2019年5月16日 第20号

ードキュメンタリー映画「エンディングノート」(砂田麻美監督)の上映とスティーブストン仏教会の生田グラント真見開教使の講話ー

 

<生と死>、<絶望と幸福>、<感情と理論>、<強さと弱さ>、 <身内と他人>

 これら相反する言葉と感情を私に容赦なく突きつけてきたのは、5月5日にスティーブストン仏教会にて日本語認知症サポート協会とスティーブストン仏教会の共催で上映されたドキュメンタリー映画「エンディングノート」(砂田麻美監督)。映画は高度経済成長期を支えたサラリーマンの砂田知昭さんが定年退職を機に、第二の人生を謳歌しようとした矢先にステージ4のガンが見つかり、「会社、命」、「段取り、命」と豪語する砂田知昭さんが人生最後の仕事としてエンディングノートの作成に取り掛かる話だ。

 真正面から癌を宣告されつつも日々を生き、間近に迫る死を実感している人の姿を私はどう受けとめていいのだろうか?死は私たちに絶望をあたえるのか? いや、まだ残されたこの命があると思えば希望を与えるのだろうか? はたまた、命を全うすれば決して絶望ではないのだろうか?そして、この瞬間、あなたはどう生きているのか?と多くの問いを突きつけてくる。映画が終わったあとには、涙が自然とあふれ、表現しがたい虚無感というか幸せというか。言いようもない相反する感情に私は包まれた。

 この映画の興味深いところは、砂田知昭さんの3番目の娘麻美さんがカメラを片手に父親の生きた軌跡をフィルムに収めているという点。身内の癌の宣告と死は重くのしかかり、絶望感を味わざるを得ないような感覚があるが、映画内の知昭さんのナレーションは全て監督の麻美さんが淡々と行っている。身内だから撮れる映像、でもどこか一歩引いた俯瞰図的な描写はこの映画の興味深いところだった。

 「私は上手に死ぬことができるでしょうか?」 

 とても、とても印象的だった言葉。上手に死ねるってなんだろうか?上手ってなんだろう?下手だったら嫌だとか考えてみた。上手に死にたいというのは、最後の強がりでもあり、意地なのかもしれないし、終焉を迎える際の美学かもしれない。しかし、上手/下手ではなく、最期くらいは素直になってみようではないか。死期迫ったときに、私は何人の人に会ってお礼を言えるだろうか。ありがとう。そして、愛していると。感謝を伝える。それが上手に死ねる一つの方法かもしれない。

 砂田知昭さんの他界後に、開かれたEnding Noteの中では、妻の淳子さんを気に掛ける言葉が多かった。“淳子さん”と語りかけるようにしたためられている。お母さんでもない、ママでもない、妻でもない、名前の淳子。あなたを残して先立った私はあなたが心配ですと語っている。その語りはまるでラブレターだった。生田住職も講話の仲で終活は終わりではない。残された家族のために自分の残したいものを残す。終活は布施行の心で「忘己利他」と表現する。それは相手の立場を考えて必要なものを施すと。まさに、砂田知昭さんが家族への思いをしっかりとEnding Noteを通じて示し、映画監督の娘は父の生き様を映画という形で残した。

 死と向き合い、抗うことなく、そして受け入れ、段取りよくEnding Noteを準備し、映画で生き様を残した砂田知昭さん。その姿は彼が求めていた“上手な死に方”だっただろう。他の表現を用いるのならば、私はあえてこう言いたい。5月5日のワークショップは命が美しく枯れていく指針の一つを私たちに示してくれたと思う。

(バンクーバー在住 Yasuko T)

 

 


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