2016年8月25日 第35号

 リオ五輪、日本選手大活躍で、大いに盛り上がって閉幕した。先日授業の後、オリンピックの中継を見ようと生徒と一緒にラーメン屋に入った。日本語教師養成講座の授業なので、生徒はもちろん日本人、ワーホリで来ている女性である。そしてラーメンを注文するときに、「私、辛党なので…」と言いながら、激辛のラーメンを注文した。なかなか面白いジョークである。「辛党」と聞いて、では食べる前に、ちょこっとビールでも飲もうよ、と誘うと、「私、お酒ダメなんです」である。えー、戸惑ってしまった。

 そしていろいろ話しているうちに、それはジョークではなく、本当に辛いものが好きな人を「辛党」だと思っているとのこと。びっくりしてしまった。彼女いわく、「甘党」は甘い物が好きな人、「辛党」は辛いものが好きな人ですよね、である。これが日本語学習者の質問であれば、すごくうなづけるのだが…。

 早速日本語講座を始めた。「私は辛党です」などと言ったら、おじさん連中は「あなたはお酒が大好きなんだ」と思っちゃうよ、と注意した。でも確かにこの「辛党」という言葉、調べてみるとなかなか複雑である。昔のおじさん世代は「辛党」とは、お菓子などの甘いものよりもお酒が好きな人。「甘党」はお酒はダメで、甘いものが好きな人の総称と思っている。でもこの場合の「お酒」はアルコール類ではなく、日本酒のことである。一般的に日本酒のつまみには「辛いもの」が口に合うので、できた言葉である。

 でもビールやワインそしてカクテルなど飲み物が多種多様になってくると、当然日本酒はダメだが、赤ワインは大好きいう人もおり、確かにこの「辛党」の意味がかなりずれてきてしまった。事実この「辛党」、昔は「辛いものが好きな人」という意味もあったようで、辞書にも載っている。でも現在ではまだ「辛党」を「辛い物が好きな人」と考えるのは誤用とされているが、思い違いなども絡んで言葉も時代とともに変わっていくのも当然なのであろう。

 日本語において、この思い違いの例はいろいろあるが、その一つが「姑息な手段」である。この「姑息」に大部分の人は「卑怯な」とか「意地悪い」という意味を感じるであろう。何しろ「姑(しゅうとめ)の息」と書くのだから…。私自身も日本語教師になる前は疑いもなくそう感じていた。

 しかしこの「姑息」には「卑怯」などという意味はなく、「その場しのぎ」という意味である。国語のテストで「姑息な手段」はどんな意味かの問いに「卑怯な手段」に丸をつけると間違いなく×である。

 もちろん、いい意味には用いられないが、実際、病院の医療などでは「その場しのぎの治療」という意味で「姑息治療」という表現が使われているとのこと。でももし病院でそんな会話が聞こえてきたら、患者としてはびっくりしてしまう。なるべく病院などでは使ってほしくない言葉である。

 言葉というものは「時代と共に変わりゆくは、むべなるかな、もっともなことである」、今回はこんな「姑息な終わり方」で締めさせていただきます。

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