たまに寝床に入っても寝つけない時がある。先週もあった。そんな時は枕元に積んであるもう何回読んだか解らない古い本の中から、比較的ツマラナイ本を一冊引っぱりだして仰向けになって読む。
大抵三、四十分読むと眠くなり、今だ!と思って本をソウッと枕元に置いて、自分を刺激しないように注意しながら手を伸ばして電気スタンドのスイッチを切る。
もう大丈夫だろう、シメシメと思っていると、自分をだまして寝る一種の緊張感みたいなものがあって、又寝られなくなる。
もう一度電気をつけて、さっきの続きを読もうとするが、どこまで読んだかわからなくなって、それを探している内にイライラして、そうだ枕をはずして寝てみよう…と思いつく。
枕をはずしておデコの上で掌を組んで寝ると大抵スグ寝られると昔、父親が云っていた。三十分、四十分暗闇の中でジッとそのポーズを保っているものの、やっぱり眠くならなくてむしろ目がさえてくる。
仕方がないので今度は身体の向きを変えてみる。
先ず下を向いてうつ伏せになってみる。息が出来ないから顔だけ右か左に向ける。
しかしこれも長くは続かない。どうしても首が痛くなってくるからだ。眠くもならない。
次に身体を横向きにして足でフトンを挟み込むようにして樹に止まっている蝉のような格好をしてみる。
何となく体が安定して、これだったら眠くなりそうな気がしてくるがフトンを足ではさみ込んでいるので背中がスースーする。風邪を引いたら大変だと思って蝉ポーズを中止して元の上向きの形に戻し「大」の字が一番、体の筋肉を弛緩させると何かの本に書いてあったのを思い出して手足を大の字状に思い切り拡げてみる。
そのまま、しばらくジッとしていると何だかこのポーズは無防備のような気がして、又手足を縮めて元のはじめの形になる。

眠ろうと努心を始めてから既に二時間も過ぎている。
このままだと朝まで寝られずあした眠くて困ったことになりそうだと思う。
アッそうだ…ときのうの午後三時間の昼寝をしたことを思い出す。
なんだ、そうだったのか、眠れない筈だと急にうれしくなって思い切って起きてしまう。もう今夜は寝るのをあきらめようと決めて部屋の電気をつける。
描きかけの絵を仕上げてしまおうと思ってイーゼルの前に座る。でも外はまだ真っ暗で陽の光は全く無くて、電気の光だけでは色がおかしくなってしまうことに気づく。
さりとて何もすることはない。こう暗くては片付け物もできなくて椅子に座って途方に暮れボーッとしている。

何となく腹がすいてきた感じがする。目は完全に覚めて体が何か活動をせがんでいるような気がする。
冷蔵庫に夕べのトンカツの残りがあることを思い出す。
そうだ少し早いけど、カツ丼を食べよう。眠れなくて悶々としていても時間が勿体ない。
家の者を起こさないようにそうっと冷蔵庫を開けて、ラップにくるんだトンカツと玉ネギ、それに卵をとりだす。
もうこっちのものだ…と思う。

垂れを作って、そこに玉ネギをきざんで入れ、煮たったところへトンカツの残りを切って乗せる。いい匂いが立ち込めてくる。グツグツと云う音も快く耳に響く。
卵をといで全体に廻し入れフタをして、火を止める。
畑の小松菜を塩漬けしたお新香があったので、それもテーブルに並べる。
やっぱり吸物が欲しいと思って急遽、豆腐のおつゆを作る。もう完璧だ。
食器棚から丼を出す。まだ朝の三時だと云うのに腹がグーグー鳴ってカツ丼の催促だ。
待てまて慌てるな、ガッツク乞食は貰いが少ない…と電気釜に近寄っておもむろに蓋に手をかける。なんとなく釜が冷たい。嫌な予感がして中を見たら何たることか、ご飯がない。
絶望感と云うのは多分こう云う時の気持を云うのだろう。急に屋根に登ったハシゴをはずされたようで、どうしたらイイのか解らなくなる。

仕方がないので、焼酎のお湯割りを作って、カツ丼のドンなしで飲むことにした。
ホカホカ湯気の立つカツ丼を完全に頭の中にイメージしていたので不愉快な気持は否めない。くやしい。
でも自分が釜の中のご飯を確かめなかったのがカツ丼を食べられなくなった原因だから誰にも文句は云えない。

チビチビ焼酎のお湯割りを飲みながらカツ丼のドンなしを食べる。ご飯がないことが解っていたら、もっと味を薄くすれば良かったと思う。朝の四時だと云うのにホンノリと良い気持になってきた。
食べ終わって朝までまだ間がある…と思ってちょっと横になった。寝ようと思った訳でもないのに今度は熟睡するハメになり、アレッと思って目が覚めたら、もう九時。

 

2010年8月26日号(#35)にて掲載

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