2018年12月13日 第50号

 何だか雲の上、飛行機の中で老婆は一人、ぽっつり…。「ありがとうって、伝えるほど、ありがたいことが増えるみたい」、「人間関係ってなんだか、思いやりと感謝で変わる」だとか、「幸せな人は、当たり前のことを幸せと思っている」つまり「足るを知る」などなど。この旅でいろいろな人に会った。頑張る人、モラハラ(モラルハラストメント)でえばる人、優しい人など。まあ本当にいろいろ、おもしろい。例えば、「飛行機が空を飛ぶのは空を飛びたいと思った人がいたから」、だから「一歩一歩を繰り返せばどんな遠くにでも行けるよー。」なぁんて、あたり前のことを、でもこの旅での体験とついでに人生を振り返り、ボーっと考えながら長ーい飛行8時間の空の旅、バンクーバーに帰着。

 9月に患った食中毒と神経ダメージで眩暈症状が続き、杖、歩行器、または何かつかまるバーとかまたは、壁でも良い、とにかく、何かにつかまらないと長歩きはできなくなった。だから11月末のこの一人旅。行こうか行くまいか迷った。しかし、何だか今回行かねば、もう今後会いたい人に会えなくなるような予感がして「とにかく行こう。」と強い決心の下、バンクーバーを出発…。

 そして、出発の日、バンクーバーの空港の手荷物検査セキュリティーで車椅子の老婆は捕まった。厳しい身体検査を車椅子上で次々するのだ。(後で聞くと、車椅子の老人は麻薬運び人が多いので推測されることがあると娘が言っていた。)さては、この老婆、麻薬運搬者(?)。ともかく検査員が老女の背中とおしりを探ろうとした。その時、「あっ!」車椅子上でバランスを失い前方に倒れ、老婆は床に腹這いになった。起き上がれない。近くにいた人が起こし、椅子に座らせてくれた。検査官の女性は知らんぷり。やっと彼女から許可が下り、検査場を出る時、さっきの転倒で右肩が痛かった。ANAの係員が911を呼び、まもなく係員が来るとすぐアイスパットで冷やしてくれた。と同時にセキュリティー係の責任者に事件を報告。責任者が会いに来て、もし後遺症が残れば報告するように言われる。皆、親切だった。(女性検査官は無神経な人の様だった。何も言わない。)車椅子を押してくれたANAの女性も、機内のアテンダントもそれはよく気がつき、アイスパット、痛み止め薬、座席の工面等々、彼女たちができるあらゆる親切、それは出発時だけでなく、到着した羽田空港でも同じ心こもった優しいサービスが待っていた。特に皆んなの笑顔が嬉しい。羽田で車椅子をパーキング場まで押してくださったスタッフは何とシップ用パットまで用意してくれていた。肩は痛かったが快適な空の旅だった。

 空港には桐島先生の友人(この夏バンクーバーの老婆のコンドで過ごされた方)が、迎えてくれありがたかった。翌日は待ちに待った桐島邸に到着。「なーんだ。」、どんなにか淋しい所かと思っていたら…。わぁー! 凄いー! こんなにぎやかで素敵な街。六本木と違うのは海が目前にあり、富士山の見える「稲村ケ崎温泉」があることだ。黒ーい、けれど澄んだ透明な温泉湯にゆっくりつかり、くつろいだ後、海岸線を横目に帰宅。本当に気持ちが良い。新しい土地に越せば、新しい友達作りも必要だ。友達作りの名人桐島先生だ。日本中から、またバンクーバーからもこの美しい稲村ケ崎にじゃんじゃん友達が訪ねて行くだろう。新天地へ行けば、面倒なことも、淋しいこともある。先生もさんざんこの老婆と一緒に愚痴った「淋しい病」から抜け出て、今度は老婆の「先生、羨ましい! 病」になるかもしれない。また訪ねさせてください。

 帰国の日、空港にフィギュアスケーターでスポーツ写真専門の撮影家でもある一美ちゃんやカナダでのワーホリ生活と1万キロを超える長距離米国中をドライブし帰国した、我が家の下宿人「文太」が来てくれた。そして、ずっと会いたかったウズベキスタンやラオスの旅を一緒にした友達や、以前バンクーバー在住だった懐かしい人達、孫たちにも会えて29日に終活の旅は終わった。  

 しかし、その翌々日、2日、続けてまたRGHの緊急病棟へ肩の痛みとむくみと痺れで、卒中の疑いがあり、半日入院。ここでもまた優しい病院のスタッフに助けられ、励まされ続けている老婆です。

 いつだったか、誰かが笑いながら「ホイさん、あなたみたいに911に年中依頼する人は回数券出してもらったら?」といわれたことがある。「回数券があったら、いいなぁ」

許 澄子

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。