2018年8月23日 第34号

ハープが奏でる『さくらさくら』。オペラから抜粋のピアノ曲。6月20日に亡くなったコンラッド・アダムズさん(享年89)追悼コンサートが8月18日、ブリティッシュ・コロンビア州ウエスト・バンクーバー市内のセント・スティーブンス聖公会で開かれ、約100余人が参加した。

ひとことに“ミュージシャン、ブライアン・アダムズの父”と言ってしまえばそれだけだが、思いやり、音楽への深い愛を持った人だったことが浮き彫りにされ、演奏家たちが感謝を込めて、思い出とともに心のこもった音を天に向かって届けた。

 

出演者・企画に関わったみなさん。(左から)大竹香織さんと息子の凌くん、大竹加代さん、大竹美弥さん、教会の音楽ディレクター、アナベル・ペイジさん、いまいのりこさん、足立則子さん、アダムズ弘美さん、平野弥生さん

 

音楽を通して病院を支援

 夫のコンラッドさんがバンクーバー総合病院に入院したことをきっかけに医療機関の大切さを実感し、4年前に病院支援のためのチャリティー・コンサートを開始したアダムズ弘美さん。今年のコンサート開催の2カ月前に、44年連れ添った最愛の夫のコンラッドさんを見送った。享年89だった。

 コンラッドさんは英国ケント州出身。士官学校サンドハーストを出たあと、カナダ外務省から海外のカナダ大使館に勤務。ロンドンではカナダ高等弁務官として働いていた。一方、岡山県出身の弘美さんは1971年に英語の勉強のため渡英。73年に安宅産業で欧州総支配人と支店長の秘書として働いていたときに、オペラハウスでコンラッドさんと知り合い、その後、コンラッドさんの赴任地韓国で結婚した。

 オペラを愛し、弘美さんが奏でるハープをこよなく愛したコンラッドさん。追悼コンサートでは冒頭で、ロイド牧師がコンラッドさんの経歴を読み上げ、全員で黙とう。弘美さんがハープで『さくらさくら』を演奏し、平野弥生さんが能の舞いを踊り、桜の花吹雪を散らした。

 

多くの日本人にビザを発給

 「1984〜1985年ころだったと思います。主人の学生ビザのもとで滞在後、私とふたりの子供たちはハープの良い先生が見つかり滞在を延ばすことに決めたものの、ビザを延長できず困っていました。コンさんが日本のカナダ大使館で移民局のトップポジションでいらしたことをご存知だったハープの先生が、弘美さんをご紹介くださいました。いろいろアドバイスをいただき、ビザを取得することができました。その後も本当によくしていただきました」と大竹加代さん。

 コンラッドさんは1978年から5年間、東京の在日カナダ大使館に参事官として勤務。査証部でたくさんの日本人にビザの発給をした。1983年にリタイアしてからも、ビザが必要な日本人にアドバイスをしたり関係者にかけ合うなど、手助けをしてきた。

 

オペラと美に対するセンス

 このコンサートのために、日本からピアニストのいまいのりこさんと足立則子さんが来加。いまいさんとアダムズさん夫妻の出会いは1981年。いまいさんがイタリアのオペラ歌劇場スカラ座の初来日公演で通訳していた際に、エキストラとして出演していたコンラッドさんと弘美さんに出会った。

 「思いやりがあり、こけしの収集や刺繍作品の素晴らしさを目にしたとき、彼の美に対するセンスの素晴らしさを感じました。オペラ歌手のパバロッティとの出会いをうれしそうにお話ししてくださいましたので、今頃は天国で仲良く歌っていらっしゃるように思います。素晴らしい時間と音楽への深い愛をありがとうございました」

 いまいさんはオペラファンのコンラッドさんのために、足立則子さんと連弾で『カヴァレリア・ルスティカーナ』より『間奏曲』(マスカーニ)、ヴェルディの『リゴレット』から『パラフレーズ』(リスト)を選び、その美しい作品を、心が穏やかになるようにとやさしさを込めて演奏した。

 

天使のようなアンサンブル

 バンクーバーからビクトリアまで、毎週ハープのレッスンに通っていたという大竹美弥さん・大竹香織さん姉妹は、演奏やコンクールのたびにアダムズさん夫妻の“さくらハウス”に泊めてもらったという。

 大竹美弥さんが「アダムズさんがいなければ、今の私たちはカナダに住んでおらず、私も生徒にハープを教えてはいなかったでしょう」と胸を詰まらせてスピーチ。コンラッドさんが好きで、お宅に行くと何度もリクエストされたという『ハープのためのソナタ』(ロッシーニ)を捧げ、『ナイチンゲール』の甘く哀愁を含んだ旋律が、多くの人の涙を誘った。

 日本在住の大竹香織さんは『モルダウ』(スメタナ)、『ベニスの謝肉祭』(F.ゴッドフロイド)を独奏したあと、美弥さんと一緒に『クレデリューン』(ドビュッシー)を。最後は白いドレスに身を包んだ天使のような生徒たちと、アンサンブルで『ハバネラ』を演奏した。

 コンサートの収益金はライオンズ・ゲート病院の最先端の設備を備えた新しい手術・病棟建設のために寄付されるという。

 

コンラッド・ジェームズ・アダムズ
1928年、英国ケント州ジリンガム出身。軍人の家に育ち、士官学校サンドハーストを出たあと、カナダ外務省からオーストリア、ポルトガル、イスラエルの大使館勤務を経て、ロンドンではカナダ高等弁務官として勤務。ロンドンで知り合った弘美さんと韓国赴任中に結婚。78年から83年まで在日カナダ大使館の参事官として勤務。リタイア後はビクトリアに16年、ナナイモに15年。2014年にバンクーバーに引っ越した。趣味はオペラ鑑賞、読書、本の収集、タペストリー作成。妻は弘美さん、息子が2人(ミュージシャンのブライアン・アダムズさんは長男)、孫が4人いる。

 

 (取材 ルイーズ阿久沢)

 

アダムズ弘美さんがハープで『さくらさくら』を演奏し、平野弥生さんが能の舞いを

 

オペラ歌手のパバロッティと(写真提供:アダムズ弘美さん)

 

いまいのりこさん(手前)と足立則子さん(奥)

 

大竹美弥さんによるスピーチ

 

白い衣装で統一。天使のようなハープアンサンブル

 

(左から)大竹香織さん、大竹美弥さんによるデュオ演奏

 

コンラッド & 弘美アダムズさん夫妻(写真提供:アダムズ弘美さん)

 

コンラッド・アダムズさん(写真提供:アダムズ弘美さん)

 

 

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