故 藤間由子
(1992年1月18日銕仙(てっせん)会能楽堂で)

 

 

由子先生との出会い

藤間流師範である藤間由子(1929〜2003)は、藤間左由さん(トモエアーツのアートディレクター、コリーン・ランキさんの芸名)の日本舞踊における最初の師だった。
「始めは能に興味があったのですが、日本で由子先生を紹介され、歌舞伎舞踊を習うようになったのです」。その頃は日本語もままならず、ジェスチャーを交えたり周りの人に聞きながら踊りを学んだ。  「麻布十番の由子先生の2DKのアパートで、先輩たちと一緒に踊りを習いました。背の高い私は壁に頭をぶつけたこともありました。終わると由子先生が台所に立ち、持ちよった料理と一緒にみんなでビールを飲んで食事をしました」
集中的な指導を7年続けたあと、その直系であることを示す藤間左由(さゆう)という芸名を与えられた。
藤間由子は2003年の1月18日に74歳で他界。東京・国立劇場での公演を終えた数日後のことで、その日はくしくも左由さんの誕生日だった。以来、左由さんは藤間省吾師範に師事しているが、由子師匠から受け継いだ舞踏を今も大切に守り続けているという。

 

師匠藤間由子の舞踏人生を称え、思い出を語りながら踊った藤間左由さん

 

思い出を語りながら

この日の演目は、左由さんの古参の弟子であるライアン・カロンさんの『寿』に続き、左由さんが長唄に合わせて『宵は待ち』、常磐津(ときわづの三味線)に合わせて『廊八景』(くるわはっけい)、長唄に合わせて『藤娘』を踊った。
『廊八景』は江戸の遊郭が舞台。男が遊女や琴奏者、農夫に出会うさまを描いたもので、動作や仕草、目の使い方で男役、女役を交互に踊りわけるのが特徴。「由子先生も二役を演じるのが好きでした」
『藤娘』は左由さんが初期に学んだ踊りのひとつ。「踊っているときに由子先生の『一、二の三』が聞こえてくるような気がしました」

 

『寿』を踊ったライアン・カロンさん

 

舞台との距離を感じないこじんまりとした会場で、左由さんが師匠との思い出、芸風、人生を語りながらのパフォーマンス。幅広い日本舞踊の中でも、藤間流の特徴は歌舞伎舞踊であることだという。すらりとした左由さんの品のあるしなやかな仕草からは、日本人以上に日本らしさを追求する姿勢、古典舞踊へのこだわりが感じられた。

 

(取材 ルイーズ阿久沢)

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