松村敦子さん

 

 日本国外で初めての自力整体指導員として、バンクーバー、バーナビー、リッチモンドなど、5カ所の教室で自力整体を教えている松村さんが、家族と一緒にカナダにやって来たのは2005年だった。独身時代に一人でカナダに短期滞在をした時の楽しかった思い出がいつも頭の隅にあった。それから『今度カナダに行くときは、単に旅行者とか学生とかではなくて、数年間だけでもよいのでそこに根を下ろしてカナダの人たちと一緒に生活してみたい』と思うようになっていた。そうこうするうちに、結婚、出産を経て松村さんの人生はどんどんと別の方向に展開していくかのように見えた。しかし、カナダで暮らしたいという、熱い思いは決して失われてはいなかった。むしろ、その思いは一段と強く、現実的になってきていた。そして、遂に家族を説得して、松村さんの長年の夢を実現する日がやって来た。始めの予定では5年間だけと考えていたが、居心地が良すぎたのか1年伸び、また1年伸びとしているうちに、現在カナダ生活9年目に至っている。

 

 松村さんは、関西の横浜とも呼ばれているお洒落で洗練された町、神戸市に生まれ育った。幼少の頃から松村さんは、優しくきれいで、ハイカラなおばあさんが大好きだった。松村さんが海外に興味を持ち始めたのも、ちょうど多感で知的吸収力が旺盛な頃に、おばあさんに海外の童話を読み聞かせてもらったり、洋食屋さんやフルーツパーラーに連れていってもらったりしたことが大きく影響しているようだ。このようにして、松村さんは未知の世界、新しい世界、まだ行ったことも見たこともない世界にどんどんとひきつけられていった。

 

9歳の時、おばあさんと一緒に

 

 子どもの頃から、大学では英文学を勉強して、英語を使った仕事をしたいと思っていた。その願い通り大学では英文学を専攻したが、 大学の勉強だけでは松村さんの期待通りに英語は上達しなかった。幸いにも、在学中に塾の講師と家庭教師のアルバイトで英語を使う機会が多くあったことから、英会話力が養われてきた。その語学力を更に伸ばしたいと、卒業後アメリカへ1年近く留学した。帰国後は当時流行の先端の『バイリンガル』とも言われ、もてはやされていたこともあったそうだ。

 

 その頃、日本でも当時アメリカで流行っていたエアロビクス、ダンササイズ、ヨガなどに次第と人気が集まるようになってきた。松村さんは、早速近くのカルチャーセンターでエアロビクスとダンササイズのクラスに入会した。とても楽しくなっていった頃、インストラクターに素質を認められ、指導員にならないかと誘われた。エアロビクスやダンササイズの指導員になるためには、必須科目としてヨガ指導員のコースを同時に学ばなくてはならなかった。

 

 はじめは必須科目として勉強していたヨガにすっかり魅了され、ヨガ指導員として活躍するようになった。その後、『人間はいつまでも若くて元気ではいられない』と悟り始める。その頃、誕生したばかりの自力整体に出会った。体を鍛え健康を保つことが主な焦点になっているエアロビクス、ダンササイズやヨガとは異なり、自力整体は整食、整心、そして整体の3つの要素を満たすことでの心身の健康を目指す健康法。自分が探していたものに出会えた嬉しさで、松村さんはすっかり自力整体に一目惚れしてしまった。今ではバンクーバー、バーナビー、リッチモンドの5カ所の教室で自力整体を教えている。

 

 

日系センター教室 正面が松村さん

 

 今年でカナダ滞在9年目になり、当初の予定の5年間より4年も超過してしまっているが、きっと熱心に教室に通ってきてくれる生徒さんたちのことを考えると、カナダ・サイドの強い引力に引っ張られてしまうのだろう。

 

 自力整体の詳細はウェブを参照。

 www.jirikiseitai.jp/navigator/matumura_atuko/matumura_atuko.html 

 

(取材 王由利)

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