2018年10月18日 第42号

 「おもてなし・気配り」という言葉に象徴されるように、日本人は相手の心をそれとなく読みとり、丁寧なお付き合いすることにかけては、世界のどの国の人々よりも長けている、と思う。というより、思いたいと最近しきりに考える。

 私は物書きという仕事柄、年齢の割には見ず知らずの人と接することがいまだに多い。日本からいらした方からお話を伺うとなれば、相手に関する最新情報は欠かせないが、有難いことにGoogleすれば大体のサーチは出来る。

 

身内の話に敬語

 そんな折り、各界の有名人などがインタビューされているプログラムに出会ったりして驚くのは、身内の話に敬語を使ってしまう若い人が多いことだ。「えっ?!」と耳を疑うが、本人がふと照れたような仕草をするのはいい方で、全く気が付かないご仁も多い。

 日本語学習で一番難しいのは敬語というのはよく知られているが、こちらに暮らす日本人の中にも敬語はおろか「日本語が駄目になった」とおっしゃる方がかなりいる。そんな人の言い訳は「日本人との付き合いが少ないので…」である。「自分はカナダ社会にどっぷりと浸かっているから」と言いたげだが、では英語がバッチリかと言えばそれも頼りないこともある。英語がしっかりした人は、日本語の維持も怠りないと見受ける。

 それはまたメールのやり取りでも同じで、日本からの移住者だからと日本語でメールをしても返事のない人の多い事!そんなお歳と見えない方でも「日本語の文章がもう書けない」とか。解読できるなら英語で返事を下さればいいのにと思うが、それも億劫のようだ。

 

お礼のメール

 最近当地の大学で行われた某コンファレンスに、東京にある二つの超有名大学から招聘された教授夫妻が来られた。お話をするとカナダの日系移民史は全く知らないとのこと。「それはならじ!」と早速、訳本『希望の国カナダへ…夢に懸け、海を渡った移民たち』を進呈し、コンファレンスは続行していたが、2時間程なら抜けられるという日を選び、昔日系移民と縁のあった場所を車でご案内した。

 しかし連れ回されただけでは、後から訳本を読まれても分かるまいと思い、回るスケジュールに沿って本の何ページを見れば詳細が書かれているかをまとめてお渡しもした。

 すでに日本に帰られて一カ月。どちらの教授からもお礼のメール一本送られて来ない。ドライブ終了後に“日本手拭い” を一枚頂き、それが唯一お連れした証となった。もとより美辞麗句の謝辞など期待しない。だが帰国してから一言お礼のメールを出すのが、洋の東西を問わず基本的な礼儀であり、カナダ人でもきちんとした人はやっている。

 超有名な大学教授夫妻でさえも事ほど左様なら、そこから巣立つ最近の若者に、敬語だ、礼儀だ、を求めるのは土台無理と言うものかも知れない。ふと心に冷風が流れる。

 

言葉だけが先行

 もう一つ腑に落ちないのは、日本に進出している外国の出先機関に勤める日本人の「暖簾に腕押し」の対応である。窓口の方に丁寧なメールを何度送ってもナシのツブテ。業を煮やし国際電話をすると、電話を持ってお辞儀をしているのが分かるほど「すみません」「ゴメンなさい」を連発。しかしその後もまた何の連絡もない。ただYesかNoのご返事を待っているに過ぎないのに…。上司との英語のコミュニケーションがうまくいかないのかと勘ぐってしまう。

 これ等はほんの一例に過ぎないが、「おもてなし・気配り」が言葉だけ先行し、きちんとしたメール一本書くことが出来ない日本人の多い事!

 このギャップは一体何だろう?

 

 

 


サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)

 

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