2019年1月10日 第2号

 新年。これから歩んでゆくこの新しい年2019年、どんな年になるのだろう?この老婆、エッセイを書き始めたのが2016年の5月か6月頃。何だか好き勝手なことを書いているうちに、時々誰かがコメントや手紙や健康情報などを送ってくれ、励ましてもらい、いろいろ嬉しい体験が続いているなぁ。時には『私の事、書かないでよ!』とすごい勢いで電話をしてきた人もいる。どうして、老婆の電話番号がわかったのだろう?第一、その人のこと、老婆は知らないのにねぇ。

 そして、振り返ると2018年、老婆にとって重大事は古川夏好ちゃんの最終裁判だ。昨日、日本のテレビを見ていたら、日本で看護師が殺害、死体遺棄。殺害理由は「殺害する人は誰もよかった。誰かを殺したかった」と言う。その殺人死体遺棄の犯人裁判が行われ、受刑がなんと「4カ月」。遺族の方の心が収まらないのでは?「日本の裁判ってそんなぁー?」「いい加減だよ。」聞き間違い?と老婆は難聴だからねぇ。夏好ちゃんの殺しの犯人の受刑は「14年」、それでも、彼女のご家族にとっては複雑な気持ちではなかろうか?両国の裁判結果を比べて、カナダの法律の方が厳しいと思うが、人命がこんなに軽い刑で済むなら、「殺人してもいいよ」と国が言っているようだ。「ああ、情けない!」

 エッセイを書き始めた2016年頃だった。オペラ好きの老婆はせっせとメトロポリタンオペラのHDを観に行く。ある時、その映画館で「老婆のひとりごとの読者です」と笑顔で声をかけてくださった紳士がいた。嬉しかったですよこの老婆。だって、日本の男性でオペラが好きな人ってまず知らないし、エッセイの「読者」だと言ってくれたからねぇ。以来、時々、その彼がコメントをくださる。今回、かなり正確に老婆の言いたかった事件についてコメントを送ってくださった。それを添付し、同時に夏好ちゃんの行方不明時、路上でビラをまき、必死で行方を捜した彼女の留学エージェントのユウスケさんが、今他のエージェントと共に留学生を守る諸事の計画を具体的に始めているようだ。

 

澄子さん

 おはようございます!今朝は素敵な天気ですね!

 今朝一番に古川夏好さんについての寄稿を読ませて頂きました。「人間の一生の歩きが古川夏好さんのように若くしてこの世から去って行く者もいれば、昨夜のニュースで厳しい状況に耐えて来たモントリオール在住の100歳の誕生日を迎えたユダヤ人女性。どこで何が起きるかもしれないけれど、我々の生涯は既に生まれて来た時点で決められているものか?最近深く考えられるようになって来ました。そうだとすれば、いかに人生を有意義に過ごすべきか。自分の自己満足のみでなく、他人への奉仕をするべきなのか? 古川夏好さんの事を考えた時、彼女は、ホームレスの男性にあった時点で、彼女の心の中に、かわいそうだという気持ちが生まれ、せめて彼の好きそうなお酒でも買ってあげ、友人との約束時間まで、お相手してあげたいという、ほのかな心の動きが出たのではと思う事です。悲しい事に、裏目に出て、この惨事になった事は、古川さんの母親としてはこれほど悔しく、悲しい思いをされた事はなかったのでは? その点から、○○さん始め、多くのボランティアの手助けで、今回の裁判決定に至った事は、母親として表現出来ないほどの感謝の気持ちがあった事でしょう。特に日本の田舎では真実を知らず、後ろで噂する習慣があるから!

 私の母親は我々にたいして、絶対に他人から後ろ指を指される人間にならない様、いやと言う程聞かされました。我々の父は私が生後8カ月で戦死しており(その時、4人の女、2人の男の6人兄妹でしたが、次女、三女は、早く亡くなっていた)、母親一人の手で、誰の助けも無く我々を教育、育ててくれました。それ故に、田舎において、悪いことがおきると、すぐに父親がいないと『ああだよねー』と後ろで噂する人がいるから!良い事には触れなくて悪い事には輪をかけて吹聴する悪い癖は、田舎に置いては特に今でも変わらないのでは。夏好さんのお母さんはその辛さを嫌と言う程、経験したが故に…。

—— 以下省略

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 2019年、一体、どんな年になるのだろう。平和であってほしいなぁ。

許 澄子

 

読者の皆様へ

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