、弊社を訪問した。宮崎一家は、329パウエル通りに住み、宮崎監督が野球で忙しくなると、母親が雑貨・洋装店を切り盛りしていた。  フルモトさんのところには、朝日軍選手の子孫と名乗る人たちから続々と連絡が入っている。初代メンバー松宮惣太郎捕手の孫にあたる松宮隆史さんと麻那さん。同じく投手のロイ西寺さんの孫のアンジェラさん。嶋正一選手の甥の嶋洋文さん。「バンクーバー朝日軍生誕100周年の記念すべき年に、皆さんにお会いできて光栄です」とフルモトさん。  嶋さんも「家族史を調べるうちにフルモトさんと知り合いました。朝日軍が世の注目をあび親戚一同大いに感動し、またフルモトさんのご努力と熱情には敬意を払っております」と話している。  日系4世のロレーン・オイカワさんの祖父ケンイチ・ドイ選手は、カンバーランドで野球をしていて朝日軍に引き抜かれピッチャーになった。また、リン・トミタさんの祖父タイ(ケンイチ)・スガ選手は1923年から39年まで投手を務めた。べバリー・オダ国際協力大臣(2011年当時)の叔父はケン・ツガ選手など、バンクーバーでも朝日軍選手の子孫が点在している。

 

 

初代朝日軍(1915年)。前列左端がテディー・フルモト選手、前列右端が嶋正一選手(当時17歳前後)

  

 映画化への思い

 2013年には映画制作班の2度の現地調査の末、『バンクーバーの朝日』(石井裕也監督、妻夫木聡主演)として映画化が決定。栃木県足方に組んだロケ地に、当時のパウエル球場や日本人街を再現して撮影が行われた。  6年ごしの企画を実現させた稲葉直人プロデューサーは、今年4月バンクーバーでの撮影を終えてクランクアップした際「朝日軍が残したものは、胸に迫るような歴史的、社会的出来事だと思います。日本では知られていないこんな話を伝えるために一番いい方法は、スクリーンの中で生きざまを観てもらうことだと思いました」と満足の表情を見せた。  バンクーバー国際映画祭で世界初公開が決定したことを聞いた上西さんは「あんな当時にも関わらず朝日軍が27年も続いて、カナダの歴史のひとつに加わったことを、国外の人にも知らせたく思っていました。英字幕がつけば孫たちにも観てもらえます。これでひと安心です」と話している。  上西さんやフルモトさん、そして子孫たちの思いを込めた朝日軍が今、映画という形で飛び立とうとしている。

 

 

2012年、小学館カナダ取材班が弊社オフィスを訪問し津田佐江子社主と面会。(左から)由田和人さん(小学館『ビッグコミックスペリオール』編集部副編集長)、原秀則さん(漫画家)、『バンクーバー朝日軍』著者のテッド・Y・フルモトさん、津田佐江子(弊社社主)、ルイーズ阿久沢(弊社記者)

  

 

(取材 ルイーズ阿久沢)

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