左から、船山さん、小笠原さん、吉田さん。練習の後、リッチモンド・カーリング・クラブで

 

カーリング元日本代表、小笠原(旧制小野寺)歩さん、船山(旧制林)弓枝さん、そして、二人と共にチームに参加することになった吉田知那美(ちなみ)さん(全員北海道銀行所属)が、リッチモンドで開催された地元の大会に出場するためにバンクーバーを訪れた。
小笠原さんと船山さんは、2002年ソルトレイク、2006年トリノとオリンピック2大会に出場。トリノ五輪での活躍は、日本中をカーリングフィーバーに巻き込んだ。その後、2人は一線を退き、結婚、出産を経て、去年11月、再びカーリング選手として復帰することを表明した。拠点に選んだのは札幌市。北海道旧常呂町(現北見市)出身の2人にとって、地元北海道での再出発となる。新チーム結成に向けて新たに加わったのが、ジュニアで活躍する19歳の吉田さん。
国内でも活動を始めていたが、3人揃って本格的に参加する海外トーナメントがリッチモンドでの試合だった。

 

「母親になった自分で世界に挑戦したい」

復帰を決意した。しかも競技者として。しかし、それは彼女たちにとって決意という大げさなものではなく、自然なことだったのかもしれない。
「環境が整えば復帰したいと思っていました」と小笠原さんと船山さんが声を揃えた。その「環境」の中に、結婚、出産も含まれていた。「母親になって復帰したかった」という小笠原さん、「結婚、出産を経て復帰したいなという思いがあった」という船山さん。
結婚、出産は女性にとって人生の大きな転機となる。特に出産は、肉体的にも、精神的にも、良くも悪くも大きな変化をもたらす。小笠原さんは「自分も母親になった時に、(カーリングに対して)どういうプラスアルファの力が出るのか見てみたいという思いがすごくありました」と笑った。世界トップクラスで活躍するカーリング選手には、結婚、出産を経たベテランが多い。そんなベテラントップカーラーとの対戦の中で、彼女たちが影響を受けなかったわけがない。一度一線を退いて自分の人生をしっかりつかんで、もう一度カーリングと向き合う。その「環境」が整ったのだ。
吉田さんという若い力もメンバーとして加わった。北海道を拠点とすることも決まり、北海道銀行という支援も得られた。実務的環境も整った。
さらに、肉体的なタイミングも今がチャンスだったという。「休みすぎると体が鈍ってしまうし。元に戻すのがなかなかきつい(笑)。4年というのはそういう意味でも非常にいいタイミングだった」と船山さん。カーリングを外から見るのは4年で十分とも笑った。
小笠原さんと船山さん、図らずも同じような時期に母親となった。「たまたま同じ時期に生んで」と顔を見合わせて可笑しそうに2人が笑う。お互いを得たのが最大の好機だったに違いない。
再びカーリングに挑むピースがすべて揃った。そしてやるからには「また上を目指したい」という。「カーリングをやるからにはやっぱりエンジョイカーリングでは無理」と笑った小笠原さん。「2度オリンピックに出たからといって満足はしていないんです。やっぱり結果を残したいですから」。本格的な復帰への思いが言葉ににじみ出た。

東日本大震災街頭募金活動の様子。右端が募金箱を持つ小笠原さん。大会の合間を縫って街頭募金に参加した

 

「カーリングは自分の体の一部」

第一線を退いてみて、カーリングに対する思いはより一層強くなった。小笠原さんは「トリノの直後はほんとにカーリングをやりたくない、ほんとに休みたいって思いました。それくらいがんばったんだと思います」と5年前を振り返る。「でも、時間をおいてみて、やりたいという気持ちになるってことは、ほんとに好きなんだなって思いました。今年でカーリングは21年目になるんですけど(笑)、もう、切っても切り離せない自分の一部になっているんだと実感しました」。
今はカーリングがすごく楽しいという。「トリノまではちょっと疲れたなぁっていうのもあったけど、今は純粋にやりたくて。ほんとに試合とかも、やりたくてしょうがない。ねっ?」と船山さんが小笠原さんに問いかける。「こんな気持ちになったのは初めてかな?(笑)。いや、2度目です。最初は青森に渡って新たにチームを作った時。そのシーズンはすごく楽しくって。(今は)そういうワクワクする感じです」。
そんな2人を「羨ましい」と見つめる若い瞳がある。吉田さんは「今でも寝る前にふっと思うんです。この2人と一緒にチームになってるんだなぁって」。19歳の吉田さんにとって、2人はあこがれの存在でもある。「DVDとか一緒に見てる時に、2人と一緒にカーリングやってるんだと思うんですよ」と屈託なく笑う。カーリングを続けようか迷っている時に2人に声を掛けられた。一緒にやろうと決意してからも、アスリートとしてカーリングをやっていくことに不安を覚えることもある。「でも、こっちに来てから『いいチームに入ったね』とか、『ナイスなチームね』とか、声を掛けられて。モチベーションがグッと上がった気がします」とはじけるような笑顔を2人に向けた。

 

「これから自分たちがどんなカーリングをするのか楽しみ」

「カーリングは経験がものをいうって言われているので、カーリングだけじゃなくて、人生経験というか、揉まれながら、強くなっていきたいなというのもあります。外からみたカーリングが今後どのように生かせるかが楽しみですし、休んでいたブランクをいい意味でカーリングに活かせられたらなって今からすごい楽しみです」と船山さん。
カーリング以外のことを経験することで、ますます強く鮮明にカーリングの魅力を認識することができた。
新チームは近々発表になるという。「日本のカーリングを変えようなんて大それたことは思ってませんけど…」と小笠原さん。しかし、その目はどこかうれしそうに笑っていた。「変わってほしいですよね」と船山さん。「世界と同じようにできる環境が自然とできるように」と、その目はいつも世界を向いている。
これまで日本のカーリング界を引っ張ってきたのは間違いなく彼女たちだし、これから変えていくのも間違いなく彼女たちだ。母親としてオリンピックに出場する、そしてメダルを取る。カーリング競技にはそれができる包容力がある。
日本代表のコーチを務めたフジ・ミキさんが以前こんなことを言っていたこと思い出す。「カーリングは息の長いスポーツ。女性は結婚、出産を経て、精神的な強さを身につける。そして、カーリングの技術は年を重ねるごとに熟練していく。若い時にはわからないことも多い。精神的な強さと技術的な熟練がうまく合わさってカーリングの円熟味が醸し出される。カーリングはそれからが本当に面白くなる」。
彼女たちはその新たなカーリングへの第一歩を今踏み出した。「次のオリンピックを目指します。次だけじゃなくて、その次とか、また行けそうだったら、その次と(笑)。息の長いチームを作りたい」と小笠原さん。「また出産してもいいし、(吉田さんの方を向いて)結婚してもいいし」と笑った。
円熟味を増した彼女たちのカーリングが世界で花開くときを楽しみに待ちたいと思う。

 

(取材 三島直美)

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