2019年2月7日 第6号

 私がカナダに移住した年が1980年。ちょうどこの年の年末にバンクーバーで紅白歌合戦が開催されました。一世、二世の日系人の方々に少しでも日本の雰囲気を味わってもらいたいと、日本のNHK紅白歌合戦を真似たイベントを新移住者の有志の方々が企画、開催したのです。もちろん出演者は、有名歌手など参加するはずもありません。ローカルのカラオケ好きな男性、女性が紅白に分かれて日頃ののど自慢を競ったのです。

 

神輿仲間

 

 バンクーバーに移住した私たち夫婦は、知り合いもいなく仕事もままならない頃、ボランティアとしてこのイベントの手伝いをすることにしたのです。

 日本語の話せる友達ができるといいなぁと思い参加したのですが、そこで知り合った一人が先日、あの世に旅立ったマイク松原さんでした。

 今日は、追悼の気持ちも込めて少し彼の思い出話をしましょう。

 当時のバンクーバーは、インターネットはもちろん今のように日本語のテレビ放送もなく、唯一日本を知る情報というと、1週間以上も古い新聞や航空会社がコミュニティー団体へ寄付した古い週刊誌くらいしかなく、それらを多くの日本人、日系人が回し読みしていたのですから驚いてしまいます。

 そんな時代ですから紅白歌合戦のイベントは、最高に盛り上がりましたね…なんと900席の会場が満席になり、会場の外には入場できない人の行列ができたのです。イベント自体は、ボランティアの人達により準備、運営されていましたが、そこで初めてマイクさんにお会いしたのです。身体も小柄でそれほど目立つ存在でなかったのですが、こまめに人の気遣いをする人だな…との印象を持っています。私たち夫婦にも気軽に声をかけてくれたマイクさん、散髪の仕事をしていると聞き、数日後、髪を切りに行きました。当時は十分に英語を話すことができず、床屋へ行ってどのように髪を切ってもらえばいいのか?英語でどのように説明するのかいろいろと悩んでいた時でしたから本当に助かりましたね…。

 日本語で自由に話ができ、安心して髪を切ってもらうことができたのですから大満足でした。ただ驚いたのは、1時間経っても2時間経ってもなかなか終わらなかったことです。何度もコーヒーをいただいて、3時間近く経ってようやく髪を切り終わりましたが、その後、顎鬚も整えてくれたのです。外がまだ明るい時にお店に行ったのですが、アパートに帰って来たのは辺りが暗くなった頃でした。

 これは、後で聞いた話なのですが、「マイクは、髪の毛を一本一本切っているから遅いんだ。俺なんかイライラしてマイクに髪を切ってもらうのをやめたよ!」と言う人もいたとか…?

 マイクさん自身、髪を切るのにやや時間はかかると自覚していたようですが、やはりその丁寧さは変わることなく多くのお客さんが長〜く、長〜く待ってくださっていたようです。

 わりと頑固で変な気遣いをするマイクさんが、この問題を憂いていたかどうか知りませんが、ある日お店に行っていつものように椅子に座ったら、目の前にテレビが置いてあったのです。そのテレビは8インチの画面で、ビデオ再生ができるビデオ一体型のテレビでした。このテレビどうしたの? とマイクさんに聞くと、皆さんにビデオを見てもらおうと思って買ったんだと説明してくれました。

 サービス精神旺盛なマイクさんは、それから毎回新しいビデオを用意し、散髪中にビデオを見せてくれました。ビデオには霊友会のラベルが貼ってありましたからきっと毎回、霊友会からビデオテープを借りてそれをお客さんに見せていたのでしょうね…?

 そんなマイクさんに40年近くも髪を切ってもらっていた私ですが、マイクさんがお店を辞めてリタイアしてからも、家にまで来てもらって散髪してもらっていました。昨年のクリスマス前にも髪を切ってもらったのですが、忘れ物をしたなどと言うので、少しボケたの?と聞くと「もう年だし車の運転も夜は少し怖い」といつになく素直に受け答えをしていたのを昨日のように覚えています。それがマイクさんとの最後の会話でした。年が明け1月9日、第一発見者のマイクさんのお兄さんからマイクさんが亡くなったと知らされ驚きました。自宅のキッチンの前の床に倒れていたそうで、検視の結果、亡くなられてから24時間以上も経過していたということです。

 ソフトボールの試合でピッチャーだったマイクさん!

 相撲大会で行司をしていたマイクさん!

 意味不明で笑えない冗談を言って自分で笑っていたマイクさん!

 神輿の上に乗り元気に扇子を振っていたマイクさん!

 さようなら マイクさん!

神輿仲間

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。