2017年7月27日 第30号

 「あっ!いけない、忘れた!」と老婆が叫ぶ。家を出て間もなく近くのハイウェイに車が入った途端だ。なんと、補聴器を忘れた。とにかくUターンして家に帰り、補聴器と収音器をハンドバックに入れ車に戻った。この老婆は難聴だ。難聴のくせに音楽が大好きで、時間さえあれば音楽会に出かけていく。ある時、バンクーバーシンフォニーのコンサートマスターだったNさんに「澄子さんはVSOへ、演奏を『聴きに』ではなく『観に』行くのですね」と優しく慰めるように言われた。昔は難聴でなかったのにねぇ。ある時、演奏会でヴァイオリンは弾いているのに音が聞こえてないのに気付く。あの瞬間の淋しさ。それは多分、経験者だけの何とも言えない、情けない、悲しい、それは「淋しーい」ものだ。しかし、老婆は懲りずに演奏会、音楽会に、またオペラにもせっせと足を運ぶ。「観に」行くのでも良い。

 今日はデルタの清水さん宅でホームコンサート。彼女のピアノの先生、新屋さんのピアノリサイタルだ。初めて彼のリサイタルに誘ってもらえた老婆はワクワクしすぎて一番大切な補聴器を忘れ、演奏開始ぎりぎりに到着。玄関で迎えてくれたのは、いつもご自宅でホーム演奏会を行い、時々老婆も招待して下さるウエストバンクーバーのTさんの笑顔と優しいハグ。そしてすでに来場のお客様、皆の温かーい笑顔だった。互いに席を譲り合う。老婆は遠慮なく演奏者新屋さんの真後ろに座った。プログラムを受取り、場所の提供者であり、多分今日の主催者である方のご挨拶、続いて演奏が始まった。演奏者の真後ろだからよく聴こえ、段々とピアノの音に引き込まれ、頭がふわーっとしてくる。その気持ちの良さ。吹き抜けの高い天井、壁にある二段窓、上窓から美しい青空と白い雲、下窓からは八手の若緑葉と熱帯樹ビロウヤシ、その間の休みなく水が流れる小さな滝、手入れの行き届いた緑の芝生、それらを眺めながら美しいピアノの音に聴き入る。老婆の頬に涙が伝わる。大きなステージで聴くのとは違う。何だか演奏するその時々の彼の心がピアノの音とともにビンビンと伝わってくる。また、彼の指はビビビッとハチドリが羽ばたくように鍵盤の上を飛び、たった一台のピアノ演奏がまるでもう大演奏会のようだ。汗をびっしょりかいている。素晴らしい!彼の演奏は全て暗譜だった。昔、小澤征爾の演奏をオーストリアのヴィアナまで聴きに行き、小澤征爾と話すことのできた友人が言った。「彼はね、その大演奏、全曲暗譜していたのよ!」

 老婆は新屋さんのことをよくは知らない。しかし、小さなコーラスグループのボランティアでピアノを弾いたりしたこともあり、いろいろな音楽活動にとても協力的だと巷の噂。そんな新屋さんに感謝する人の声を聞いていた。以前、ウエストバンクーバーのTさん宅で、慶応大学の某教授の講演と一緒にバロック音楽の演奏があった。その時に、新屋さんがピアノ演奏だけでなくピアノの調律師でもあると知った。ちょうど、本屋大賞受賞の『羊と鋼の森』という調律師の小説を読んだ後で、彼の話には身につまされたのを思い出す。新屋さんはピアニストで、ピアノ教師で、調律師で、さらに料理も上手みたい。演奏の後はポットラックで、彼の作ったチーズスフレやチョコレートケーキもテーブルに飾られる。皆でいただいた数々の御馳走。うーん、演奏良かったなぁ、ポットラックもおいしかった。集まった観客?来客?、その中にはピアニストやギタリスト、声楽家もいてそれぞれが披露してくれた。どうして皆こんなに才能に恵まれているのかしら?そして、この老婆は聴くだけ、観るだけ。でも、音楽に触れることが楽しい。音楽を愛する人たちと時を分かち合い、それが、よぼよぼ生きている老婆にとっては「深い喜びと感謝」なのだ。ああ、いい一日だった!

許 澄子

 

老婆は新屋さんの真後ろに席を取り、演奏を聴いた(写真提供 新屋宗一(しんやむねかず)さん)

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。